恋は桃色
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 寮へと戻る道を並んで歩きながら、四月も後半の日差しに、ついついあくびがもれる。
「今日の現文はいつにもまして眠かったなー、オレ、最初の五分くらいしか記憶がない」
「うん、ぼくも半分くらいしか覚えてないよ………まいったな、ノート、どうしよう」
 あたたかい、そしてなんとはなしにうららかな気がする春の午後というのは、睡眠に適しすぎていて、授業効率が悪い気がする。ギイは落ち込む託生の顔を覗き込むようにして、いたずらっぽく笑った。
「ノートなら、章三がとってるだろ。あの位置じゃ、寝られないだろうからな」
 新学期は名前の順に座席が割り振られる。現在、前から二列目に座っている赤池章三のことを思い出させると、託生はこっくりと頷いた。
「うん………聞いてみるよ」
「ついでに、オレも見せてもらおう」
「え?」
 託生は不思議そうに、こちらを見返した。
「ギイも赤池くんのノート、ほしいの?」
「え、ほしい。ん? ならオレが自分で頼め、って?」
「や、そうじゃなく………」
 ギイが問いかけると、不思議そうな顔のまま前を向いて、託生は口ごもった。
「………だってギイ、いつもノートほとんどとっていないし、必要ないのかと思ってた」
「や、さすがに聞けなかった授業は、ノートを借りないとどうにもならないぞ」 
「あ、そうなんだ? そっか、それはそうだよね」
 託生の無邪気な信頼に、ギイは苦笑した。託生の中で、自分は一体どんな超人だと思われているのだろうと、おかしかった。
 ふと辺りを見ると、部活動で使用する部室棟の手前まで来ており、ギイはそのことを思い出した。
「あ、そうだ。オレ、用具室に寄っていくから」
「用具室? って、どこ? ていうか、なんで?」
「ここの地下。オレ、松本に呼ばれてるんだよ」
「松本先生………、また、なのかい?」
「なー、級長使い荒いよなあ松本」
 そういい合いつつも、託生はにこにこ笑っているし、不満顔をしてみせているギイとて、決して本気ではないのだ。
  担任教員の松本は、こうしてしばしばギイを呼び出してはさまざまな用事をいいつけてくる。時には級長の仕事の範囲を逸脱しているような用事もあるのである。今日も今日とて、放課後は体育用具室で作業をしているから来いという、ギイの都合を考えない呼び出しに、怒るよりも先に呆れてしまう。呆れつつも、ギイは基本的に松本に好感を抱いていた。他愛ない用事を手伝わせる合間にさらりとクラスの様子を質問するあたりに松本の真意が垣間見えるので、反発する気にはどうしてもなれなかった。
「どうしよう、待ってようか」
「うーん、どれくらいかかるかわからないし、先に戻ってろよ」
「うん、わかった。あ、荷物持っていくよ」
「ああ、サンキュ………」
 ブックバンドでまとめたテキストを受け渡そうとして、渡した瞬間に触れた手を、ぱっと払われた。互いに動きをとめてしまい、気まずい沈黙が流れる。
 申し訳なさそうな託生の表情からは、彼の自己嫌悪が伝わってくる。けれど結局、この距離なのだとギイは思った。この距離が縮まらないかぎり、託生はギイに、ギイは彼に近づけないのだ。たとえ、彼がギイを好きでいてくれようとも。
「ごめん、ギイ」
 ギイは口元だけで微笑んで、けれどそれ以上は何もできなかった。何も言えなかった。
 気にするなと、そらぞらしく言葉にはできなかった。それにそう口にしたら、すべてが無駄になってしまうような気がした。
 自分とのことを考えてみる、と託生が言ってくれたあの春の日からは少し経って、既に月は変わっていた。けれどギイは、焦らないようにと自分を戒めていた。
 託生にも告げたように、託生を混乱させたのは自分だし、あらためて自分のことを考えてもらえるだけで充分だと思う。それに、たとえこのまま永遠に触れあえないとしても、自分の気持ちはかわらない───その気持ちに、ウソはないのだけれど。
 それでも、距離のせいでまとわりつく無言の時間が、ギイの心をちりちりと焼く。結局、この距離が二人を隔て続けるのだと、それは体ではなく心の距離なのだと言われているように感じる。
 手の届かない、遠い空の星を恋うることは、やはり無駄なことなのだろうか?


 担任の用件は、けれど五分もかからずに終わった。用具室を退出して、外へと続く通路を少しゆっくりめの歩調で歩く。気まずいまま離れた託生と、どんな顔をして顔を合わせればいいのかわからない。まっすぐ部屋に帰るのが、少し気が重かった。
 開け放したままの扉に近づくと、外から話し声が聞こえてくる。話し声というよりも、なにやら揉めているような様子だ。
 扉から顔を出し、相変わらず階段の上に居る託生をみつけて首をかしげたのもつかのま、その周りを数人の生徒が囲んでいるのに気づいていぶかしむ。あれは、高林泉と───おそらく彼の親衛隊だ。
 どうやら託生と泉は、何か言い争っているようだ。言い争っているというか、正確には泉が一方的に何かをまくし立てているように見える。
 託生もさほど驚いた様子でもないので、きっとこれが初めてのことではないのだろう。これまでは、おそらくギイの目の届かないところで行われていたことなのだろう。陰険な奴らだ。しかも、一対多で。
 怒りをおぼえ、階段へと向かいかけたところで、今度は心臓が凍りそうになった。
 親衛隊のひとり、体格の大きな生徒が、一歩前へ出たかと思うと、託生の肩を突き飛ばしたのだ。
 突然のことに、託生は無防備だった。ぐらりと身体が傾げて、階段の方へと倒れ込む。
「危ない………っ」
 考えるよりも前に、身体が動いた。
 悪い夢のように、前へと進まない足を動かして託生へと駆け、やっと階段に足をかけたところで、宙に浮かぶ託生がスローモーションのようにこちらを向いて、見開いた目と目が合った。そこには恐怖の色はなく、ただ驚きと戸惑いとがあった。
 間合いに入るかどうかという距離から、片足で思い切り段を蹴り、届くか届かないかの距離から両手を伸ばす───届くだろうか? ぎりぎりだ。けれど、絶対に受け止める。託生にケガなんてさせてたまるか。
 こちらから伸べた腕を見たのかどうか、託生は変わらず戸惑うような眸のまま、ふと、ほとんど無意識かのように片手を動かした。宙を泳ぐかのようにギイに向かって手を伸ばす。
 空中で、手と手とが、今にも触れようとした。













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