恋は桃色
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 扉が開く音に気づいて、託生は膨大な数のCDがおさめられた棚の間から顔を出した。入口のあたりに視線をむけると、赤池章三が入ってきたところだった。
「赤池くん、どうしたんだい」
「葉山、居た」
 きょろきょろしていた赤池は、ほっとしたようにそう言うと、自分の身長を優に超える棚を見上げた。
「音楽科の資料室って初めて入ったが、随分しっかりした所蔵なんだな。驚いたよ」
「そうだよね、ぼくもびっくりした。スティーブ・ライヒとか、古典だけじゃなくて現代音楽も随分揃ってるし、かなり珍しいっぽい盤もいっぱいあるんだよ」
「へえ。一体誰の趣味なんだろうな」
 赤池はそう言うと、笑いながら託生に向きなおった。
「葉山がクラシックに詳しいっての、本当だったんだな」
「え? や、詳しいってほど、詳しくもないと、思うけど」
「いや、少なくとも僕よりは詳しいし。葉山を音楽担当にっての、押しつけになるんじゃないかってちょっと心配だったんだけど、ギイの采配はやっぱり的確だったんだな」
「ギイ?」
「ああ、葉山の名前出したの、ギイだったから」
「そうなんだ」
 託生は驚きつつも、うれしい気持ちが自然と沸いてきて頬がゆるんだ。
 ギイも赤池も、託生の知らないところでも託生のことを気にかけてくれていたのだという。ギイが託生を音楽担当に推したのは、以前、クラシック音楽が好きだとちらりと話したことがあったのを、覚えていてくれたからだろう。託生はそのこともうれしかった。
 興味深そうに棚を眺めていた赤池は、託生の手元に視線を移し、ふと口を開いた。
「そういえば葉山、CDチェックの作業中なんだよな。このすごい数をひとりで調べているのか? ひとりじゃちょっと、大変なんじゃないか?」
「や、きちんと整理されてるから、そんなに大変でもないんだよ。それに、後から利久が手伝いに来てくれるし」
「そうか、ならいいが。人手が必要なら、ちゃんと言えよ。それに、ギイの無茶に全部答える必要はないんだぞ。あいつはなまじ能力が高い分、人にも同じだけ要求するところがあるから」
「うん、わかった」
 素直に頷くと、赤池も頷いて、少し微笑んだ。
「それと、五時から打ち合わせだから、その頃には教室に居てくれ」
「五時だね、了解」
「じゃあな、葉山。頑張れよ」
「うん、ありがとう」
 短い返事を返して赤池を送り、ひとりになった託生は棚に向きなおり、ほっと息をついた。
 最近やっと、赤池や他のクラスメイトたちとも、多少は会話ができるようになった。まだまだ互いにぎごちないやりとりばかりだし、接触が苦手なことは変わらないのだけれど、それでも前へ進めているような気がして、託生はうれしかった。
 それもこれも、ギイのおかげなのだと、託生は思っていた。
 ギイにふられて、けれどギイとぎごちないながらも話せるようになってから、託生の周りの環境は少しずつ変わってきた。そして、先日からはギイに頼まれて文化祭の準備を手伝うようになったこともあって、クラスメイトたちが託生に話しかけてくれる頻度も増えた。最初の頃は興味本位の視線も感じたし、周囲は託生の変化の理由を知りはしないので、うさんくさい目を向けられることもあった。けれど級友たちはおおむね親切だったし、少しずつ自分をおおっている殻が薄くなっていくのが、託生自身にもよくわかった。
 やっぱり、勇気を出して告白をして、よかった。
 告白、それもあのギイへの告白なんて、託生にとっては清水の舞台から飛び降りるような決死の行動だったのだ。あれにくらべれば、友達づきあいなどはまだしも楽なものだろう、と思えるようになった。いわばあの告白は、ショック療法のようなものになったのだろう。
 ギイに告白を受け入れてもらえなかったことは、託生にとっても予想通りの展開だったから、あまり傷つきはしなかった。むしろ、ギイが友達として受け入れてくれて、彼の笑顔を見たり、彼と会話をしたりすることが増えたのは、純粋にうれしいことだった。あの太陽のような光に、すこしでも近づけたら───もっと自分も、変われるのかもしれない。託生はそう思っていた。


「じゃ、この星印つけた曲は、オッケーだな」
「うん。よかったね、音楽室のライブラリがそろってて」
 資料室の端にある机の上で、託生はメモを整理していた。それを横合いから覗き込んで、手伝い役の片倉利久が口を挟んでいる。
 同室の友人同士、託生にとっては唯一の親友が相手なので、作業も相談もスムーズに進んでいく。
 メモも終盤にさしかかり、ふと、利久が首をかしげた。
「あれ………昨日伸之に追加で頼まれた分は? 入ってなくない?」
「あ………、忘れてた。もらったメモ、部屋だ」
「託生~」
「ごめんごめん、あとでぼくがチェックしておくよ」
 なさけない声を出す利久に謝りつつ、託生はまたメモを書き込んでいく。
「まあ、託生らしいけどさあ………」
「悪かったね。それより、あとは………」
 机の上に広げたノートには、たくさんの曲名と演奏者が記され、○やら×やらの記号とメモ書きが大量に書き込まれていた。託生はペンで新しいメモを書き入れては、とんとんと記号をつついて溜息をつく。
 ギイによってBGM係に任命された託生と利久は、まずは映画を鑑賞し、それからネットで情報収集をして、映画内で使われている曲の一覧をつくった。その後他の班と相談をし、実際に使用する曲を数曲選び、今はそれらをどのように入手するのか考えているところだった。市販されているサウンドトラックのものをそのまま使える曲や、借りるなどして調達可能だった音源をチェックすると、まだ足りない曲が数曲あった。
「うー、まだ結構あるなあ」
 顔をしかめる利久に、託生もうなずきかえした。
「うん。最悪、CDを買わなきゃかも」
 託生はそう言いつつも、首をかしげた。音楽は重要な要素になるので、なるべく映画で使用している音源そのままのものを探して欲しいと言われている。だが果たして、わざわざ購入してまで当てはまる音源を入手すべきなのか、どうか。
 せまい机の上にひたいを寄せ合って悩んでいると、ふと横から明るい声が聞こえてきた。
「よ、二人とも、進んでるか?」
「あ、ギイ、丁度いいとこに」
 利久は顔をあげて、こちらに歩み寄ってきたギイにメモを示した。
「これ見て、託生がまとめてくれたんだけどさ、ここのライブラリ調査して」
 清書もしていない、走り書きの羅列を覗きこまれて、託生は少しあわてた。
「や、きたなくて見づらいと思うけど」
「どれ………ああ、すごいな。随分すすんだじゃんか」
 託生の言葉を気にしないようで、ギイはメモをざっと見渡し、すっと指でそれを追った。
「まだ見つかってない分で、ここからこの辺りは、そんなに気にしないでいいと思うぞ」
「そうなのかい」
「ああ、一応寸劇班に確認してくれ」
 ギイの言葉にうなずきつつ、託生はアドバイスを書きとめておこうとペンに手を伸ばしながら、口をはさんだ。
「じゃ、この後半のあたりが重要なんだね」
「ああ、それからこれ、」
「あっ!」
 一瞬、託生自身にも、何が起きたのかわからなかった。
 どうやらペンをとろうとしたらしいギイの手が、自分の手に触れた瞬間、ほぼ無意識でそれを払いのけていた。
 ギイと利久があっけにとられた表情で見ていたけれど、託生は言い訳の言葉もなにもなく、ただ俯いて手を握り締めていた。
 たった一瞬触れただけのぬくもりに覚えてしまった嫌悪感をこらえるだけで、精一杯だったのだ。













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