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2007年03月01日

高岡ミズミ『我儘なリアリスト』

 ひとつ仮説というか予測がありまして、あたりはずれの激しいBL作家って、編集のよしあしにかなり作品の出来が左右されてるんではなかろうかと推測。なので、レーベルである程度期待値も見えるかも、と思うのですよ。

 というわけで、高岡ミズミはルチル文庫が面白かったからルチルの別作品を読んでみた。ルチルならどれでもいーやと適当に買うたら、シリーズものの三作めでしたよ(笑、なのでちょっと入り込めないところもあった。攻め三兄弟のおうちの事情とか、なんとなくわかったものの感情移入はできない…あ、これは勿論前作を読んでないあたしが悪いんですが、でも作品事自体のはいりこめなさもあったかな。

 写真家になりたい高校生×専門学校講師兼無名写真家。
 受けの教えている専門学校に入りたいんです、とか言ってしばしば遊びに来る高校生、ってのはちょっとウザくないかそれは…と、少し引き気味に読み始め、人当たりのよい大人なせんせいが突如、高校生に襲い受け(笑、ろくでなしダメ人間に豹変しちゃった辺りであまりの変化についていけないよ…!とあわをくって、しかし結局とんだツンデレでしたね、というあたりで落ち着いた。
 一方攻めの頑張りは賞賛にあたいするのだが、ほとんどストーカーまがいのような頑張りように、これまたちょっと引くし、読んでて少しつらい。でもそれくらいしないとお話進まないもんなあとか妙に諦めてしまったりした。

 まあ最後のあたりでは受けの振幅もしっくりくるし、攻めの努力もきちんと報われるので、振り返れば結構面白かったように思えた。とりあえず、ルチルの高岡ミズミは信頼してみようかな、と思える程度には楽しめた。

 ていうか、つまりダメ人間がすきなんですよねあたしは。受けがあまりにダメなので、面白く読めたというか。
 しかし最近広い意味で性格の悪いダメ人間キャラが好きなんですが、攻めはともかく、受けの場合性格の悪いキャラというのは最終的には結局ツンデレになってしまうのか、とかも思った。

 蓮川愛のこの絵はなんだか百合的だね。この攻めは普段蓮川愛が受けとして書いてるキャラに近い気がする。たぶん三男を攻め攻めしい長男次男よりもかわいくしたら、こう(受け的な外見の攻めに)なったのだろうなあとか思う。それはそれでよし。

 あ、タイトルのリアリスト、はちょっと不似合いな気も。

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 そういえば。
 その高岡ミズミの面白かった『天使の啼く夜』のオビを見て、ルチル隔月刊化記念小冊子に申し込もうと思い、ルチルをはじめて買ってみた。ら、どうやら小冊子に入るのは『天使の…』関連話ではないらしい…なんだよそれ、と思いつつ折角本誌買ったわけだし、小冊子は申し込むけど…。
 しかし、ルチル本体が…むちゃくちゃつまんなかった…読むとこないじゃないか。

週刊萌えニュース。

 ダニエル・ラドクリフの「エクウス」、写真でいいから見たーいと思っていたらニュースが来たよ!写真もあるよ!

2007年03月02日

100s『希望』

 #1「希望」初聴きではエェ~………、とへこんだけれど、繰り返し聞いているとそう悪くもない気がしてきた。『OZ』の「いきるもの」に少し似ている。「いきるもの」は『OZ』の中で数少ない好き曲なのだ。
 #2「シンガロング」はいまいち。しかもライブバージョン…100sのライブバージョンって、あんまりうれしくない気がする…あたり、やっぱりあたしはバンド形式にこだわる中村一義についていけてないんだろうなって思う。

 いずれにしてもだ。あたしはいいかげんそろそろ、この〈初恋〉を過去のものにしなければならないんだろうなあ。
 中村一義に関する一番有名な評言はやはり、渋谷陽一の「日本のロック史において10年に一人といったクラスの才能の持ち主である」という『犬と猫』のブックレットに掲載されてる文章だと思う。けれどその文章のなかで一番印象に残っているのは、個人的には「若い世代の表現者をやたら褒めたり、やたらけなしたりするようになったら、それは批評家としての老化の危険信号、そう思ってきた。しかし、中村一義、21才の才能を前にすると、こいつと心中して音楽評論家としてのキャリアに汚点を残しても、それはそれでいいじゃないか、という気がしてくる」という冒頭の部分なのだ。
 この部分が渋谷陽一と環境も過程もまったく共有できてないあたしにもこんなに響くのは、これが最早恋愛のディスクールだからだと思う。『犬と猫』を前に全面的に投降して、誰に笑われても間違いだと言われてもいい、だってどうしても自分はコレが大好きだって、そんな気持ちになれた時間が確かにあったのだ。
 その時間は永久に続かなくても仕方がない。少なくとも今の中村一義は、これ=100sがやりたいんだ。そしてあたしは100sであっても、〈中村一義〉を聴くのをやめられないのだ。

 こんなことなんだか今更な気もするんだけれど、久々に『犬と猫』を取り出して見たりして、感慨にふけってみたのでした。

 しかし、100sもエイベックスに移籍したのね…(笑。今後あたしの買う音楽CDはエイベックスばっかりになりそう…。

2007年03月04日

愁堂れな『淫靡な関係』

 今日はJ庭にいちきました…疲れた!イベントって、一日座っていられるのに、なんでいつもこんなに疲れるのか。
 女性向けイベントということでドキドキしてましたが、あんまり普段と変わらんかった。考えてみると、男性向けをのぞけば、同人ってもともと女子が多い世界なんだった(と私は思う。

 愁堂れな二冊目。マリィさんにおすすめいただいて読んだ。

 高校生×メガネ国語教師。受けは在学当時に受けた傷をいまでもかかえつつ、憧れの恩師に乞われて母校で教鞭をとることに。ある日恩師への想いがイケメン三年生にバレてしまい、脅迫されて云々。

 一人称もやっぱり書き方によっては面白いんだよなあ、と改めて思った。ちょっと文体がとろい印象もあるんだけど、むしろそれは視点人物である国語教師の性格をよく表わしてる感じ。

 展開にかんしては、なんだかこの人ら全然心の交流がないけれど、これでどう(恋愛物語として)展開すんだろう…とか思った辺りで丁度攻めが、たまには話がしたい、とか言い出して、そりゃそうだよなあ、とか思った(笑、しかし結局話をさせてもらえない攻めにはちょっと笑ってしまった。
 年下攻め、しかも年下だけどある程度立場が強い攻めの場合、年上受けは何らかの事情や問題をかかえていることが多いので、受けがそうした自分の問題を克服するという転機がほぼ必ず浮上してくるんだよね。そして恋愛物語としての展開も、その受けの成長と密接に関わってくる。
 その点、きっちりと受けの成長=恋愛成就の構図がとれてるって意味ではよかったんだけど、だからこそ後日談がもうちょっと日常ぽい話っていうか、具体的にいえばアレなしの話(あれ?具体的じゃないぞ?)だったらよかったのにと思う。本編は一人称視点で受けの成長物語なのだからして、視点がどうしてもかたよっちゃうから、後日談で他の視点を入れて補足してほかった。あ、攻め視点話とかでもよいよね。
 他キャラは、いかにも怪しい人がやっぱり怪しかったのです…(笑。ヤクザになってしまった元同級生が妙にオイシイので、もっと活躍してほしかったり。

 あとね、このタイトルはどうなんだ。内容にあんまり関係ないような。しかし学園ものってふさわしいタイトルつけるの難しいよね、とも思う。砂漠、とか貴族、とかみたいなキータームがないものね。制服、とか入れちゃうとポルノになってしまうし(いやそれが悪いということではなく、内容には即さないという意味。だからか、学園もので内容にきっちり即したタイトルって、あんまり見たことないや。

 宮本佳野は個性がつよいというか独特の雰囲気の作家だと思う(絵というより漫画に個性があるという感じだと思う)ので、あまり挿絵に向かない気がする。だって、長髪イケメン高校生とか言われても、宮本佳野が書くとブンかヒカルにしか見えないじゃないか…(笑。ヒカルといえば『RULES』がついに完結するみたいだけれど、四巻まで出てからまとめてよむつもり。

2007年03月05日

橘かおる『大公は彼を奪う』

 これは久々にキタワァというか、来た、読んだ、勝った…何にだ?って感じだった。
 単純に面白い物語とは違う、またそう来るか~という意外性をつかれる物語とも違う。やっぱりこういうのがあたしのツボなんだろうか、と思ったのだが、どこがツボなのか判然としない。しかし判然としないながらも、高尾理一『夜に濡れる蝶』を髣髴とさせる物語ではあったので、やっぱりこの二作の共通点がツボなのかなあ、とも思う。攻めは徹底的に有能な美丈夫で且つエキセントリック、受けは脆い(実は結構めそめそしたりもするんだよね)ながらも凛々しく強靭、という。

 つまり、「ちょっとくらいの問題児ならば、仕方なく全部受け止めてやる」って感じ…アレ?「ちょっとくらいの汚れ物ならば」のもじりのつもりだったんだけど、な、なんか随分全然変わっちゃった…(笑。でもこれなんですよ、多分。ちょっとどころじゃない問題児攻めを「ちょっとくらいの」と言ってしまう度量の広さと、でも「仕方なく」というある種のツンデレ性、それでも「全部」と言ってしまえる雄雄しさ、「~てやる」という主体性、そういう受けが好きです。みたい。
 だから絶対、受けはきちんと一人で立てる人間でなければならないし、攻めは問題児でなければならないのです(あ、勿論これらは好きCPのうちの一つであって、他にも好きな設定はいろいろあるんだけれどね。

 ということで、北方のシレジアという国の皇帝の従兄弟たる大公=外務大臣×在シレジア日本大使。
 まあシレジア=ロシアなわけですが、日本とか、ロシア以外の国はぜんぶ実際の国名で、リャオトン半島の返還問題とかもダイレクトに書かれているので、日清戦争後日露戦争前の三国干渉頃が舞台だと明示されてるも同然。
 ロマノフ王家もロストフと言い換えられているんだけれど、やっぱりロマノフはロマンだよなと思った。あたしにとってロマノフロマンはブルボンロマンともハプスブルグロマンともちがうものである。ロマノフファンタジーと言ったほうがいいかもしれない。たとえば狂気ひとつとってもハプスブルグにおけるそれ(ルドルフ二世とかね)よりずっと陰鬱な印象(この印象には本橋馨子の影響があると思うが。
 しかし、この世界では日露戦争は回避されそうなのも、何だかツボです(何のツボなんだ?

 で、そんな政治的な駆け引きと、大使にメロメロな大公とそれをつっぱねる大使の恋愛の駆け引きが主軸なわけです。全般的に面白かった。
 前述の萌えポイントをおさえた駆け引きはすごく好み。お茶を飲んで倒れる際の受けの反応とか、すごく好き。あと最後のオチとかもすごくあたし好み。
 これの前作とのからみで、皇帝のあたりの描写やなんかはかなりはしょられているみたいなので、前作も読まなければだ。

 亜樹良のりかずの絵は受けが男らしいのでよい。

 しかしあれです、高尾理一の前例にもあるように、この作が好みだったからといって、この作家自体があたし好みなのかどうかはまだわからない…うーん、とりあえず他のも読んで見ます。

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 プラチナ文庫がプランタン出版発行の皮をかぶったフランス書院であることに気付いた。

2007年03月06日

榎田尤利『ギャルソンの躾け方』

 これは…!!!ヤバいくらいに面白かった!!!!
 ここんとこ当たりが多くてうれしい。

 グループ企業の跡取り息子が脱サラ→カフェのオーナー店長×老舗珈琲店の三代目。
 長年の夢だった理想のカフェをはじめた攻めは、ネルドリップにこだわるもののまだいまいちな仕上がり。そんなある日、カフェを訪れたパツキンロンゲのこ汚い受けにコーヒーを一口飲んだだけでけなされて一目ぼれ。駅向こうの名店の三代目でネルドリップの名手だと判明した受けを自分の店に引き入れようとくどきに赴くものの、受けはやる気なし男で店も惨状を呈しており、さらには借金まで。攻めをウザがったやる気なし男に自分はゲイだと牽制された攻めは、……あっ!?何すんのこの人!?

 ということで、攻めは折り目正しい穏やかな紳士で、でもドS。そして二重の意味で確信犯。
 …ウソです。ドSはウソです。ライトSです。
 個人的な好みとしては、性格がもうちょっとエキセントリックだとなおいいのだけれど、でもドS(だからドはいらないというのに)という性癖でも充分な感じ。
「あ、あんたいったい」
「しー。黙って」
 微笑みながらそう見下ろされ、水樹は思わず逃げ出したくなった。作り笑いではない。篠宮は本当に楽しそうで、それがとても恐ろしかったのだ。

 ほらね、充分エキセントリックに見えるから(笑

 ところでこのドS設定(だからドは略)は、性的な描写を入れるBLというジャンル(ジャンルとしては、エロは必須だとも言える)の面白みを充分に活かしているように思える。
 この作品の場合、サドという性癖をもつ篠宮の恋人探しとその恋愛の成就というのは、カフェ運営という本筋の物語とは別立ての物語としてきちんと(まあ単純なものではあるけれど)なりたっていて、しかもその別立ての物語が本筋の物語ときちんと絡み合って、互いに相乗的に奥行きを生み出している。
 別の言い方をすると、この作品は本筋のカフェ関連の物語だけでも成り立つんである。もっと露骨な書き方をすれば、攻めの性癖はノーマルであっても充分お話として成り立っちゃう。でもそこにドSという物語系が併置されることで、更に面白くなっているのだ。たとえばプロローグと本編で視点人物がちがうことなんかも、それぞれの物語が呼応しあうための装置としてうまく働いているんである。

 萌え話に戻すと、この篠宮はドSでありなおかつ、確信犯なのもよい。どうもわたしはただ優しいだけの攻め、というのではないのがスキと言うか、優しいだけではない方が読んでて面白いと思うのだ。
 篠宮は基本は紳士で、話し言葉が丁寧なせいかフジミの桐ノ院圭を思い出すような気もする。比べてしまって申し訳ないのだが、篠宮は桐ノ院ほどには強引でないしエキセントリックでもないし、紙幅のつごうか性癖以外のことがあまり語られていないのが淋しい。けれど、桐ノ院よりももっと確信犯でドSでエッチになると言葉づかいも態度も支配者オーラ丸出し、というのがよく特徴づけられているし面白い部分だとも思う。
 (それで思ったんだが、最近の桐ノ院には確信犯ぶりが足りないというか、悠季の赦せる範囲内でしか動かないというか、素直すぎるというか、正直もうちょっとくらい性格悪くてもいいのになあと個人的には思う)。
 確信犯というのはたとえば、
「私は嫉妬深いんです。きみに抱えられているそのトマトにも嫉妬しそうだ」
「はあ? あんたおかしいんじゃねえか?」
 ぶっきらぼうに言いながら水樹は店に入ろうとした。
 私は両手の塞がっている彼のために扉を開け、その耳が赤くなっていることに満足した。

 と、半分は本気でトマトに嫉妬してるんじゃないかと思われ、でももう半分は受けをいじめるためであるという、一挙両得というか趣味と実益を兼ねてる(笑)というか、そんな態度が確信犯だなあと思う。そしてそれがいいと思う。

 あ、あと受けを苛める前に手をあらう描写が、ツボでした…(笑。こんなん初めて見たけれど、いいじゃないか。

 一方の受けはお行儀が悪いネコ目の美形。父親との確執やそのせいで家を出てダメダメだったのと、がんばってる感じが丁寧に書かれていて、普通によい受け(何だそれ。ただ篠宮を受け入れていくありようはもうちょっと丁寧に書いて欲しかったかも。でも難しいというか、想像がつかないけれどね…ドSに惚れていくノーマル受けの心理って…どんなんだろう。

 町シリーズの中の一作らしいので、続きはないのかな。もっと読みたいけれど。

 しかし、この話に宮本佳野は全然合ってないな…。

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 ドS、とかつい書いちゃうのは様式美です。美しくないけど。

 ところでダイエー系列のアシーネという書店があるのだが、あそこのBLの品揃えはちょっとおかしいというか、なんだかものすごい高確率なんだけれど、スゴ腕の担当者でもいるんですかね。新刊旧刊にこだわらず、人気作家だけでもないんだけれど、扇ゆずはが『嵐が丘』から全部揃っていたりする。そして惹かれたものを読んでみれば大体あたり。ここ最近二件のアシーネに行ってどっちもそんな感じだった。

2007年03月07日

マイケル・グレゴリオ『純粋理性批判殺人事件』

 カレンダーが動作してませんね…。


 久々にあたまにきたというか、ダメな作品をちんたら読み続けてしまったことに腹が立つ。つまらないので読みさして、時折思い出してはどっかにいってしまったのをまた探し出して読んで、たぶん二、三ヶ月は読み続けてしまったのである。

 設定はものすごくあたし好み。晩年のイマヌエル・カントといっしょに殺人事件に取り組もう!なんて、ものすごく面白そう。そして、全く面白くないわけでもない。ヤッハマンやフィヒテの使い方も面白いし、大まかにナポレオンの時代という社会状況もさし色として面白い。

 しかしあまりに描写がダメというか、いやもしかしたら翻訳がダメなのか…。読んでてしんどい。
 そして、時代性もうまく活かせていないというか、殺人事件を論理的に解決するというカントやハノの方法が、これまでの捜査方法とどうちがうのか、がよくわからない。しかしこれはあたしが作者と文化を共有できてないからニュアンスがわかんないってことなのかなあ…。
 また、事件の結末のつけ方もつまらないというかなんというか、隣りの家に塀が出来たって、へー。って感じ。ハノの弟にまつわる昔の事件のほうもなんだかな。
 他にもいろいろ言いたいことはあるのだが、もういいや。
 総じて材料はよいのになあ、という感じで正直オススメしない。

2007年03月08日

中村一義『100s』『ERA』

「もう二十年後に、また会いたい故に、今日、深長に一義を聴く。
 僕らの答えはOZを旋回し、大手振り、金字塔へ戻る」
 …わはは。
 というわけで、最近中村一義をよく聴いてます。

 ものすごいワクワクして買ったのだけれど、聴いてみてナカカズもうダメかなと正直思ったものだった。
 いや、正確にはフェスで初めてキャノンボールを聴いたときからか。

 しかし今では、この『100s』もいいような気がしてきてしまってなんだか切ない。だって、「キャノンボール」に「グッデイ」「セッター」「メヒコ」「新世界」…ん?名曲だらけじゃないか?「いつだってそうさ」とか、「ひとつだけ」とかも最早いいような気がしてきたぞ。ラリラダル♪ダルマ屋化粧品店も好きだ。

 『イーラ』はPC環境で音楽を聴く以前では一番聴いた回数が多いアルバムである。今聴いても身体がものすごい勢いで記憶している。だから『金字塔』とはちがう意味であたしにとっては一番大事なアルバムなんである。
 『イーラ』は一部古参ファンにはあまり評価されなかった気がするが、金字塔とはそれは方向性は違うのだけれど、それでも少なくとも自分はこういう方向だったらまだ全然面白かった。

 だって「1,2,3」が先行シングルで出て、それを聴いた瞬間にそれまでとはかなり異質な曲でありながらも完全に中村一義だったものだから、もう全面降伏してたのだ。「そんなねぇ、この先で、出会う感動も、また、あるとして…、そう!」相変わらずでもあり、『イーラ』らしくもあり。

 「ショートホープ」はやはりあまりにストレートなロックという気もするが、そういうのもこなしてしまうからこそ中村一義はいいんだよな、と今でも思う。メロディもそうだけど、「たとえ、離れ離れになって、たとえ、共にいれなくても、あの日くれた声が今も、本物ならば…」とか歌詞がすごくストレート。

 「威風堂々」はもう、歌詞がすごく好き。「言い逃ればっかすんな…、銃声みたいな言葉でね…。そんな言葉、自分を撃ち抜いて終わりさ」とかすごく大事。

 「ジュビリー」はスゴいな。「そう、君ん中に溢れ出す世界に、決して消えない場所が。それに光あて、赤く染め返せ!君に出会いたいから」スゴいな!こんな言葉があのメロディにのるんだよ?スゴくないか?

 そういえばわたしの今のHNは「ゲルニカ」の「真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら」からもらったのだ。これもベタなロックだと思うけれどやっぱりいい歌だ。ラストのどぎつい歌詞まで含めて好きだ。

 聞き返してみると『イーラ』はやはりロックというか、とげとげしたところの多いアルバムという気が…いや、いやいやあたしが「ハレルヤ」や「君ノ声」をとばしているから遺憾のだ(笑。
 でもつまり、そういうとげとげした厳しいものが『イーラ』の特徴のひとつではあるだろう。「威風堂々」の「合わせてばっかいんな…、いっつも息を殺して…。一人でも行くんだ。あんたに言ってんだ」とかね、キツいから、そこがいいのだ。

 とりあえず『イーラ』までで。

2007年03月09日

高遠琉加『犬と小説家と妄想癖』

 そんなわけで、書きそびれていた既読小説について書こうかと思う。

 官能小説家というか本文の言葉ではエロ小説家×数学教師。
 大学時代はアパートのお隣りさんの仲で、卒業間際にエロ小説家に押し倒してキスされてしまいビビったものの、「二度としない」という誓約書を書かせてつきあいを続けてる。

 正直そんなに面白くはなかった。破綻も瑕疵もないかわりに、凡庸なボーイズラブである。
 ただ、高遠琉加の一人称文体ってやっぱり心地よいし、かわいい時の守村悠季のようなのだ。殊にこの作品は数学教師がメガネなのと、金ひかるの絵のせいもあってか悠季的だった(笑。

 金ひかるは絵が上手い。ただ線が太すぎない方がいいかもしれないと思う。あと、こういう絵はイラストよりも漫画で映えそうな気もするけれど。

2007年03月10日

高遠琉加『世界の果てで待っていて~天使の傷痕~』

 これも去年読んだのである。

 元刑事の探偵×元同僚の刑事
 受け攻めは暫定、みたいな。

 読んだときはそこそこ面白いと感じたけれど、実は特に書きたいことはないのである。
 ボーイズラブというよりも、双子の片割れ失踪事件にまつわる事件を主軸とした展開で、その事件の筋自体も悪くはないけれど特筆したいような魅力があるわけでもない。なので、そこそこ面白いけれども、で?という印象。
 ボーイズラブとしての筋には攻め(暫定)の妹の死が深くかかわってくるのだが、この妹が美しい。…主役二人は、これまた悪くはないけれど、という印象。

 こういう事件を主軸にした展開にするにはこの作家はちょっと文章の力が弱いのかなあ、と思った。他作品での一人称のうまさとかかんがみても、精神面での筋をもっと前面に押し出したほうが面白い作品を書いてくれそう。一般的な感情を書くのもうまいけれど、ちょっと常識を逸脱したところの精神とか書いてみてほしい。なのであたしの個人的な好みもあるけど、奇矯な主人公のお話とか読んでみたいと思う。

 雪舟薫の絵は美しい。

2007年03月11日

中村一義『太陽』『主題歌』

 一義再聴第二弾。

 『太陽』は『金字塔』『イーラ』にくらべるとやっぱり地味な気がするのと、あと彼の歌は良くも悪くも私小説(メタファーとしての)なのであるということを改めて思い出させてくれるのとで、印象的なアルバムである。
 勿論キライではないし、大事な曲もものすごくいっぱいあるけれど、ニガテな曲もある。

 「魂の本」はヤバいなあ。「風が止んで、死んだふりしてたら、飛んだ。こう、両手で」そうでございますか。「もう、さっぱわかんないからねぇ」って言いたいのはリスナーですよ!詩もメロディも『太陽』っぽくっていい曲だ。

 「あえてこそ」は語彙が『金字塔』っぽい気がする。「街のバカに好かれたら…」とか。「あえて」が和えてって意味だってとことか。

 「再会」は地味だがむちゃくちゃ大好きな曲だ。「「終わりだ」と言って、健康に生きている、殺風景よ、さよなら…。また今度ね」という冒頭がもうもうもう、最高にハイってやつだ!

 「日の出の日」はタナソウのことを思い出してしまう曲になってしまった…しかし大好き!「じゃあさ、ちょっとだけ、土手に寝っ転んで、僕等を追ってた夜も、呼び寄せ、」こんなサビがあるか!(笑。詩の内容もあってか、すこしセンチメンタルで美しい。

 「笑顔」もヤバい。全然わからんというか、何が言いたいのかというか、見方によってはつまんない啓蒙ソングにもなりえてしまう。のに、このメロディ、言葉の乗せ方、やっぱりナカカズはナカカズなのだと思えた。歌詞だけ見るとアレ?なのだけれど、曲として聴くとやっぱりいい。

 やっぱり『太陽』は『金字塔』以上にわけのわからない歌詞や日常的な歌詞が多く、そしてメロディが穏やかであっけらかんとしてる気がする。

 「青の時代を延々と行くのも、また一興だ」とか、実はベタでダイレクトに過ぎる気もするし聴き方によってはただの応援ソングでもある。そしてやっぱり私小説である。
 しかしたとえば「成功と失敗、全部が、絶対、無駄じゃない。もう、全然すぐれないような日々も」とかもダイレクトだが「すぐれない」という語彙はやはりいいなあと思う。
 しかしこの曲はとにかく音域が広すぎて、カラオケとかで歌うと限界だと思った。中村一義は高音域が得意なのか、それとも得意ではないけれどメロディとして必要だから平気で使っているのか、未だによくわからない。

2007年03月12日

高岡ミズミ『あなたと恋におちたい』

 というわけでルチル文庫の高岡ミズミをもういっこ読んでみたが…、うーん、いまいちだった。初ルチル?だからかな。

 ノンケの小児科医×MR。
 ひそかにクライアントの小児科医に憧れるMRの少女漫画チックな内面がつらつらと書かれており、悪くもないけれど、ちょっと冗長なのとこなれてないのととりたてて面白みがないのとであんまり楽しめなかった。
 ユギたんも言うように同僚の元カレはオトコマエでカコイイ。陰険な同僚とかは面白いけどもうちょっとうまく使ってくれたらいいのに。
 あと、心の中で考えていることが口に出てた、ってのは結構よく使われる手な気もするが、個人的にはどうも納得がいかないのだ。

 しかしこのタイトルはものすごくわたし好み!うまいなあ。
 自分が虹創作するときとかもよく思うんだけれど、恋愛関係の言葉は新奇なものよりもベタな言葉をうまく組み合わせるってのが大事な気がするのだ。けど組み合わせったってもう何通りも使い古されてしまっているので、いかに新しい組み合わせを作り出せるかってのがミソなんだなと思う。

2007年03月13日

木原音瀬『Don’tWorry Mama』

 最近長文エントリが多い気がしますが、あれです、実は春休みなんです。おさんどんも終わったので、一休みと称してだらけてます。
 で、意外に酷評かもしれません?

 何の予備知識もなく、あ、新刊ですか、っていうか新装版なのね、と思って購入した…してしまった。

 ( ゜д゜)

 裏表紙の梗概と冒頭の二ページくらいで、医薬品会社のイケメンゲイ×性格最悪な上司が出張で来た無人島に取り残されてサバイバル、という構図か…と思っていたら、登場した上司がくそムカつく0.13トンの超巨体様で、アレ?もしかして梗概にはなかったけれど、無人島に謎の美少年でもいるとか…?とか思いつつハッ!と気付いて見返してみるとどう見ても表紙がおかしい。

 実は(実はも何も)わたしあんまり表紙を見ないで買ってしまう方なんですよね。

 とにかく最初の50ページくらいは巨上司の性格の悪さにムカついてムカついて仕方がなかった。
 和解しはじめた辺りから巨上司が少し素直になって読みやすくなった。
 そしてイケメンゲイが巨上司を意識し始めてしまう辺りは少し引きつつ読んでた。だって…0.13トンって相当だもの…ちょっと正直、わからないのだ。
 それでも巨上司の巨体や素直さに萌えてしまう様子がじっくりとっくり書かれていったことと、まあフィクションってかファンタジーだし…と自分をなだめることで次第になんとか面白く読めるようになりはじめ、そういう関係になってしまってもまあ普通に読んでられた。

 しかし東京に戻ってからが全く遺憾かった。超巨体でもサバイバル生活で痩せていくのは予想していたけれど、そして島でも既に痩せ始めてはいたのだけれど、まさか最後には美少年ぽいただの年上童顔華奢美形になってしまうだなんて…なんだか、いままで頑張ってデブ(あ、書いちゃった)に萌えようとしていた経緯をすべて裏切られたかのようでしたよ。

 イケメンゲイは元々若い美少年系が好きって設定だったので、巨上司の色白もち肌ぶりとかは確かに子どもっぽくもあって、巨上司も実はその好みにあてはまってた、ってのは別にいい。だけれどもそこでサバイバルな極限状態の中でとはいえ、超デブな肉体という制約(少なくともイケメンゲイは当初はデブ専ではなかったので、制約だろう)を乗り越えたことの意味はなんだったのさって思っちゃう。
 ていうかこれじゃあ、デブさを乗り越えたら華奢美少年というご褒美がありました、って物語になっちゃうじゃん。そんな使い方ではデブという特徴はただの機能に堕してしまうし、それって〈デブ〉という概念(あくまでも概念として。実際の巨体の方についてはここでは考察をひかえる)を利用しているだけに思えるような…あれー考えてたらなんだかものすごくヤーな感じになってきたなあ…(笑。こういう〈徴用〉には個人的にどうしても嫌悪感をもってしまうんだよね。

 もう少し詳しく書いておく。
 この作品では最終的に受けから〈デブ〉性が失われているので、この作品の中では〈デブ〉は明らかに克服されるべき課題なんだろう。だが攻め視点語りだっていうせいもあるけれど、この物語は「受けが〈デブ〉を克服してカコイイ攻めと結ばれてハピーエンド」という物語では決してないのである(むしろ克服されている課題とは、タイトルが示しているように受けの〈マザコン〉性である。勿論受けを〈デブ〉にすることで、〈デブ〉を問題としないほどの強い攻めの愛情、本気っぷりというのは示せるかもしれないけれど、だったら攻めが受けの〈デブ〉性そのもの(=ふくよかな肉やもちもちの肌、などのデブ特有の特徴)に惹かれていく描写はなんだったのか?と思うと、〈デブ〉という設定は物語を面白おかしく味付けするためだけに使われているとしか思えない。
 だから、この受けが〈デブ〉であるという要素や〈デブ〉に惹かれていく攻めの心情は、物語の全体構造を俯瞰した時に、すごく無用な気がしてくる。美少年になってからは〈デブ〉は消えてしまうし、〈デブ〉だったという設定には違和感すら感じるようになってしまう。こうして全体を見たときに〈デブ〉がうまく機能していない(機能させてもらえない)以上、この作品において〈デブ〉設定はたんなる笑えるネタでしかないのだと思う。
(先日書いた『ギャルソンの躾け方』においては、カフェ空間における本筋の物語とドSの恋愛という傍系物語がうまく呼応していたけれど、本作においては〈デブ〉に恋する物語は傍系にすらなりえてないのである)
 そしてわたしはそうした、キャラや設定を物語に都合よく使ってしまう書き方(主体は語り手でも作者でもいいんだけど)をさして、〈徴用〉と言っているのである。ここでは〈デブ〉という設定が、物語の奇抜さのために〈徴用〉されている。こうした〈徴用〉は、一方的で強権的な行為だし、オリエンタリズムを通り越してコロニアリズムに思えて不快なんである。

 しかし、こんなことまで書くつもりはなかったのだが…。まあ、いいか。

 この作品は別主人公で続編があるそうで、やっぱりちょっと変わったコメディなのかなーと思いつつアマゾンヌでアフィリエイトリンクをつくったついでに続編の書評も覗いてみた――後悔。BLの倫理規範について考えるにはうってつけの作品ぽいので、先入観無しに読んで見たかった…。

2007年03月14日

中村一義『金字塔』

 一義再聴第三弾。

 『金字塔』については今更何か語ることはあるのだろうかという気持ちと、いや語るとしたらものすごく長くなってしまうんではという気持ちと両方ある。でもマヨイガで『金字塔』について書いたことはないし、普段どおり今のどうでもいい言葉で書いてしまおう。

 「どう?」「犬と猫」についてはデビューシングルとして、またはじめてナカカズを知ったきっかけの曲として勿論思い出深いんだけど、でも後述するように実はナカカズを主体的に聴こうとした契機ではないのである。ピロウズの場合と同じように、中村貴子のMスクのOPになってた一ヶ月ほぼ毎日聴いてて、ああいい曲だねとは思ったものの、あたしはあまり歌詞で聴かない方なのでその時はそれ以上には考えてなかった。だからシングルを購入して歌詞カードを見て、こんな歌詞だったのかと吃驚仰天した時にやっと、この曲がすごく特別になったという気がしている。「町を背に僕は行く。今じゃワイワイ出来ないんだ。奴落す、もう。さぁ行こう!探そぜ、奴等…ねぇ」勿論これがあのメロディにのるからこそスゴイので。

 「街の灯」は江戸川をはさんで向こうの人だ、ということを再認させてくれる曲である。

 「天才とは」は最初に聴いた時にはあまりいいと思わなかったんだけれど、やっぱり歌詞を見てからすごく好きになった。「世紀も末なのに、まだバスに頼ろうとしてるようなもんだが、いいんだ。僕らは年中その先見てるし、夜は月が照るんだ。心配は、もう無用だ」とかもうほんと、大好き。だが実は「ウッソー!? イヤ? そうなら…いいなぁ」がすごく大事である。「犬と猫」でもそうなんだけれど、奇矯な歌詞が・素晴らしいメロディに・うまくのる、ってことの力をあたしに知らしめてくれたのだ。

 などとくだくだしく書いたものの、実は「ここにいる」を聴かなければあたしは中村一義のCDを買わなかったかもしれないのである。この曲もやっぱり歌詞よりもメロディが先に来たのだが、もう一瞬で、イントロで既にとりこになってしまったんである。だからこの曲を聴きたいがために、某大学の合格発表の帰りにその足でファーストシングル『犬と猫』を買いに行ったのだ(結局その大学には行かなかったが。でもこれは歌詞もわりとダイレクトで(中村一義にしては)わかりやすいので、歌詞も初聴きからかなりキテた気もする。「トンネルを抜けると、今日は、解放記念日だ」そんな経緯もあって、特別な曲はいっぱいあるのだがこの曲もやっぱり特別なのだ。

 「謎」はすごく好きだ。「落雷の音で、みんなのバスと擦れ違うのも、夢中にさ、歩いてたんで、気付かなかった」のところのこの歌詞とメロディとか、好きだー。「「だって、なんか、そういうのって、いいね」「解ってくれるか」」わはは。
 特に『金字塔』には「天才とは」に曰く「有能な天才」の四人たるthe Beatlesの影響は色濃いのだが、この曲は「Polythene Pam」に似ているなと最近思った。

 「いつか」では「いつか、ああなろうと思ったものから、かけ離れて」とかはナカカズらしくもない気もするのだが、まあそういうこともあるよね。ナカカズの「神」という語彙についてはタナソウ事件のこともあってかうまく把捉できない気がするよ。でも「困ったなぁ~。毛嫌いは、どういう理由?好きなものは多いほどいいのにぃ」とかやっぱりすごく大事。

 「永遠なるもの」はメロディから詩から冒頭のお遊びから末尾の(あえて言えば)自己満足的なおまけまで、あまりにわかりやすく中村一義で、しかしそうとわかってはいてもやっぱりとても大事な曲である。ナカカズらしい中に「愛が、全ての人達に、分けられてますように」とか「全ては、みこころのままに」とかものすごい勢いでわかりやすい言葉や概念が入ってきて、不思議だけれどでもそれがナカカズなんだよなあという気もするのだ。そして、そうした中にやっぱり「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように」という中村一義的な、あまりに中村一義的な言葉が入ってくるのだ。「あぁ、部屋のドアに続く、長く果てない道…。平行線の二本だが、手を振るくらいは…」という冒頭がすごく好きだ。

 「おまけ」にかんしてはやはりどう考えても、「超ダルな時を撃った日から」である。歌詞はここにある。

 「最果てにて」 は勿論随分あとになって聴いたのだけれど、「花の銃を撃て!撃て!撃って咲かせてやんだっっ!」というものすごい勢いと、それでいてのんびりとした演奏の妙がよい。ひとりで演奏しているせいもあってか、すごく初期中村一義的であり大好きだ。歌詞はここ
 (余談だけれどあたしはどうもショボい音が好きみたいだ。ピロウズもそんな感じでシンセをつかわれるとガッカリしてしまったりする。

 ついでに、シングルバージョンの「始まりとは」すなわち「金字塔」は、やっぱりアルバム『金字塔』に(「始まりとは」のかわりに)入れればよかったのになあと思う。
 「全てが解って、何も解らないで…」ものすごく初期中村一義的な言葉とメロディ(というのは勿論シングルバージョンのほうのメロディのこと)で、だからこのタイトルなのだ(「最果て」もそんな感じなんだけどね。「曲がりくねる直線にある点の上でね、」とかすごく印象深い。

2007年03月15日

BL萌えツボタグクラウド。

 小説・漫画にこだわらず、面白かった作品の萌えツボをタグ化しています。

 一例をあげると、「メガネ攻め」というタグがありますが、たとえ攻めがメガネでも、面白くなかった作品には「メガネ攻め」タグをつけません。また、作品は面白かったし攻めはメガネをしていたけれど、別に攻めメガネにはあまり萌えなかった、という場合にも「メガネ攻め」タグはつけません。
 つまり、「メガネ攻め」に萌えた、しかも内容も面白かった作品にのみ「メガネ攻め」タグをつけてるわけです。

木原音瀬『WELL』

 …えーと、BL?でいいんですかね?

 一体、何が書きたかったんですかね?

 あ、未読の方でとりあえず結末を知りたい方へ。全体的に(アレがくるかどうか)は、救助は来ません。BL(いちおう)的ラストは、両思いにはなりません。先に書いちゃう。

 さて、目が覚めたら地上は砂漠化していて、政治家の息子が家政婦の息子=同い年の幼馴染とふたりきりで地下室にいました。自分はひどく怪我をしててよくうごけません。幼馴染はちょっと頭がわるいです。もうダメかと思ったときに駅地下街の生き残りに出会ってなんとか仲間に入れてもらったり云々。続きでは地下街の優しいリーダー田村の視点になり、わるいやつらにだまされてつかまって犯されたりする。

 なんもかも半端。政治家の息子はこんな状態にあっても割り合い冷静で自分勝手、頭のわるい幼馴染は大好きな政治家の息子を守ろうとしていくうちに狂気のふちへ、田村は宗教者でなんとか人間としての尊厳を守ろうと悩み、独善的になっていく。
 というふうに、人肉食や殺人というモチフを配置して、極限状態における人間心理を類型的に並べてみました、という感じで、ぶっちゃけた話、特に面白さとか新奇さはない。

 気になったのは、微妙にキレイに思えること。洩らしても臭くても(言葉はきたなくてすみません)そんなにきたなくならない…気がする。
 比較として、たとえば人肉食のこととかを考えてみると、貴志祐介『クリムゾンの迷宮』とかってえげつない外面的な醜さが出てきてて面白かったんだけど、そういうグロテスクさはこの作品にはない。ディザスターものの典型的なきたなさレベルを超えようとしないというか。

 そういう面が先の内面描写にもつながってくのかなあ。いろいろな人間のいろいろな変化や不変化を書こうとしてるのはわかるんだけど、ディザスターもの典型類型というか、特に見るべきとこがないというか…。

 その意味でも、BLという物語枠に準拠して/もっとBL色を活かして描いたら、むしろ面白いディザスターものになったんじゃないかなという気がする。この作品はどう見てもやっぱりBLではない。ディザスタープラスボーイズラブ、をまっこうから書いたらどうなるかな。勿論陳腐に堕してしまう可能性も大いにあるけれど、陳腐さを回避したところに何か作れないものだろうか。

 あとがきを読むと作者は大分悩まれていたようだけれど、だからといってこの作品がディザスターものとしてもBLとしてもいまいちなことには変わりはないので。

 藤田貴美の絵はぴったり…だが『EXIT』はもう十巻まで出たのか…何巻まで読んだんでしたかね…。

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 ホーリーノベルズ?は本当に木原音瀬専用レーベルなんですかね。新刊案内見たら、作家名がのってないの(笑。これは作家冥利につきそうですがしかし、こういう作品を読んでしまうと、なんというか独りよがり通り越して自家中毒になってしまいそうで、どうなんだろうと思ってしまう。

2007年03月19日

虎丸『ラブ★アナ』

 もう虎丸は新刊では買わないことにする。

 表題作のディレクター×人気者アナとか面白くなかった。受けの目が丸くなってて、絵が変わったのかなと思った。こういう絵になってしまうと、以前のような困った顔の美大人受けでつくってたようなお話はもう期待できなさそう。
 同人誌再録のおいっこ×リーマンは昔の絵でよかった。
 同じく同人誌の内科医×産婦人科医が赤子を預かる話はひいた。

2007年03月20日

森見登美彦『太陽の塔』

 京大農学部生が一年前のクリスマスにふられた彼女に「研究」と称してつきまとう、というお話。
 ファルス志向かつ意図的にか無意識的にかわからないスノッブな文体、という印象をうけました。

 京都のほかの大学に通っている高校時代の友人が、
「京都の女子大生は京大生が奪って行く」
 と言ったとき、私は愕然としたほどだ。
 いくら目を皿のようにして周囲を見回しても、私の身辺には他大学の女子大生を略奪してくるような豪の者は一人もおらず、私も含めてどいつもこいつも、奪われる心配もない純潔を後生大事に守り通しているように見えた。松明を振りかざし、「女子大生はいねがー」と叫びながら、他大学まで女子大生を狩りに行くと一般的に言われている恐ろしい京大生はどこにいるのだ。今でも私はあれを一種の都市伝説と考えたい。

 と、こんな感じ。ちょっとネット文体っぽい気もする。

 しかし梗概に出ている元彼女へのストーキングは冒頭にしか出てこなくて、いろいろな人とものがリゾーム的に出てくる感じだし、物語としてのまとまりはあまりない(リゾームとしての一体感はある。あとあんまりファンタジー的には面白くない。太陽の塔や末尾の「ええじゃないか事件」がファンタジー部分にあたるのだろうが、モチーフも展開もいまひとつ凡庸な気がする。
 あとあたりまえだけどすごく京都という町の描写が多く、それはいいのだけれど太陽の塔がトポス的に唐突な印象。関東在住のわたしには、京大近辺から阪急だかにのって万博記念公園まで、という道のりがイメージできないし、何でこんなに京都のリゾームを描いておいて大阪にある太陽の塔に回収しようとするのか、がいまいちわからないというか伝わってこない(太陽の塔は元カノがらみのモチフなのだけれど、上述のように恋愛物語がうまく機能しているとは思えないので、やはり唐突。でも京都の人なら違和感なく読めるのかな。

 ただ、こういう文体が好きな人が手軽に読むにはいいと思う。わたしは結構好きなのでそこそこ楽しく読んだ。

2007年03月21日

榎田尤利『交渉人は黙らない』

 悪くはないのだけれど、うーむ、という感じ。

 進学校時代の先輩後輩、ヤクザになった後輩×ヤメ検ヤメ弁の交渉人。

 個人的に一番ネックだったのは交渉人かなあ。口のへらない、それこそ「黙らない」交渉人が、高校時代まで殻に閉じこもって誰とも話さないような性格だったということがすごく違和感があって、両親の死後にいろいろあったんですよ、とか書かれていてもその色々が明確には書かれてないからやっぱり違和感はある。まあこのへんは今後書かれていくんでしょうけど。
 それはともかく、そのうるさい交渉人にどうも感情移入できない。脳内がだだもれの一人称はニガテだと何度か書いていますが、ニガテなのは文体そのものではなく、要するに(比喩的な意味でも実際的な意味でも)饒舌な視点人物、なのかもしれない。妙に自信満々な視点というか。自信満々なのに、自分は体力ないからとか留保つけるのも、客観性を保とうとしてるように見えてなんだか好きではない(最近のフジミの視点人物がまさにそんな感じなんですけどね。…うーんしかし、これは多分わたしの個人的な好みだと思うので、あんまり論理的に批判はできなさそうだ。

 ヤクザはメガネだったのでよいと思う(何だそれ???
 事務所のメンバー、寡黙なロシア系(だっけ?)キヨとか、元気なおばあちゃんのさゆりさんとかはすごくベタで、まあベタでもいいけれど、なんか物足りなくもある。

 話の筋自体は、ネゴシエイターという職能をわりあい活かしてつくられていた気がするし、そこそこ面白かった。

 絵については、ヤクザはまあ奈良千春だしすごいカコイイ。交渉人はちょっと雰囲気と合ってない印象。本文からはもうちょっと貧乏そうなふんいきで想像してしまう。

2007年03月22日

菅野文『オトメン(乙男)』1

 ちまたで話題のオトメンをやっと読んでみた。
 …あんまり面白くなかった…。

 菅野文はわたしがまだ花とゆめを買っていた頃デビューした作家で、その頃から絵はいいのだが話がどうにも面白くないなあともったいなく思っていた。しかしもう随分キャリアつんだだろうし、こんなおいしい設定だったら誰が描いてもある程度は面白いだろうし、と期待しつつ読んだのだけれど、あまりに難点が多すぎてハマれない。

 どうも主要人物のキャラが立ちきってない気がする。オトメンこと飛鳥は、乙女な内面とそれを隠そうとする外面という二本柱で、しかし柱しかないぞ?壁や屋根はどこだ?って感じ。なんというか、乙女っぷりが表面的というか、恋をすると裁縫がしたくなるとか、占いが気になるとか、乙女要素の羅列という感じで、いっこの人格としての飛鳥という人間が把捉できない感じというか。だからちっとも感情移入できない。
 不器用女子のりょうちゃんも冒頭みたいな正義感っぷりと後々出てくる天然ぶりはアンバランスで、どのへんに落したいのかよくわからないというかむしろ飛鳥達の行動に体よく引き摺られて(勿論体よくりょうちゃんを〈徴用〉しているのは作家なのだが)キャラ迷子という感じ。いずれも描写の足りてない、設定だけ貼り付けたカキワリのようなキャラに思えてしまう。

 そしてストーリ自体もベタを通り越して凡庸というか、面白みがない。むしろベタ展開を期待していたのだけれど、ベタを通り越して単に単調なだけのストーリになっている。りょうちゃんの父の話とか、特にそんなかんじ。

 しかしこうした難点は、要するにこの作家が漫画がうまくない、ということである気もする。どうもコマのつなげかたや場面の切り替え方がへたで、読んでて入り込めないし、そういう不器用さがキャラづくりやストーリ展開のまずさにもつながっている気がする。
 上述のキャラ設定やベタストーリにしても、もっともっと戯画化して極端な描写で描くとかすれば、もうちょっとインパクトや説得力が出て、漫画としての「力」になっただろうと思うのだけれど、サラリと描いてしまっているという感じ。そういうサジ加減が出来ないという点でも、漫画家としての巧さに欠けている印象を受けた。

 ただ、ちまたでは人気作品らしいので、この作品が楽しめないのはわたしの感性が古くなってしまっているということなのかもしれない。どうしてもやはり漫画としてあまり巧い作品ではないとは思うものの、うまくない漫画でも面白い作品はいくらでもあるのだから。

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 わたしは実は花ゆめ最盛期をぎりぎりはずしてしまったかわいそうな読者(笑)なのだけれど、それでもわたしが読み始めた頃の花とゆめはまだまだ力のある漫画がいっぱいのってた(本橋馨子のやおいくさい漫画がふつうに掲載されていたり和田慎二だってまだいろいろ描いてたりした。それが次第にダメダメになっていって、掲載作品の半分くらいが異性装漫画になった辺りで読むのをやめたのだけれど、とにかくあの頃からどうも花とゆめという雑誌自体の漫画構成能力がものすごく落ちている気がする。まだまだ面白い漫画を描いてる作家もいると思うんだけど、面白い漫画があってもそれは単に作家個人の力量による産物っていうか、〈雑誌〉(編集者やネームバリューや環境すべてをふくめての、『花とゆめ』という〈雑誌〉)は全然バックアップ出来てない印象。
 まあオトメンは別花の掲載らしいのだが、別花は今オールド花とゆめっぽくなっている印象だから。

2007年03月23日

橘かおる『皇帝は彼を寵愛する』

 …うわぁ。早速イマイチだった…!(笑
 最早、笑う。

 というわけで、こないだ読んで大いに気に入った『大公は彼を奪う』の前作なわけですが、『大公…』では前提とされていてあっさりとしか語られていなかった、北の大国シレジアのツァーリ×日本大使館付きの武官。のお話。

 たおやめ的な外見の武官は、幼い頃に父である外交官にくっついてシレジアにやってきて、皇太子に気に入られて仲良くなったのですが、勿論父の任期終了とともに帰国。二十年後、シレジアに内乱を起こすための工作要員という密命をうけて、ふたたびシレジアの地へ。

 ツァーリと逢瀬をかさねつつ、しかし仕事の上では祖国のためにツァーリを裏切らなければならない、という板ばさみ武官の苦悩、なわけですが、この武官はメインの視点人物だというのに、彼のツァーリへの愛情はほとんど言語化されていなくて、懐かしい幼馴染への感情、がいつどこで愛情に変わっていたのかがわからない。いきなり襲われて散々抵抗してたくせに突然受け入れちゃうのもわけがわからない。そんな感じであんまり感情移入できないというか、読者が置いてけぼりというか。読者を疎外して勝手に一人で盛り上がってませんか?視点人物なんだから説明責任を果たしてよ、という感じ。
(『大公…』の大使の場合も大公への愛情についてはかなり唐突に語られるのだけれど、この場合唐突さにはきちんと意味がある。つまり、立場上大公の愛はどうしても受け入れられないのだけれど、それでも惚れてしまいましたよ、というどんでん返しなので、唐突な愛情の言語化は効果的に活きている)

 一方のツァーリはいいかんじに尊大で中々よろしいのだけれど、すっごい激情家で、傲慢攻めが好きなわたしも流石にしんどかった。しかし何しろ役職(?)がツァーリなので、これくらい徹底的に書いてくれて全然構わないというか、確かに読んでてちょっとしんどかったけれど、でも好印象ではある。

 お話としては、尊大なツァーリにふりまわされまくりつつ板ばさみに苦しむ武官と、ツァーリへの裏切りの露見というあたりがメインなわけですが、どうもお手軽な印象があってイマイチだった。恋愛物語としては、結局ツァーリが強引に話をすすめましたね、という印象しか残らなかった。シレジアの行く末についても、どうもロシア革命は起こらずに議会を発足しそうなんですが、まあ攻めがツァーリなんでしょうがないけれど、なんだかあまりにご都合主義だなあ…。日露戦争が回避されるのはいいと思うんですが…(笑、って、なんでこう受け取り方が違うのだろうか、自分でもよくわからない。

 あと、せっかくロシア→シレジア、ロマノフ→ロストフと言い換えているのに、革命家ウリヤノフはそのまんまっていうのはツメが甘いというか何というか。うがちすぎかもしれないけれど、読者はレーニンの本名なんて知らないだろうとタカをくくっているのだろうか…。

 うーん、というわけで全体としての印象はいまひとつ、というところだった。ただ、超つまんない、というほどでもなかったけれど。でも『大公…』とくらべるとイマイチだし、『大公…』が面白かったのはわたしのツボCPだっただけなのかもしれない、と思うとこの作家にたいする評価はまだ保留だなあと思う。

 ただ、印象に残った場面とかもあって、特に再会の場面はよかった。
 ツァーリは幼い頃武官に日本語を教わり、かわりにシレジア語を教えてあげたわけなのですが、再会の場面において大使ですらない職員の着任挨拶にずかずかと踏み込んで、任務の都合上目立ちたくない武官が初めまして、とかシレジア語で挨拶しつつ頭を下げた瞬間に頬をはって、「その言葉、誰に習ったと思っている」なんてかますところは、ものすごく好きです(笑

 絵はツァーリはムキムキでいいのだけれど(笑、武官が雛人形みたいでどうも困る。まあ確かに本文内で雛人形みたい、って書かれちゃってるから、仕方ないんだろうけれど。

 …あ、すいません、本文ではツァーリという言葉一回も出てきてないや。

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 尊大攻め、というタグが必要だなあ。でも傲慢と尊大はどうちがうんだろう?

2007年03月25日

三崎亜記『となり町戦争』

 作者は男性だったのか、と驚いた(笑。自分ばかだなあ。

 内容はつまらない。つまらなかった。
 町の振興策としての戦争にかかわることになった男が、戦争がどこで行われているのか一見全然わからないお、と思い続けるお話。
 見えない戦争というモチーフは面白いと言えば面白いし、それを一人称で書こうとすれば何にもわからないお、状態になってしまうのもむべなるかななのだけれど、やっぱり煙に撒かれた感じがする。見えない戦争が最後まで見えませんでした、ってだけに終わっている印象で、小説の(広い意味での)面白さよりも見えない戦争という現象を指摘することを追究したいのではないか、と思えてしまう。わざわざ小説という形をとる意味はあるのだろうか。たんなるプロパガンダ以上の意味は。
 そしてあまりに言葉や表現が直截的で、どうもこの文体が好きになれない。感情や動静をすべて書いてしまっているように感じる。直截的で、よく言えば素直で、悪く言えば鈍感、な印象。
 あと、わたしは「町」という行政単位になじみがないので、この言葉にすごく違和感があった。単純に「市」くらいの感じで考えていいのかなあ。その違和感が余計にこの物語をあざとく感じる要因になった気もする。

 ところで香西さんはある意味萌えキャラだと思った。いわゆる〈綾波レイ系統〉の女性という印象。小説で書かれると、漫画やアニメで見る以上に空疎なキャラだなあと思った。

 香西さんといえばところで、これを読む前には、主人公が戦争中のとなり町の女性と恋に落ちる話だと思っていたのでした。

2007年03月26日

榎田尤利『ごめんなさいと言ってみろ』

 …。
 『ソリッド・ラヴ』『交渉人は黙らない』と読んで、うすうすそうかも、とは思っていたけれど。
 やっぱりわたしは、榎田尤利の一人称語りは苦手っぽい。
 でもこの作品の場合、ダメなのは語りの問題だけではないっぽいが。

 ハードボイルド系作家×少女漫画家。パーティで出会いひと悶着した二人が小説と漫画のコラボレーション企画で仕事をすることに。

 この作家、作家視点のプロローグで漫画家の美しさに目をうばわれた後に、パーティで漫画家と揉めたり、その後半年がかりで口説き落とした人妻と情事してみたりするので、これって全部漫画家の興味をひくための伏線?にしてはやりすぎで引くよなあ…と思ったけれど、結局こうした行動に作為はなかったようで、それもまた引くっていうかよくわかんないなあ、という感じ。冒頭でああいう語りがあったら、もう漫画家のことが好きになってるハズだと思ってしまうのは、BLの解釈コードとしては一般的な読みだと思うし、だから人妻との逢瀬とかめちゃくちゃ引くと思うんですが。
 まあそんなわけで、こうした恋愛面でのわかりづらさもあってか、作家側の感情の動きがよくわかんない(いやニブちんな漫画家に内心ニラニラしてるのはわかりやすいんだけど、契機とかが不明で唐突な気がする)し、キャラとしても魅力が薄い。尊大な人気作家で、傲慢なモテ男で、でも離婚した妻にとられた子どもの前ではいいお父さんで、といういろんな側面も、どうもばらばらな印象。

 そしてやっぱり、一人称語りもネックというか、漫画家もイマイチ。この少女漫画家には『交渉人』の交渉人みたいないやらしさ(いやらしさとまで言うこともない気がするのだが、他に言葉を思いつかない)はないけれど、高慢な猫のようで・天然でにぶいってのは、ただでさえ難しいキャラだし、この作品においてもうまく書けてるとはちょっと思えない。作家おとしいれ作戦が失敗してみっともない状況をあばかれてみたり、そういう子どもっぽさはやっぱりちょっと読んでてむずむずする。
 ただ、徹夜でネームきったりする辺りはよかった…単にわたしが漫画家表象に弱いだけなのだが…。

 あと、絵がニガテ。特に作家とか、場面ごとに顔が違う印象。

 しかし、一人称って難しいんだなあ…。一人称語りって結局、語り手となるキャラの魅力でひっぱっていかなくちゃイケナイので、なるべく多くの人に好きになってもらえて、感情移入しやすいキャラをまずつくらないとならない。その点を乗り越えたとしても、どうしても一人称のエクリチュールには語り手の自意識が飽和してしまう(勿論それって一人称語りだけの問題ではないのだけれど)しそれをウザいと感じる人はどうしても出てくるだろうし、読者を選ぶ気がする。

2007年03月27日

高尾理一『熱砂の夜にくちづけを』

 金髪に緑の瞳の某アラブの第六王子×アメリカの牧場で働く日本人青年。
 馬の競り市にはじめて自分が出産に立ち会った思い入れのある馬を売りに行ったら王子に見初められ、よくわからないうちに馬ごと買われてしまった受け。
 
 王子が自分を金で買ったことに猛反発し、しかし次第にほだされていくという、まあ典型展開というかアラブの話型でそう変わったところもなく、だが後半はやや均整に欠ける(展開と構成がきれいでないというか)気もした。でも、高尾理一らしい面白さはあったので個人的にはよかった。

 というか、面白いのはやっぱり文体なのだ。
 そしてやっぱりこの文体を活かすには、受けは生意気でなければならないのかもと思った。
 急いでイギリスから帰ってきたのに、状況を説明するまでサンドイッチを食べさせてもらえない攻めとか、理不尽なことで怒り出したところでサンドイッチを口に入れられちゃう攻めとか、お話的にはいいところで超可笑しくて、強くて生意気「なのに」可愛げのある受け、を書かせたらやっぱりうまいなあと思った。

 また王子のキャラも典型で、アラブBLのシークや王子って半分以上はヨーロッパ系、しかもそっちの血が色濃く出ていて、その目立つ外見のせいで苦労してる気がしますが、この攻めもご多分に漏れない欧州系アラブ美形攻めなのですよ。だけれどたとえば「ミソッカスのアラブ人」という表現みたいなのは高尾理一らしい語彙だなあと思ったし、自分勝手なダメ攻めぶりがちゃんと書かれてるのも高尾理一らしいし、よかった。

 しかし、絵が…ダメだ…。そもそも富士山ひょうたがあまり好きではないのだ。

 あとタイトルもよろしくない。全然合ってない。

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 高尾理一は感想を書いてない既読作品がまだ三冊くらいあるのですが、なんだかタイミングを逃してしまった感じ。

『アフタヌーン』五月号

 どうもやはり西浦ピンチ展開だとモチベーションが下がるようで、今月は発売日を見逃してしまったりした。
 意外と狭山戦は展開がはやかったので、びっくり。もっとゆっくり展開するだろう=今月も西浦はピンチで対策はじまるのはもっと先だろう、と思っていたから(だからモチベーションが低かったのだけれど)、今回結構光明が見えてきたっぽくって安心した。

 泉…あんなにカッコいいのに身長はカワイイからなあ…。頑張って活躍してほしいなあ。
 野球の王子様こと田島様はナメちゃダメだよなあ…(笑
 そして、やっぱり阿部って強いなあ、と思った。まだきっと冷たい手をしてて、盗塁ゆるしちゃうし、どう見てもいっぱいいっぱいなはずで、でもモモカンに「やらして下さい!」ときっぱり言えちゃう阿部って、いろいろ読み方があるだろうけれどわたしは強いなあ、と思った。
 岳史は、あやしい…怖い。怖いけど、なんとなく西浦勝つんだろうな、って気がしてきたので、そんなに恐ろしい展開にはならないかな、とも思う。っていうか、ロカがそんな汚い手を使うような人だとは思わなかったよ!(笑

 三橋がちゃんと打者の好きなコース覚えてて考えてるのは、よかったっていうか阿部の窮地にオロオロしてるだけ、にはならなくてよかった。ていうかやっぱり三橋が反撃のきっかけになりそうで、単純にうれしい。
 そして泣きそうになってる三橋にブチ切れる阿部は、強くて偉くてもやっぱり子どもで自分勝手なとこあるし、やっぱりいっぱいいっぱいなのだ、って感じだ。この試合を通してそんな阿部が成長するところが描かれると、更にいいなあと思う。

 ところで、二回に入るときに三橋に声をかける花井がすっごくすっごくイイ…!!いや、そういう意味でなくて…そういう意味もあるけど…!!!(笑。最近のこの二人がすっごいイイよ!(笑
 いやそういう意味でなくて普通に、三橋をフォローしようとする花井って、たぶん三橋がオドオドしてるから声掛けてやろうって思ってて、でもそれって自分は主将だからっていう責任感から出た考えだろうし、だから三橋に声を掛ける=主将として振る舞うことが自分の活力にもなってるっぽくて、でもその中にも確実に三橋への好意もある感じ(少なくとも嫌悪とかはない)だし、それでも花井なので栄口や田島や泉みたいにうまくコミニュケーションとれないし…ってその状況すべてがツボです!今のとこ、お兄ちゃん田島を追い抜いて最モエコンビですよ…いや、ほんとそういう意味でなくって!普通に友達関係として、いいなあと思うんだ。仲良し、ではなく、少し遠い、それでも思いやる関係、に萌える。…はッ。しかしこれ、よく考えたら一方通行だ…!(笑。三橋からのアクションが欲しいなあ。
 いやほんと、そういう意味ではなく、なんていうか、こう、三橋に友達が増えるとうれしくなるじゃないですか(阿部にも友達が増えると…いいなあ、笑



 そんなこんなで、もうやられっぱなしの展開は終りっぽいし、これまでに貼ってきた伏線がいっぱい表に出てくる感じになってきて、楽しくなってきた。阿部のあれこれはもとより、花井、三橋の活躍、更には岳史のラフプレーで誰か負傷したら西広先生の公式戦初出場もあったりして?とか、いろいろ期待してしまう。

 そして、アニメも楽しみ。
 ラフやラッシュがきれいでも実際の作画レベルがどうなんのかわかんないので(外注しちゃうのかもしれないし)やっぱりまだまだ不安だけれど、でも今のところすごくいい感じ。挙動不審な三橋がカワイイ。
 作者の柱コメントが面白かった。三橋役の方が素で挙動不審だとか、水谷役の方が決まった経緯とか。
 小冊子はなんで泉と水谷のラフがないのかな~と不満。監督は花井と栄口が好きらしいので、性格かわいい世話焼きっ子が好きなのかなあ、と思った。



2007年03月28日

高尾理一『危険な指先、甘い誘惑』

 某研究所で爆薬の開発者?×元ボクサーのアメリカで修行したボディガード。

 攻めは研究所の悪事を内部告発しようとしてわるものに追われていると言って受けにボディガードを以来、受けは妙によゆうっちで明らかにうさんくさい攻めに不審を抱きつつ金欠のためにその依頼を受けてしまい、逃走生活に入る。

 内容的にはそんなに悪くもないのだけれど、キャラが重要(だと思う)なBL的にはかなり微妙。
 まああんまり攻めが怪しかったので、最後にタネあかしがあるのは予想してたし、そのせいで前段の設定・関係性がひっくり返されるのも予想していたけれど、あんまりちぐはぐでなんだかケムにまかれたみたい。攻めの変貌っぷりがすごくてついて行きにくい。最初はタイトル通り攻めのきれいな手に着目していた受けが、途中から突然ヒゲ萌えするのもよくわからない…。

 実は同人誌を先に購入してあったので、これに続けて同人誌も読んだのだけれど、ますます関係性が変化しているのでますますちぐはぐな印象になってしまった。

春ですね。

 …えッ!?もしかして、もう三月終わっちゃうんじゃないの!?

 って感じで感傷的になる暇もなくめまぐるしいのですが、感傷的なことも書いておこう。
 大変なこともあったし自分の未熟さも再確認したけれど、やっぱりこの一年はすごく楽しかった。
 この仕事を続ける上でどこで折り合いをつけるかは、人それぞれだと思う。折り合いっていうのは、どこにやりがいを感じるかってことともちょっと違うんだけど。わたしの場合は「そう」思えなければ続けていけないなあと思うので、あと何年「そう」思っていられるか、ちょっと不安もある。とりあえずしばらくは、「そう」思えたこの一年のことを忘れないようにして頑張ろうと思う。でも一方、記憶にだけ耽溺してしまうとそれはそれで辛くなってしまうので、常に前へ前へ、冒険家のように進めマイフット。

 ということで、新年度から他県の支店に異動します。こんどはフルタイム勤務です(いやちっともフルタイムではないのだけれど、笑。学籍は抜きました。ついに職業:学生とは答えられなくなるのか…(笑、未だにそう答えていたことの方が驚きですが。
 しかしとにかくすごく忙しくなりそうなので、マヨイガもどうなるかちょっとわからない感じです。勿論やめはしませんが、今年度以上に乱雑なエクリチュールになりそうな気もします。でもまあ挑戦者のように走れマイフット。かかとを鳴らして!

2007年03月29日

橘かおる『その唇に誓いの言葉を』

 謎のエグゼ×社長次男。

 妾腹の子で父は見ないふり・兄は憎悪丸出しという環境の実家・会社では目立たぬようにひっそり生きている受けは夜の街では奔放に遊んでおり、謎のエグゼと出会い一晩をすごす。攻めの策略で会社に敵対的買収がしかけられたりなんだりで、父兄に人身御供にされそうになり、家を出て自活しつつ、攻めに口説かれる受け、とか。

 とくに最初の方、攻めは言動に一貫性がなく感情移入できない。受けも奔放さとか実は真面目で堅実っぽいとことか実家での猫かぶりとかなんだかまとまりがなく、冒頭と後半ではちぐはぐな印象。感情面とか恋愛面ではあんまり面白みがないし、テクニカルな筋で読ませるタイプのお話だと思うのだけれど、その筋も凡庸でしかしなめらかに展開せず、全体的にイマイチだった。

いとう由貴『うたかたの月』

 汞りょうの超美麗なカバー絵に惹かれてつい手に取ったら、『禁断の罪の果実』の作家か。

 謎の某国人×大日本帝国諜報部員。

 日清戦争後、対露政策の関係でロシアに隣接する某国に工作のため留学生として潜り込んだ受け。ロシア人の皇太后と、その息子たる皇帝への反感を利用して内乱を起こさせようと動く中、謎の男にバレてしまい身体を要求される。謎の男は、内乱に利用するために近づきたかった皇帝の兄に面会させてくれたりと、身分も意図もわからない。

 うーん。ごめん。どうもどうでもいい。
 どの登場人物も策略をめぐらせているのだが、どいつもこいつも考えが甘く穴だらけで、もうちょっとうまく動けないものかとか思ってしまう。そんなんだから話の流れもスムースでないし、誰が何をしたいのかよくわからずごちゃごちゃしてしまっている。そしてご大層な言葉のわりに理念も中途半端。皇帝の兄とかダメすぎ。

 BLとしては、途中までは唐突な関係性についていけない感じだったけど、謎の攻めが自分の気持ちを自覚するシーンとかは面白かったし、そこにおいては唐突さもうまく活きていた。でも結局、その後っていうか気持ちが通じ合った後がどうもいまいちで、上記のごちゃごちゃした筋の影響もあってか、いろんな意味で発展性がない終わり方になってしまった気がする。だから十年後の後日談もあんまり面白くなかった。

2007年03月30日

鳩村衣杏『ドアをノックするのは誰?』

 大学教授×リーマン。

 献身的過ぎる受けにとまどう遊び人攻め…ということだったので、受け視点だとは思ってなかったのでちょっと驚いた。まあその後、視点は入れ替わりですが。
 年の離れた弟妹の面倒を一人で長年見てきた受けは、弟が北海道に転勤、妹も結婚が決まって手が離れたのを期に大学のケルト講座を受講、その講師だった攻めに食事に誘われ口説かれる。一気に面倒を見る相手が居なくなってしまって淋しく思っていた受けは、自分は尽くす相手が欲しいしその対象は別にこの人でもいいんではないか、と即判断して攻めの申し出を快諾、呆気にとられつつ喜ぶ攻め。攻めは受けの家に招かれたり手料理でもてなされたりしてくうちに受けに本気でのめりこむものの、受けが浮気容認発言をするに至ってあれ?変じゃね?と気付いて、云々。

 ライトなコメディで文体もほどよく軽妙で、面白かった。
 受けが申し出を受けてから家に攻めを招く日までにケルト文化や大学教授という職業、はてはゲイセックスについて丹念に勉強していたあたりとか可笑しい。オチも適度にベタでよかった。

 ただ、オチがついてから後とか後日談とかが、なんだか受けが急にわがままで、それは別にいいんだけれど程度問題というか、描写の問題なのかもしれないけれど、なんだかイマイチだった。
 あとわりとどうでもいいけれど、アクションシーンというか、人を殴ったりする場面に妙に違和感があり、ちょっと変。

 佐々木久美子は挿絵では初めて見た気がするけれど、結構いいかもと思った。

乃木坂太郎『医龍』11~13


 おお、11巻12巻について書くのを忘れていました。11、12辺りのメインは三例目のバチスタ終了と国立ですかね。そういえば最近本誌ではバチスタが出てこないですね。国立は最近すっかりヒールっぽくなってきてしまいましたが、この後どう動くのか興味津々です。

 13巻は、なんだかやっぱり、加藤がぼろぼろでかわいそうですな。ここからどう立ち直るんだろう。朝田のUCLA話はやさしくない喝だと思うし、みんなが戻ってきて立ち直るのではなくて、加藤自身が一人で立ち直ることになると思うんだけれど、そんなふうにダントツに強くあることを求められてしまう加藤はちょっとかわいそう。まあでも、それくらいでなければ教授にはなれないのでしょうけど。

 朝田は伊集院に何を求めているのか、そろそろはっきりしてほしい(笑。自分のことを嫌っている研修医を育てるというのは、朝田にとってどういう意味がある行為なんだろう。考えてみると、この漫画って朝田がすごい勢いで空白で、あんまり考えとかが言語化されてなくって、周囲の視点から朝田という人間を描き出していく感じなんだよね。たまに語ったかと思えば、人を切るのが面白い、だし…(笑

 …で、その伊集院が、霧島にとっては朝田との絆になっていくってのがほんとやおいだなあ、って感じですが…(笑。
 最近本誌で、主人公のような菩薩のような顔の霧島しか見ていなかったので(笑、そういえば霧島こそヒールなんだった…!とようやっと思い出しました。藤吉が、伊集院が加藤の元にもどることが「正しい選択」だと表現してるのを見て、そう言えば朝田落しいれ&患者見殺しのほかにも、無用なバチスタ切ったり内臓逆位の赤ちゃん追い返したり、してたんだよなあ、と…。そんな霧島を、伊集院はどうやって受け入れるのか、これまた楽しみですね。

2007年03月31日

橘かおる『砂漠の鷹と暗殺者』

 これは…!!!ものすごい勢いでツボだった…!!その日のうちに三回くらい読み返しちゃったよ!(笑、いやほんとに。

 碧眼のアラブ某国皇太子×その小姓、実は皇太子の命をねらうアサシン。
 …わー!(笑、なんてベタな、そして危険な設定なんでしょう。ベタはベタでも、へたに書くとつまんなくなる可能性の高い、難しいベタ設定な気がするんですが、少なくともわたしはとっても面白かった。

 後述するように、受けがものすごい勢いでかあいそうなんですよ。
 かあいそうな受け、という設定は、他にどんな設定展開を組み込もうと、基本の筋は落窪もの(シンデレラもの)、つまり、かあいそうな境遇の受けが王子様に救われるという、すっごい単純な物語になってしまうと思う。でもわたしはそういうの実は大好きでして(笑、そしてどうせなら、王道は王道のまま、美しいまでの王道っぷりで書いてほしいなあと思う。また更に、その王道でベタな物語にどのような色を・どのような匙加減で入れるか、によって、更に昇華された面白みが生まれる可能性もある。
 で、この作品はドがつくほどベタに王道に書いてくれているし、そこに個性をもたせるためのさし色もすっごく魅力的で活きていて、つまりとても面白かったのですよ。

 受けは日本人の母とアラブ人の父の間に生まれるが、アラブの生活に耐え切れなくなった母が日本に帰国、その後父は事故で死亡。部族預かりで育つも、むりやり男娼にされてしまう。そんな折に某部族のシークに拾われ、才能を見出されてアサシンに。皇太子の暗殺へと差し向けられたものの、かなり冒頭の方で失敗、投獄、拷問。
 皇太子はいろいろ考えた末に、受けを今までどおり側に置くことを決意。受けは皇太子の周囲の人々に白い目で見られつつ彼のお世話をするうち、アサシンの受けに対してさえ優しく度量の広い皇太子にずんずん惹かれ、でも皇太子は弟の彼氏が好きらしいし・自分なんてアサシンだし・元男娼だし・それでも暗殺をやめたら側に居させてもらう理由がなくなってしまうし云々…となんかもう様々な方面からの板ばさみというか、板は何枚あるんだ?って感じのかわいそうっぷり。

 かわいそうな受け、は、ほらほらかわいそうでしょ!同情するでしょ!みたいな書き方されたり、冷静に考えると自業自得的な面があったりすると途端に萎えてしまうものですが、この受けは設定も性格も判官びいきにうってつけというか、凄絶な過去と健気でかわいくてでも強い内面とがしっくりきていて、ステキなかわいそう受け(笑…)だと思う。

 攻めはどうやらこの作の前にあったシリーズのアテウマ役だったようで、弟の恋人に横恋慕してふられてから、その人を今でも思い続けている。外見的にはこれまた典型的な欧州系美形なアラブ王族なわけですが、テロか何だかのために頬にケロイドが残っているという…なんて燃える設定!(笑、結構最低っぽい発言だな…。性格にかんしても堂々たる態度と優しい内面とが王子的で、これまた良い攻めですね(笑

 あと、受けに執着するシークとか、周りのキャラもそれぞれ面白かった。
 物語の展開もドがつくほどベタで、しかし飽きさせない感じでとてもよかった。

 絵は汞りょうがピッタリでよい。受けがかわいい顔なのに妙にマッチョでちょっと可笑しい。
 ところでしかし、汞りょうの大人っぽい受けというのを見てみたい気がするのですが…。

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