恋は桃色
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 三月の終わりの風に吹かれながら、ギイは頬杖をついて眼下の路地をながめていた。日本語でいうならば寒の戻りというところの天候で、戸外でコーヒーを楽しむには少し肌寒い日だ。だからだろう、広いオープンテラスにはちらほらと人がいる程度だった。その店は二階建てで、二階の半分ほどのスペースがオープンテラスになっている。眼下の路地にはきれいな店が並んでいるし、街路樹も既に芽吹き始めている。寒さにめっぽう強いギイなので、だからこのテラスで外を眺めつつコーヒーを楽しもうと思っていたのだ。
 ギイ自身は寒さを我慢すればいいとしても、コーヒーもすぐに冷えてしまうのだということにすぐに気づいたけれど、諦めて店内に戻るという選択肢はなかった。今は頭を冷やして考えたい気分だったからだ。
 考えるのは、一年間の日本暮らしの心残りとなった、彼のことばかりだった。
 一体自分は、彼を───葉山のことを、どう思っているのだろう。
 もともとギイは、恋愛をするのに性別を気にするようなたちではない。けれど、葉山を恋愛対象として見る、ということについては、なぜか麻生に諭されるまで、考えてみたことすらもなかった。軽い重い、とてもたくさんの恋情や愛情を受け取るあまりに、ギイはそうした感情に対して鈍感に無自覚に、そしてあまりにも恋に不器用になってしまっていたのかもしれない。
 麻生の言うように、自分は葉山に恋をしているのだろうか。そうなのかもしれない。でも、自分は少し、葉山に肩入れしすぎているだけだという気もする。麻生も自分も、勘違いをしているだけなのかもしれない。わからない。だから、考えたかった。結論づけたかった。
 けれど、自分が葉山を特別に思っているのかどうか、という問いかけには、一体どうしたら論理的に納得できる解答が得られるというのだろう。葉山と身体をかさねられるかどうか、という点にはさして意味はないと思う。もともとギイは、恋愛の相手に男女を選ばないたちだったし、肉体関係そのものにもたいして重きをおいて考えていない。麻生にもらった明快な解答も、あまり役にはたたない。葉山と一緒にいると自分が不条理になるから、扱いがぞんざいだから───などといわれても、自分では自覚できていないのだから、いまひとつ納得しきれない。でも、何かがあるはずだった。ギイは葉山への気持ちに納得出来る説明をあたえて、なんとか意味付けたかったのだ。
 葉山には、これまで随分ひどいことをしてしまったという自覚がある。結論のあいまいなまま彼に近づいて、これ以上傷つけるようなことは、絶対にしてはいけない。自分の気持ちにまっすぐな葉山に誠実であるためには、ギイ自身の気持ちをはっきりさせる必要があった───ギイはため息をついた。自分の気持ちを確かめる、それだけのことに、こんなに悩むことがあるとは思ってもみなかった。
 目を閉じて、無心になって、葉山のことを考えてみる。
 すぐに思い浮かぶのは、怒りを露わにした、そして少し悲しげだったあの時の葉山だ。まっすぐにこちらに怒りをぶつけながら、ギイに好きだとくり返した。はっきりとした意志を灯す葉山の眸は、瞼の裏の暗い夜空の中で、ちいさな星がまたたくかのようだった。
 遊びの恋愛ばかりをくり返してきた自分は、あんな風に誰か一人にたいしてまっすぐに感情を向けたことも、あんな風に感情をさらけ出したこともないと、ギイはそう思った。
 彼の、またたく星のような光をもったあの眸が、あの葉山が。もし自分のものになるのだとしたら───
 その想像は、背筋をぞくりと震わせるようだった。
 この心が、あの光に焦がれる気持ちが、恋であると言えたらいいのに。


「あら? ギイじゃないの」
「……… あ」
 すっかり冷めてしまったカップをもてあそびながら考え続けていたギイは、その声に顔をあげた。栗色の髪をした女性がテーブルの横に立ち、コーヒーのはいったカップをもってこちらに微笑みかけていた。
「久しぶりね、一緒していい?」
 彼女はそう言うと、ギイがなんとも返事をしないうちに、隣の椅子に座ってしまった。考え事を中断されてむっとしたけれど、邪慳にするわけにもいかず、頬杖をついていた腕を引いて彼女を迎えた。
「今は春休み? 日本のハイスクールに留学しているのよね? わざわざ戻ってきたの?」
「ああ」
「そう、とんぼ返りにならないの?」
「日本は三月が年度終りだから、春休みが少し長いんだよ」
 彼女は納得したように頷くと、すぐに微笑んで話題を変えた。
「そういえば、ジョージの話を聞いた? 彼ったらねえ、………」
 適当に相槌をうちながら、ギイは楽しそうに話している彼女の顔をぼんやりと見つめた。
 彼女はギイにとっては親しい友人であり、そして有り体にいえば身体の関係をもったこともある、そういうたぐいの「友人」だった。
 祠堂という狭い社会の中では自重していたものの、基本的にギイは、ベッドを共にするということに、さしたるこだわりを感じていない。身体には、深い意味などないと思っているからだ。肉体などただの心の入れ物で、本当の価値は心にあるのだと、ギイはそう思う。そこに心が介在しないのなら、身体を重ねることと手を取り合ったり肩を組んだりすることとの間に、何の違いもない。そこに生じるリスクや責任などへはしっかり対処した上でなら、憎からぬ相手と身体の関係をつくっても構わないと思う。言い換えれば、身体を重ねるだけなら、相手は誰だって同じことなのだ。
 けれど、心は違うと思う。心はそう簡単に、他人に明け渡せるものではない。
 心までも相手に奪われるような、そんな恋愛を、ギイはまだしたことがない。葉山がギイにぶつけてきたような、あんな激しさを持った恋など、まだ知らない───自分の心は、一体どこにあるのだろう。
 わからない───わからないまま、だから身体を重ねるだけなら、相手は誰だって同じことなのだ。たとえば目の前の友人でも、たとえば葉山、でも───
「───そうか」
「どうしたの?」
 目の前の友人をまじまじと見つめ、ギイはちいさく声をあげた。
 がたりと椅子をひいて、立ち上がる。
「悪い、用事思い出した」
「まったくもう、相変わらずせわしないのねえ………」
 ため息に送られて、急ぎ足でカフェを後にした。路地を歩きながら、次第に駆け足になる。小さくうつくしい店々が立ち並ぶ裏通りを飛ぶように駆け抜け、先程から続く感触を確かめるように、胸元に手をやった。
 信号につかまって立ち止まり、空をあおぐ。厚い雲におおわれて、空は見えない。もちろん、その向こうの世界も───ずっと日本に、祠堂で過ごしていたから、だから今まで気づかなかったのだ。ギイは息をつく。高揚する気持ちと、少し苦い気持ちとが半々だった。けれど、とにかく今、自分がすべきことをするしかない。
 自分は間に合うだろうか?
 心に浮かんだその問いを、首をふって打ち消した。
 間に合わなければ、ならない。













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