恋は桃色
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 ベッドの上に腰を下ろすと、白い包帯をしげしげとながめて、ギイはため息をついた。
 痛めた左腕は、しばらくは使い物にならないらしい。ねんざは重く、病院ではギプスも提案されたのだけれど、治りが早くなるとはいえかなり不自由な状態になるわけだし、ギプスなんてして戻れば託生も心配するだろうと思って、なんとかそれは避けてもらうことにした。かわりに、テーピングと包帯とでぎっちりと固定されている。
 今は痛みどめを服用しているから何ともないような顔をしてはいるつもりだけれど、本当はまだかなりの痛みがある。託生や周囲の友人に心配をかけたくなかったし、そして高林に過度の罪悪感をあたえるのもいやだったので、黙って我慢することにしたのだ。
 その高林は、どういう心境の変化なのか、妙にしおらしく謝罪してきたのには驚かされた。けれど、今となってはあのような素直さもきっと彼の本質なのだろうと納得できるような気がした。そんなこともあって、ギイはこれ以上彼を責める気にはなれなかった。
 ベッドの上に背中をあずけ、天井を眺める。
 誰かを責めるつもりは、ないのだ。
 託生がケガをしそうだった、それを助けたかった。これはその結果だ。それだけだ。だけど───扉が開く。
「ギイ? 水、買ってきたよ」
「ああ、サンキュ」
 託生の抱えてきたミネラルウォーターを受け取って、ギイは机の上に置いておいた薬袋をひろげた。夕食の時に、薬を持っていくのを忘れてしまったのだ。しかも、部屋に帰るまで薬のことすら忘れていたので、結果、部屋に戻ってから託生に水を買ってきてもらうことになってしまった。章三に言われたとおり、ケガ人の自覚がない、のかもしれない。
 錠剤を飲み込んで、おもわず眉をしかめていると、託生がおずおずと話しかけてきた。
「えっと、何か、ほかに………欲しいものとか」
「大丈夫だぞ、そんなに気を使わなくても」
 ギイは笑ってそう返したけれど、託生はなんとなくうかない顔をしている。託生のせいではない、としっかり伝えたつもりでいたけれど、もしかしてまだ、ギイのケガに責任を感じているのだろうか? 理由はわからなかったけれど、ギイはなだめるように言葉をつけたした。
「今日はもう、寝るからさ」
「そうかい? ………そうだね、その方がいいかも」
「よし。じゃ、シャワー先につかうぞ」
「え? いいけど、でも」
 託生は困ったように、ギイの左腕に視線をおとした。
「包帯、濡れちゃうんじゃないかい」
「ビニール袋巻いておけば、大丈夫だろ」
 ギイは章三が調達してくれた透明の袋をジーンズのポケットから取り出すと、ひろげて左腕にかけてみた。大きさはぎりぎり、なんとか包帯が隠れるほど、といったところだ。少し心許ないけれど、仕方がない。
「託生、テープとか持ってるか?」
「あ、うん」
 託生はあわてて自分の机をさぐり、小さなテープカッターをとりだした。
「セロテープしか、ないけど。ガムテープ、とか………のほうがいいよね、たぶん」
 ギイは少ない面積で効率よく包帯を覆うように工夫をこらしつつ、託生が差し出した小さなテープカッターを見た。確かにちゃちだけれど、贅沢は言えない。
「サンキュ。なんとかやってみる。そこ、置いておいてくれよ」
「ぼく、手伝おうか」
「ん、大丈夫」
 ぎゅっと袋をかさねあわせつつそう言うと、託生は無言でテープをおいて踵を返した。


 ところがといおうか、案の定といおうか、やはりセロテープではシャワーをふせぎきれなかったようで、入浴を終えたギイの包帯は、ずいぶんしめっぽい状態になってしまっていた。託生はそれに気づくと、困った顔になった。
「やっぱり、セロテープなんかじゃ、役に立たなかったみたいだね」
「ま、しょうがないさ」
 ギイは肩をすくめて、しめった包帯をくるくると取り去ってしまった。
「ギ、ギイ?」
「ん? 大丈夫だよ、テーピングがあるから」
 固定はテーピングで行っていて、包帯は補助的なものなのだと聞いている。だからたぶん、しっかり巻かなくても、というか巻きなおさなくたって、さほどの問題はないのだと思う。
「でも」
「明日、保健室で巻きなおしてもらうよ」
 不安そうな託生をなだめるために、そういってはみたのだけれど、浮かない表情は晴れなかった。託生はギイの腕をじっと見つめると、そっと自分の手をかさねようとした。その手をとろうと左手をあげかけて、不自由な動きにまたケガをしていたことを思い出す。託生もはっと手をとめて、顔をあげた。言葉もなく、見つめあう。
 適当でかまわないから、包帯、頼むよ───とは、言えない。託生はオレに、触れられない───
 言葉を失ったギイをよそに、託生はギイの腕と机の上にわだかまっている包帯とを見比べると、やがて何かを決意したように顔をあげた。
「やっぱり、何とかしたほうがいいと思う。ギイ、ちょっと待ってて」
「え? おい、託生?」
 すっと踵をかえした託生は、扉を出る間際こちらを振り返った。
「すぐ、戻るからね」
「託生」
 呆気にとられている間に、ギイはひとり取り残されてしまった。
 託生は一体、どこに行ったのだろう。何とかしたほうがいいっていうのは、包帯を巻きなおした方がいいという意味だろうけれど───託生には、それは無理、なのだろう。託生はギイに触れられない。だから包帯を巻いてくれるような誰かを呼んでくるつもり、とか?
 ギイはため息をつくと、またベッドに寝転がって横を向いた。
「………オレ、グレそう」
 このケガのことで、誰かを責めるつもりはないのだ。託生も、高林でさえも。
 だけど、気づかされてしまう。
 落下する託生をぎりぎりで受け止めたあの瞬間、自分が彼の身体を抱きしめたのは、今日あの時が初めてだった。恋人の危機に何かをしてやりたいというのは、きっと当たり前の気持ちなのだと思う。ギイの腕をじっと見守っていた託生の不安げなまなざしも、ギイのうぬぼれでなければ、きっとそういうことなのだろう。託生はギイに、触れられない。何かしたいと思ってくれているのだとしても、それを実行に移せない。この距離は、きっと彼にとってももどかしいものなのだ。彼のあの浮かない表情が、だから晴れなかったのだとしたら………彼は、自分から離れていってしまうのではないだろうか。託生の性格を考えると、ありえないことではないと思う。ギイの心を焦燥がやいた。
 この先も託生に触れられなくても構わないと思った、春先の決心にウソはない。ないのだけれど、結局それが理由で───気持ちの問題ではなく嫌悪症という理由で、託生がギイの気持ちを受け入れることができないのだとしたら。
 この手は、結局彼に届かないということなのだろうか。
 随分遅いな、と思ったとき、ノックなしにそっと部屋の扉が開いた。寝転んだまま、扉の向こうの気配をうかがう。
「………ギイ?」













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