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「面白い色を使うね、葉山君は」
 うららかな午後の授業、ぼんやりと静物デッサンをカンバスに移していた僕は、ふと耳に入ってきた葉山の名前に目だけで横を向いた。僕の隣りでイーゼルに向かっている葉山は、自分の絵を覗き込んでいる美術教師を戸惑った表情で見上げていた。
「デッサンも割合しっかりしているし、うん、面白い。葉山君、絵画に興味あるの?」
「え……? えと、よくわからないです。嫌いではないですけど」
「じゃ、特に勉強したことはないんだ? それでここまで描けるんだ、ふうん、もったいないなあ……今からでも美大とか目指せるよ? 勿論、葉山くんに興味があればだけれど」
 勧誘と雑談とを半々にしたような指導を終えて教師が立ち去るまで、僕は手をとめて全集中をそちらに預けていた。
 ほっと息をついてカンバスに向き直った葉山に、こっそり耳打ちする。
「珍しく誉められたな」
「珍しく、は、余計だよ」
 ふくれて見せつつこちらに振り向いた葉山の何やらうれしそうな表情を見て、僕は少しどころでなく苛立ちを感じた。少し絵を見ただけで、美大を目指せだなんて言うもんだから、葉山が喜んでしまったじゃないか。生徒の進路に軽々しい助言をするなんて、無責任だ――いや、そう言えば僕も、葉山に研究職が向いていそうだなどど、無責任なことを言ったことがあったっけ。懐かしい。
「でも……先生はああ言ってくれたけど、無理だよねえ。ぼく、美術部ですらないんだし」
「いや、これから準備すれば、不可能ではないと思うけど」
「そうなの?」
「美大受験予備校ってあるらしいぞ。デッサンとか習うらしい」
「へえ……じゃあたとえばぼくでも、可能性はゼロじゃないってこと? や、才能のこととかは別にしてもね」
 いや違う、違わないが、そうじゃなくて。
 思った以上に前向きな葉山に、僕もまた選ぶ言葉を間違えたと後悔したが、遅かった。
 そうじゃなくて、葉山には美大だけじゃなくって、音大へだって可能性はあるんだぞ。
 僕は一人胸の内を騒がせながら、葉山に問いかけた。
「美大……に、興味あるのか?」
「ん……よくわからないよ、そんな、急に言われてもね。でも、可能性はあるんだって思うと、ちょっとうれしいかなって」
 屈託なく喜んでいる葉山に、ますます胸が騒ぐ。リプレイ前の世界での、バイオリンを構える凛とした葉山の表情を思い出してしまう。今葉山が絵の道に進むと決心すれば、あの葉山は永久に失われてしまう…………
 でも。そんな考え方は僕のエゴか? 音楽を押しつけることは、今僕の目の前で美術に興味を示している葉山の可能性をつぶしてしまうことなのか?
 いや。未来を知っているのは僕だけなのだ。今葉山を軌道修正してやらなければ、むしろそれは葉山の音楽への道を閉ざしてしまうことになるのではないか?
 つまり、どちらも――未来のことを話すも話さないも、僕のエゴなのだ。
 これまでに何度も繰り返してきた答えのでない問いに、僕は改めて暗い淵を覗き込んでいるような気分になった。未来という担保は、リプレイヤーの原罪なのだ。
「赤池くん?」
 葉山には、色々な可能性があるはずなのだ。音大だけではなくて、バイオリニストだけではなくて、他に、もっと。
 僕は葉山の目が見られなかった。




「へえ、美大? いいんじゃない? ちょっと想像もつかないけど」
 無責任な奴ばかりだ、と嘆息すると、三洲は僕の顔を覗き込んで後を続けた。
「どっちにしても、赤池が口を挟む事じゃないんじゃないの? まずは葉山が自分で考えるべき、だろ? 葉山がお前に相談してきたら、助言してやればいいと思うけど。考えすぎると、ドツボにハマるよ」
 一般論に過ぎない言葉に意味深な忠告をかさねることで、三洲はリプレイヤーとして僕に釘をさしているのだ。わかってるさ。
 僕が黙っていると、三洲はコーヒーのプルトップを引いて一口飲んだ。
 ふう、と息をつきつつ空を見上げて話しを継ぐ。
「赤池は? やっぱり建築に進むのか?」
「同じ大学をもう一度受けるよ。というか、リプレイ前にしていた勉強も続けてるし」
「ああ、いいね。リプレイヤーだって時間を無駄にしていいはずはない」
 僕はこの夏を、ある施設の建設現場を見学させてもらって過ごしていた。その建物の設計者は、リプレイ前の世界において指導教官のつてで知り合った建築家で、とても気っ風のよい人だった。『建築に興味のある高校生』の面倒も見てくれるように思われたので、頼み込んで建設現場を見学させてもらったのだ。以前話だけで聴いていた工法などを実際に目の当たりにできて、勉強になった。
 葉山にも何度か会った。けど、そう言えば、葉山は夏休みを利用してアルバイトをしているということだった。意外だったし、なぜ急にとは思ったが、何度か訊ねてはぐらかされたなりにしてしまっていた。
 そして、そう言えば。
「三洲は?」
 どうするつもりなんだ、と後を濁す。病気のことは判ってはいたが、下手な遠慮は却って三洲を不快にさせるらしいので、僕は配慮をなくさない程度に無遠慮になることにしていた。
 リプレイ前には法学部に進んだ三洲だが、また同じ進路へ進むのか? でも、病気になるという未来が判ってしまっているのだ。三洲は軽く首をかしげた。
「ん……どうしようかと思って。どうせ進学しても意味がないなら、ニートでも……か、せいぜいフリーターでもいいかという気もするし。親は心配するだろうけどね」
 ニートの三洲。……なんて不似合いな単語なんだろう。
「まあ、ニートは冗談としてもね。どうせ学費が無駄になって、無駄な治療費でまで家族に迷惑をかけるんだから、受験なんかしない方が無駄がなくっていいかもしれないとは思うよ。いろいろ期待させるのもかえって酷だろうし。どうするのが一番いいのか、考えてるとこ」
 相づちをうちながら聴いていると、三洲は少し黙りこんだ。
 やがて振り向くと、三洲は僕の顔をまっすぐに見つめて口を開いた。
「……前から考えてたんだけど」
「何だ?」
「俺たちは、望んでここに居るのかなって」
 三洲はゆっくりと言葉を継いだ。
「このリプレイは、この時間に戻ることを……やり直すことを俺が望んだせいで、起きたのかな」
「………………」
 答えを期待していたわけではいなかったのだろう、三洲はふっと微笑むと、僕に背中を向けて歩き去った。
 残された僕は、遠い景色を見詰めながら、三洲の言葉を反芻した。
 この時代に戻ることを僕は望んだのかって? 答えは判りきっている。



 
 この半年で自室として見慣れ直した305号室で、僕は一人座ったままじっと考えていた。
 やがて扉が開き、図書委員を終えて戻ってきた葉山が、僕ににっこり微笑んだ。
「あれ? 赤池くんいたんだ。ご飯もう食べた?」
「まだだ」
「そう、もう六時半に」
「葉山」
 着替えながら話し続ける葉山へ、僕はベッドに座ったまま呼びかけた。
 葉山はシャツのボタンをとめながら、こちらを振り向いた。
「なに?」
「ちょっと座ってくれ、こっち」
「うん」
 葉山はボタンをかけ終えると、素直にこちらにやってきて僕の隣りに腰掛けた。
 僕は大きく息をした。
 未来を、この先に何が起こるのかを知っているリプレイヤーは、『知っている』と言うことそれ自体が既に欺瞞なのだ。だから、僕は。今目の前に居る葉山ときちんと向き合うと、決めたのだ。
「葉山」
「うん?」
 首を傾げて微笑む葉山の目を、僕は苦労してまっすぐに見詰めた。
「話したいことが、あるんだ」











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