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[ 読書/BL小説 ]

木原音瀬『Don’tWorry Mama』

 最近長文エントリが多い気がしますが、あれです、実は春休みなんです。おさんどんも終わったので、一休みと称してだらけてます。
 で、意外に酷評かもしれません?

 何の予備知識もなく、あ、新刊ですか、っていうか新装版なのね、と思って購入した…してしまった。

 ( ゜д゜)

 裏表紙の梗概と冒頭の二ページくらいで、医薬品会社のイケメンゲイ×性格最悪な上司が出張で来た無人島に取り残されてサバイバル、という構図か…と思っていたら、登場した上司がくそムカつく0.13トンの超巨体様で、アレ?もしかして梗概にはなかったけれど、無人島に謎の美少年でもいるとか…?とか思いつつハッ!と気付いて見返してみるとどう見ても表紙がおかしい。

 実は(実はも何も)わたしあんまり表紙を見ないで買ってしまう方なんですよね。

 とにかく最初の50ページくらいは巨上司の性格の悪さにムカついてムカついて仕方がなかった。
 和解しはじめた辺りから巨上司が少し素直になって読みやすくなった。
 そしてイケメンゲイが巨上司を意識し始めてしまう辺りは少し引きつつ読んでた。だって…0.13トンって相当だもの…ちょっと正直、わからないのだ。
 それでも巨上司の巨体や素直さに萌えてしまう様子がじっくりとっくり書かれていったことと、まあフィクションってかファンタジーだし…と自分をなだめることで次第になんとか面白く読めるようになりはじめ、そういう関係になってしまってもまあ普通に読んでられた。

 しかし東京に戻ってからが全く遺憾かった。超巨体でもサバイバル生活で痩せていくのは予想していたけれど、そして島でも既に痩せ始めてはいたのだけれど、まさか最後には美少年ぽいただの年上童顔華奢美形になってしまうだなんて…なんだか、いままで頑張ってデブ(あ、書いちゃった)に萌えようとしていた経緯をすべて裏切られたかのようでしたよ。

 イケメンゲイは元々若い美少年系が好きって設定だったので、巨上司の色白もち肌ぶりとかは確かに子どもっぽくもあって、巨上司も実はその好みにあてはまってた、ってのは別にいい。だけれどもそこでサバイバルな極限状態の中でとはいえ、超デブな肉体という制約(少なくともイケメンゲイは当初はデブ専ではなかったので、制約だろう)を乗り越えたことの意味はなんだったのさって思っちゃう。
 ていうかこれじゃあ、デブさを乗り越えたら華奢美少年というご褒美がありました、って物語になっちゃうじゃん。そんな使い方ではデブという特徴はただの機能に堕してしまうし、それって〈デブ〉という概念(あくまでも概念として。実際の巨体の方についてはここでは考察をひかえる)を利用しているだけに思えるような…あれー考えてたらなんだかものすごくヤーな感じになってきたなあ…(笑。こういう〈徴用〉には個人的にどうしても嫌悪感をもってしまうんだよね。

 もう少し詳しく書いておく。
 この作品では最終的に受けから〈デブ〉性が失われているので、この作品の中では〈デブ〉は明らかに克服されるべき課題なんだろう。だが攻め視点語りだっていうせいもあるけれど、この物語は「受けが〈デブ〉を克服してカコイイ攻めと結ばれてハピーエンド」という物語では決してないのである(むしろ克服されている課題とは、タイトルが示しているように受けの〈マザコン〉性である。勿論受けを〈デブ〉にすることで、〈デブ〉を問題としないほどの強い攻めの愛情、本気っぷりというのは示せるかもしれないけれど、だったら攻めが受けの〈デブ〉性そのもの(=ふくよかな肉やもちもちの肌、などのデブ特有の特徴)に惹かれていく描写はなんだったのか?と思うと、〈デブ〉という設定は物語を面白おかしく味付けするためだけに使われているとしか思えない。
 だから、この受けが〈デブ〉であるという要素や〈デブ〉に惹かれていく攻めの心情は、物語の全体構造を俯瞰した時に、すごく無用な気がしてくる。美少年になってからは〈デブ〉は消えてしまうし、〈デブ〉だったという設定には違和感すら感じるようになってしまう。こうして全体を見たときに〈デブ〉がうまく機能していない(機能させてもらえない)以上、この作品において〈デブ〉設定はたんなる笑えるネタでしかないのだと思う。
(先日書いた『ギャルソンの躾け方』においては、カフェ空間における本筋の物語とドSの恋愛という傍系物語がうまく呼応していたけれど、本作においては〈デブ〉に恋する物語は傍系にすらなりえてないのである)
 そしてわたしはそうした、キャラや設定を物語に都合よく使ってしまう書き方(主体は語り手でも作者でもいいんだけど)をさして、〈徴用〉と言っているのである。ここでは〈デブ〉という設定が、物語の奇抜さのために〈徴用〉されている。こうした〈徴用〉は、一方的で強権的な行為だし、オリエンタリズムを通り越してコロニアリズムに思えて不快なんである。

 しかし、こんなことまで書くつもりはなかったのだが…。まあ、いいか。

 この作品は別主人公で続編があるそうで、やっぱりちょっと変わったコメディなのかなーと思いつつアマゾンヌでアフィリエイトリンクをつくったついでに続編の書評も覗いてみた――後悔。BLの倫理規範について考えるにはうってつけの作品ぽいので、先入観無しに読んで見たかった…。

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