恋は桃色
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 夕食の載ったトレイを手に、ぐるりと食堂を見渡してみる。丁度夕食時なので、そこそこに混雑はしているけれど、夜の場合、朝のように一時に人が集中することは少ないので、どこでも好きな場所に座ることが出来る。ギイは一人だったので、どこか友人の居るテーブルに混ざろうと、知った顔を捜していた。
 何しろ顔の広いギイなので、トレイを持ってひとりで立っているだけで、あちこちのテーブルから手を振られたり笑顔を送られたり、あるいは名指しで声をかけられたりするので、行き先には困らない。けれどその分逆に、どこへ行こうかと迷ってしまう。
 友人に手を振り返しながら、ふと、小さな人影に目をとめた。じっと見つめていると、むこうでも視線を感じたのか、こちらをちらりと見返して、けれどすぐに前に向き直ってしまう。そのままこちらを無視するかのように、同席者とのお喋りに興じている様子に少しむっとして、ギイはそちらへ向けて歩き出した。
 すぐ後ろまで近づいても、くだんの相手は同席者に熱心に話しかけていて、振り向きもしない。
「こんばんは、麻生さん。お邪魔してもいいですか」
「えー? ほんとお邪魔だなー、他をあたってくれないかなあ」
 いかにも嫌そうに振り向いた表情と邪慳な言葉は、半分は冗談で、半分は本気、かもしれないと、ギイはふんでいる。
「そんな、いじめないでくださいよ。オレもう腹ペコなんですよ」
「席はいっぱいあいてるんだ、他のとこに座って食べればいいじゃんかー」
 箸を握ったまま口をとがらせる、とても先輩には見えないような麻生を無視してさっさとトレイを置いてしまい、ギイは悠々と腰をおろした。そうして、麻生の向かいで少し心配そうにこちらを見守っている葉山に、にっこりほほえみかける。
「葉山も悪いな、邪魔して」
「え、や、邪魔なんて、そんな」
「葉山くーん、はっきり言ってやってよ、大事な話していたのにって」
 今度は葉山に向かってぼやきはじめた麻生に、ギイは箸をとりながら話しかける。
「大事な話って、何の話だったんですか?」
「もうね、ちょー大事な話。明日の土曜に、一緒に下山しようよー、って」
「明日? 何かあるんですか?」
「なーんにも。だから葉山くんと、ぶらぶらしたいなーって思って」
「それは………、ちょー大事、ですね」
 ギイは苦笑して、焼き魚にとりかかった。
 麻生は葉山に向き直ると、再び熱心に口説きはじめる。
「それでさ、葉山くん、どうかなあ、明日」
「えっと、………でも、ほんとに、何するんですか?」
「えっ、うん、うーんと、買い物と、散歩と、買い物とか、あとほら、面白い映画やってるかもしれないし、あ、あと最近ね、週末になると花屋の横に、ホットドッグの移動販売が来るんだって! 食べてみたくない?」
 熱心な様子と穴だらけの作戦がちぐはぐで、どこかかわいらしい麻生の営業ぶりに、のけ者にされたギイはこっそり苦笑しながら食事をすすめた。
 麻生圭は三年生で、つまりギイや葉山の先輩にあたるのだが、ギイにとっては祠堂に入る以前からの知人でもあった。あっけらかんとした人柄と、ギイともそうかわらない身長のためもあるのか、今では気安い仲の友人同士として付き合いがある。
 その麻生が葉山に興味を持っていると知ったのは、文化祭の折だった。ギイ達のクラス出し物を見に来た麻生が、応対していたギイには気もそぞろな様子だったのに、葉山を見かけるとうれしそうに呼び寄せて話に加わらせていた。人見知りをするたちの葉山も、少し驚いた様子だったけれど、にこにこしながら麻生と会話していた。
 後で聞けば、麻生は、周囲に溶け込めずに孤立していた葉山のことを、ずっと気に掛けていたらしい。以前から、時折声を掛けてもらっていたのだとは、葉山本人に聞いた。
 それ以来、麻生が葉山に話しかけたり、一緒に行動したりする場面を時折見かけるようになった。口さがない連中が、かわっているけれどちょっとかわいらしいカップリングだ、などと軽口をたたいているけれど、そんな噂もあながち間違いでもないらしかった。葉山はともかくとして、少なくとも麻生の方では、葉山への好意を隠そうともしていなかったから。
 けれど、麻生の葉山への関心は、恋心というよりも、ごく単純な興味や好奇心の段階であるように、ギイには思えた。とは言え、興味や好奇心から恋がふくらむ可能性もあるし、何より葉山が今のように穏やかになる以前から、既に葉山を気に掛けていたという麻生は、少なくとも葉山にたいしてある程度の好意を感じているということは確かだろう。
「うん、それじゃ、きまりね。明日、部屋まで迎えに行くね。お昼も一緒に食べようねー」
 ふと気づくと、弾むような明るい声で麻生が話を終わらせていた。
 話がまとまったのか、と少し意外な気持ちで聞き耳をたてつつ、ギイは箸を置いて立ち上がった。
「ごちそうさま。よかったですね、麻生さん。お先にな、葉山」
「えっ、もう終わったの? ギイ、食べるの早いなー」
 本気で驚いた様子で見上げる麻生に苦笑を返し、椅子を戻した手で葉山に挨拶を送る。
 葉山は少し困ったような笑顔で、小さく手を振り返してきた。


 部屋への道のりをゆっくり歩きながら、今見てきたばかりの葉山を思い返す。
 我関せずというふうにさっさと夕食を食べるフリをしながら、こっそり伺った限りでは、葉山は麻生の誘いに少々困惑はしながらも、普段よりもずっと素の表情を見せているように思えた。
 だいぶ友人が増えた今でも、人と距離を詰めることに一瞬警戒する葉山の癖は、治らない。なにしろ接触嫌悪症がまったく治っていないのだから、当たり前のことだろう。文化祭前に思い知らされたとおり、それは相手がギイであろうと誰であろうと、変わらない。
 けれど、葉山は、麻生にはさして警戒しない、らしいのだ。先日、麻生本人がうれしそうに打ち明けてくれたその事実を、ギイは今日、間近で観察してみたのだ。確かに、葉山はさほど隔てることなく、麻生と打ち解けていた。麻生はいい加減に見えて、巧みに人の心を理解する人だから、葉山への適正距離を測っているのかもしれない。それに、麻生が葉山を好きだという理由もあるのかもしれない。好きな相手を思いやる麻生の気持ちが、葉山を打ち解けさせることに成功したのかも、と。
 そんな麻生なら、と、ギイは思う。
 葉山に恋をしている人間ならば、あるいは葉山の心の疵を癒せるだろうか。そうであればいい、とギイは思っている。
 麻生は人の痛みのわかる人間だし、適度な気遣いも巧い。麻生が葉山の隣りに立ってくれたら、きっと葉山のためにもなるはずだ。勿論、葉山の気持ち次第ではあるのだけれど。
 葉山をふった自分が、葉山を好きな人間を応援するというのは、残酷なことなのだろう。
 けれど、ギイではだめなのだ───葉山が好きになってくれた自分でさえ、葉山を癒せないのだ。だから麻生には、頑張ってほしい。
 ギイは心の中だけで、麻生を応援する心づもりであった。













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