恋は桃色
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 まるで、嵐のような春休みだった。
 自分の心に気づき、いてもたってもいられずに日本にやってきて、ニューヨークに戻り、そうしてあっという間にまた祠堂へと戻る日となってしまった。
 心に羽根が生えたような数日間に亘る衝動に自分でも驚いて、そうして言葉に、声に出してみて初めて得心した。自分が葉山託生を好きになっていたということに。そしてこれこそが、自分の初恋であるということにも。
 祠堂に戻ってすぐに再会した託生には、けれどすぐに逃げられてしまった。
 よもや自分と同室になるとは思っておらず、動揺したのか、それとも───
 深く考えると暗くなりそうだったので首をふって、立ち上がる。片付けはざっとで済ませたことにして、部屋を出た。
 入寮のあれこれで騒がしい寮を出て、人気の少ない場所を探そうと学生ホールをめざして歩き出す。しばらくぶらぶらと歩いていると、前の方から高林泉が友人たちと一緒に歩いてくるのが見えて、思わず眉をしかめてしまった。
 昨年の秋頃からか、彼にはちょくちょく声をかけられていた。告白された、というよりも、まさに声をかける、という感じで。
「へえ、うわさのギイって、君? ふうん、なるほどね」
 学生ホールで章三とくつろいでいたところを唐突に邪魔され、不躾な目線でじろじろと見られて、あっけにとられてしばし言葉を失っていたギイに、やがて泉は悠然と微笑んだものだ。
「君なら、つきあってあげてもいいよ?」
「いや、間に合っているから」
 彼はどうやら、ギイ自身が好き、というわけではないらしい。瞬時にそう判断し、またあまりの傲慢な言葉ににべもなく拒絶すると、泉は傷付いたような怒ったような顔をして、すぐに立ち去っていった。
 それで終わったかと思えば、それから後も泉はしばしば声をかけてくるようになった。ギイは他の相手の場合と同じように、期待を持たせないように常にそっけない態度をくずさなかった。泉にたいしては特に、かもしれない。なぜなら泉の場合は、ギイが好きだから声をかけているというのではなく、自分の虚栄心を満たしたいだけなのだから、まともに取り合う気にはなれなかったというのもある。
 そんな泉だったから、深く関わらないように注意していたはずだったし、いつか泉も自分に飽きて他に興味をうつすだろうと思っていたのだけれど、ギイにも誤算があった。
 あれは三月も中旬、終了式も間近になった日のことだ。寮へと戻る道をひとり歩いていたギイは、ふと立ち止まった。道の先で、託生が友人の利久と肩を並べて歩いていた。楽しそうに笑いながら話している様子を所在なく眺めていると、背後からぽつりと囁くようなひとりごとが聞こえた。
「………うそ」
 振り向くと、呆然とした表情の泉が立っていた。眉をひそめて、少し泣きそうにも見える表情で、つぶやく。
「なんで、ギイ。まさか、あんなのがいいの?」
 まだ自分の気持ちに無自覚だったギイにとって、泉のこの言葉は麻生の指摘と重なった。自分自身の気持ちが一段とゆらぐと同時に、麻生に近似するほどの泉の洞察力に、少し驚いた。
 そんな経緯もあって、春休みになっても泉のことが気に掛かっていたところに、友人の矢倉柾木から泉が何かをたくらんでいるらしい、という情報を聞いた。新学期になれば託生に何かしかねない、そんな話まで聞いて、ただでさえ託生との関係が宙吊りのままで、これから彼に近づく努力しなければならないというのにと、ギイはため息をつきたくなった。けれど仕方ない。とにかく、託生には迷惑がかからないようにしなければならない。
 そんな決意で祠堂にもどってきたのだが、入寮早々にクラス担任から早速雑用をおしつけられ、部屋に着くのが遅れそうだったので、章三にかわりに部屋に向かってもらった。託生にはすぐに逃げられてしまったけれど、親友の利久と合流したことを知って少し安心した。
 なにより今は、泉本人が目の前を歩いているのだから、少なくとも託生は無事なのだろう。
 泉は自分に付き従うかのようについてくる友人たちに、何か指示を出しているらしい。友人───というよりも様子をみていると、泉の取り巻きのように見える。あれがうわさの、高林泉の親衛隊というやつだろうか。
 引き返すなりしようかと思ったものの、いつまでも泉を避けてはいられないだろうと考えなおし、ギイはゆっくりと彼らに向かって歩みを進めた。
 やがて取り巻きの一人がこちらに気づいて泉の注意を促すと、泉は大きな声でこちらに声をかけてきた。
「ギイ!」
 互いにゆっくりと歩み寄る。泉は不穏にすらみえる笑みをうかべていた。
「久しぶり。今年は葉山と同室なんだってね───俺がギイと同室になりたかったのに」
 虚栄心を満たしたいだけなのだろうが、託生の存在に気づいたことで、言動がエスカレートしてしまっている気がする。矢倉がギイに注意を促したのも、十分に理解できる。
 ギイは無言で泉の脇を通りぬけながら、改めてこれからのことを思った。


「おかえり、託生」
「た、ただい、ま」
 夜になって戻ってきた託生は、逃げ出したことが気まずいのか、おずおずと部屋に入ってきた。ギイは何気ないふりをよそおって、探りを入れる。
「今まで、どこ行ってたんだ?」
「あの、いろいろ───そう、吉沢くんが」
「吉沢?」
 気のいい優しげな、弓道部の同級生の名前が急に登場して、ギイは首をかしげた。吉沢はたしか、今年は泉と同室のはずだ。託生と接点なんて、あっただろうか。
「利久の友達なんだけど、部屋の改装を頼まれたっていうから、手伝ってたんだ。一人じゃ、大変だろう?」
「もしかしなくてもそれは、高林のせいか」
「あ、うん。高林くん、同室の吉沢くんに改装をまかせっきりだったみたいだから」
 気の毒だろう? とのんびり続ける託生に、結局間接的に泉の「被害」にあっていたのかと、ギイは少々ため息をつきたくなった。
 託生は立ち尽くしたまましばらく黙って床を見つめていたが、やがて決心したように顔をあげた。
「あの、さ、ギイ。今さら、だけど」
 どうやらギイが敢えて避けていた話題に、託生の方から近づいてきたらしい、と思ったけれど、言いよどみながら続けられた言葉は、ギイの予期しないものだった。
「ごめん。あの………ひどいこと言って、避けたりして、前に、あの時」
「え?」
 足りない言葉に、しかしどうやら静岡でのことではないなとしばらく考えて、ギイはその前の託生との会話を思い出し、ああ、と頷いた。
「あれは、オレが悪かったんだろ。勘違い、したりして」
 託生が麻生と付き合っているのかと思って、託生を傷つけた。
「それこそ今さらだろうけど、ごめんな、オレのほうこそ」
「や、ギイは悪くなくって………」
  視線をそらし、うつむきながら言いよどむ託生に、ギイはつい眉根をよせた。
 どういう意味だろう。 勘違い、ではなかった?
 でも、託生の自分への心を───少なくともあの時点での託生の気持ちを疑うことは、もうやめたのだ。
「託生」
「え?」
 やっと顔をあげた託生の目をみつめ、一息に言う。
「オレのこと、嫌いになったか」
「ちが、そうじゃない、けど」
 託生はあわてて、手を振って否定しながら、また視線をゆらがせた。 
「ごめん、正直にいって………まだ、よくわからないんだ。なんていうか、混乱している、っていうか。ギイ……との、こと、どう考えたらいいのか、よくわからないっていうか」
「ってことは、これから考えてくれるって受け取っていいのか?」
「うん………ごめん」
 悄然とした様子の託生に、ギイは作り物でない笑みを返した。
「謝る必要はないだろ? オレにも託生を混乱させた自覚はあるし、真剣に考えてくれるってだけで、ありがたいと思ってるから」
「ギイ………」
 心からの言葉に、託生はやっと少しだけ笑みを返してくれた。
「今日は祠堂に戻ってきて疲れただろ? 先、風呂使えよ」
「あ………うん、ありがとう」
 頷いて就寝の準備にとりかかった託生を見送って、ギイはほっと息をついた。













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