恋は桃色
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 寮への道を歩いていると、背後から聞き慣れた声が呼ぶのが聞こえ、託生はすぐに振り返った。
 案の定、ギイがこちらにやってくるところだった。
「葉山、今帰りか? 寮に帰るんなら、これを章三に渡しておいてくれるか? 章三、部屋にいると思うから。オレ、担任に呼ばれてるんだ」
「あ………うん、いいよ、わかった」
 悪いな、ときれいなウィンクを見せて、託生にプリントの入ったクリアファイルを渡すと、ギイはあわただしくどこかへ向かっていった。
 託生は少し首を傾げてから、自分のテキスト類の上に預かったファイルをかさねて持ち直し、寮へつづく道をふたたび歩きはじめた。歩きながらこっそり息をついて、胸元に手をやる。
 ギイが自分に、声を掛けてくれた。笑ってくれた。
 それだけで、託生の心は簡単に浮き立ってしまうのだ。
 もちろん、ギイの笑顔に、何かを期待している、というわけではない。ギイは、誰に対してでも友好的だ。だから、嫌われ者の自分に対してでさえ、あんなふうに笑ってくれるのだ。


 初めてギイを見たのは、入学式の前日、入寮の日のことだった。
 寮のロビーで入寮の手続きをしようとしていたら、周囲が不意にざわめきだした。皆の視線の先には、玄関を入ったところで誰かに呼び止められ、立ち話をしている一年生がいた。
 外国の血がはいっているのだろうか、外国人っぽい整った顔立ちで、栗色の髪は外から入ってくる春の昼の日をきらきらと受けて、とても美しかった。入寮手続きを待っている新入生達も、同性であるにもかかわらず、皆が皆目を奪われてしまったくらいに、ギイという存在はただそこに立っているだけで、人目を引くのだった。
 周囲にまじって彼にみとれていた託生は、その後偶然にもギイと同じクラスになることができて、ひそかに喜んだり緊張したりしていた。彼と親しくなりたいとまでは思わなかったものの、彼を近くで見られる、というだけのことが、託生にはちょっとした事件であったのだ。
 担任から級長に指名されたギイは、級長だからというだけではなく、もともとの素質なのだろう、すぐれたリーダーシップをもっているようだった。それに、どんな時でもその場の雰囲気を明るくなごやかにしてしまうので、すぐにクラスの中心的な存在になっていった。
 またギイは、こまやかで情にあつい人でもあった。クラス中に目を配って、いろいろと骨を折ってもくれるようで、皆がギイを頼りにしているのは、クラス事情にうとい託生にもよくわかった。
 そんなふうにギイをこっそり見つめながらも、託生はギイに近づきたいとは、やっぱり思わなかった。彼は、ルームメイトで親友の赤池章三をはじめとして、クラス内外の有名人や人気者達に、常にとりまかれていたし、なんの取り柄もない託生は気おくれしてしまったということもある。また、託生自身が人間嫌いと称されるように、人との交流が苦手だという理由もあった。
 もっとも、正確には託生は人間嫌いではない。ただ、元々人付き合いは得意なほうではないし、それにある出来事があってからは、人と触れ合うことが極端に苦手になってしまったのだ。けれど、そんなふうに言葉をかえてみても、よそから見れば、人と交流するのが嫌いだとしか見えないのだった。
 託生自身は他人から何と言われようと構わなかったし、人と接触せずに済むのなら、人間嫌いだと思われていようとどうでもよかった。人間嫌いだと思われていれば、うとまれて、嫌われて、誰も託生に近づかないだろうと。だから、ある意味で誤算だったのは、ギイが、そんな託生をすら気にかけて、声をかけてくれるということだった。
 何かトラブルが起これば仲裁に入ってくれるし、長年のコミュニケーション不全から、きちんとお礼も言えないような託生を、見捨てずにいてくれる。もともと彼に憧れをもっていた託生がギイを好きになったのも、ある意味当然のことだった。
 ギイという人は、まるで───太陽みたいだと、ずっとそう思っていた。
 いつも明るく、自身だけではなく、周りさえも照らし出す、あたたかい光のようだと。
 そんなギイを、離れた場所からただ見つめるだけで、託生の心の内側はざわざわとゆれうごく。
 ギイが自分に親切にしてくれたのは、誰にでも気を配るたちだからで、そしてたぶん自分に同情してくれたのだろうとわかっている。ギイが自分の気持ちに答えてくれっこないことは、よくわかっている。
 それになにより、託生自身が誰とも触れあえない以上は、ギイに近づくことすら出来ないのだ。
 あらゆる方面から考えて、かなう余地のない恋だった。
 だからいつものように、あきらめてしまえばいい。そうわかってはいるのだけれど、なぜかそれがうまくいかない。こんな気持ちは、すっかり忘れたと思っていたのに。もう誰かに期待することはやめようと思っていたのに、無駄なことはやめようと思うのに、心がひとりでにギイのほうへと向かってしまうのだ。
 行き所のない恋心は、誰にも話せないままに託生の心の中で根をはって、育ち続けていた。心の中を埋め尽くされそうになって、託生の心は悲鳴をあげそうだった。
 この無謀な恋はきちんと終わらせて、そうして前に進みたい。
 そうして、こんな自分にさえ親切なギイにたいし、誠実でありたい。
 だから託生は、なけなしの勇気をふりしぼって、行動を起こしたのだった。


 四階の廊下をことさらゆっくりと歩きながら、託生はいまだに迷っていた。
 ギイに頼まれた預かりもの、そのまま利久に、頼んでしまおうか。
 今日は弓道部の練習もないから、利久もすぐに部屋に戻ってくるはずだ。赤池とは話をしたこともないので、いくら預かりものという大義名分があっても、突然部屋を尋ねるには勇気がいる。ましてや、相手はあの赤池章三、なのだ。ギイの親友にして、風紀委員。規則に厳しく、冷たいもの言いが特徴。そして、託生をかばうギイを、いつも呆れたような顔で見守っていた───葉山なんてほうっておけばいいのに、ギイのおせっかい、とでも、思っているみたいに。
 逡巡しながらも、でも、ギイは自分に頼んだのだから、と託生は思い直した。人頼みにするのは、失礼だろう。
 目当ての部屋は、ギイと赤池の二人部屋だ。ドアの前に立ち、軽く深呼吸してからノックをふたつ。
「あいてるよ、どうぞ」
 部屋の中からのそんな返事に、少しひるんだけれど、託生は思い切ってドアをひらいた。部屋の中をのぞくと、赤池は掃除の最中らしく、こちらに背を向けたままクリーナーをつかっている。
「悪いな、ちょっとここだけかけちまうから」
「………あの、これ、届けにきただけだから。置いておくよ」
 おずおずと、しかしクリーナーの音に負けないように声をかけ、赤池のものだと思われる机に近づいていくと、赤池はものすごい勢いでこちらに振り向いた。
「葉山!?」
「あ、うん。ごめん。邪魔して」
「え? ………ああ、いや、別に。ええと、………何だって?」
 クリーナーを置いてこちらに近寄ってくる赤池から、思わず一歩、引いてしまう。赤池は変な顔をしたものの、何も言わずに立ち止まって、こちらを見つめる。
「あの、これ。崎く………ギイ、が。君に、渡してくれって」
「え? ………ああ、文化祭のプリントか」
 受け取ろうとしたのに手から離れていくクリアファイルに、また妙な顔をして、赤池は机の上を指さした。
「わざわざサンキュな。そこ、置いといてくれよ」
「う、うん」
 託生が言われたとおりにクリアファイルを置くと、ふっと赤池は笑ったようだった。
「珍しいやつが来たと思ったけら、ギイ経由、か。なるほどね」
 意味深な言葉に、それはどういう意味かと聞こうかと思ったけれど、託生は開きかけた口をすぐに閉ざした。用事は、済んだのだ。
「それじゃ」
「ああ」
 簡単な別れの挨拶を残して、部屋を出る。頼まれた役目をなんとか果たせたことに、ほっと息をついた。
 こんな単純なことなのに、自分にはなぜこんなにも重荷なんだろう。
 どこかひりひりする心をもてあましながら、託生は自室へ戻ろうとふたたび歩き始めた。













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