裏コイモモ
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 夜になって、二人で(父は出張中で不在なのだ……葉山は残念がったけれど、勿論これは狙ってのことである)水炊きをつくって、借りてきたビデオを観て、アルコールを飲んだりして。他愛ない倖せな時間に少し酔った。
 そろそろ寝ようかという頃合になったので、何気ない調子で思いついたように提案する。
「葉山は客室使うか?」
「うん?」
「ギイが来た時は、僕のベッドで一緒に寝たんだけれど」
「二人で? 狭くなかった?」
「狭かった。あいつは遠慮ってものを知らないから、布団をどんどん持っていくし」
 あははと笑って、葉山は首を少し傾げた。
「ぼくはどっちでもいいよ。赤池くんが迷惑じゃなければ、一緒でもいいし」
「じゃ、折角泊まりに来たんだし、一緒に寝るか」
「うん、そうする」
 葉山に風呂を勧めて一人になった居間で、アルコールの力を借りたとは言えよく頑張った僕、と残ったビールで一人乾杯した。




 僕のベッドにふたりでうつ伏せて、それぞれに枕を抱えて笑いあう。
「人と一緒の布団なんて、何年ぶりだろう」
「ああ、大丈夫か?」
 最近では人間接触嫌悪症は随分緩和していたようだし、だから僕もこんな誘いを掛けたのだけれど、実際のところは本人にしか判らないだろう。葉山は僕の肩に肩をぶつけてにっこり笑った。
「ね、全然平気。赤池くんだし」
「……何だ、それは」
 ……大丈夫じゃないのは、僕の方か。心臓がまだ跳ねている。そんな風に気を許してくれたことは素直にうれしいのだが、葉山を好きな身としては少し複雑な気分でもある。
「あ」
 眠れぬ夜になりそうだと思いかけたところで、突然葉山が頓狂な声をあげた。夜にしては大きめのその声に、何事かと顔を見つめる。
「何だ?」
「あ、ごめん、あー……十二時まわってる、もう、明後日だね」
「何が」
「赤池くんの誕生日」
「……あ」
「……忘れてたのかい?」
「忘れてた」
 この春休みは、葉山を家に呼ぶことで頭が一杯だったから……なんて、とても言えない。
「でもよく知ってたな、僕の誕生日なんて。話したことあったか?」
「うん、えっと、確かギイに聞いたと思う」
「そうか」
 僕の誕生日は、エイプリルフールの上に年度のおしまいの日というあまり嬉しくない日付なのだが、その分話題に上ることが多いというのもありがたいのかありがたくないのかよく判らない。けれど、まあこの場合結果オーライだろう。
 葉山はしばらく黙り込んだ後、するりと布団から這い出すと、自分の荷物を開いてごそごそと何かを探し始めた。
「どうした? 薬でも飲み忘れた?」
 生返事を返しつつやがて戻ってきた葉山は、何やら四角い包みを手にしていた。
「あの、赤池くん、誕生日おめでとう」
「え……」
「ちょっと早いけど、忘れて帰っちゃいそうだから」
 薄情なのか何なのか判らないことを言いながら、葉山はその包みを僕に差し出した。
「……くれるのか?」
「たいしたものじゃないんだけど、どうぞ」
 僕は包みを受け取って、葉山に布団に入るように促した。
「開けてもいいか?」
「うん、もちろん」
 葉山を布団に入れてから包みを解くと、中からCDが出てきた。井上佐智の、チャイコフスキーとシベリウスのバイオリンコンチェルトだ……これは。
 リプレイ前の世界ではじめて葉山がくれた、そのCDじゃないか。
「ぼくの好きな井上佐智で、赤池くんの好きな曲で選んだんだ」
 驚きと感慨で言葉も出ない僕に、葉山がそう説明する。そうだ、確かリプレイ前の世界でもシベリウスが好きだと話した後に、これを贈ってくれたのだ。
「そうか、ありがとう……でも悪いな、何だか。葉山の時は何もしなかったのに」
 動揺を隠そうと話を逸らすと、葉山は何でもないことのように言った。
「うん、感謝の気持ちだから」
「感謝? 何で」
「うん、いろいろ」
「判らん」
「いろいろだよ。だって、無事進級できたのも、こうして今赤池くんの家に泊めてもらって、一緒の布団に入っているのも、全部」
 葉山はそこでふわりと笑う。頼むから……この距離で、そんな顔で笑わないでくれ。
「赤池くんのお陰だよ」
「僕は何にもしてないよ……あ、進級に関しては感謝してもらって大いに結構だが」
 何しろ試験前には随分勉強を見てやったのだ。僕が見てやらなくても葉山がきちんと進級できることは知っていたのだから、本当は葉山は僕に感謝する必要などないのだけれど。葉山は僕の言葉にうっと唸り、困った顔をした。
「それは、感謝、してます、ちゃんと」
「宜しい。でも、他のことは別に」
「いいんだ、そうなんだから。赤池くんが居てくれて、よかった」
「……もうなあ、お前は!」
「え、なに?」
「そういうかわいいこと言うな、馬鹿。キスするぞ」
 葉山はやっぱり一瞬怯んだような表情を見せ、けれど苦笑にほどいた。
「だから、そういう冗談言う人だとは思わなかったってば!」




 ちいさく欠伸をした葉山に、僕はついつい時間を過ごしてしまっていたことに気づいた。
「そろそろ寝るか。疲れたんだろう、今日は」
「そんなことはないと思うけど……もうこんな時間なんだね」
「電気、消すぞ」
「うん、お休み」
 手をのばしてぱちんとスタンドを消し、寝返りをうつ。
 やはり疲れていたのだろう、葉山は早々に眠りについたようだった。僕は何となく眠るタイミングを逃してしまい、目をあけたまましばらくぼんやりとしていた。
 暗闇に目が慣れてくると、カーテンの隙間から差し込む月の光で、物の輪郭がぼんやりと蒼暗く見えてくる。
 寝返りをうつと、すぐ目の前に葉山の顔があって馬鹿みたいに動揺してしまう。や、確かに正直、これが目当てではあったのだけれど。動揺を抑えて葉山が眠っていることを確認し、体勢をととのえて葉山の顔をつくづくと眺める。
 月光で蒼白い顔、僕がリプレイを始めた頃よりも少し大人びてきただろうか。いや、それでもまだあの頃……リプレイ前の世界での大学生の頃よりはずっと幼いな。第一、髪が短い。大学生の頃の葉山みたいに、今の葉山も少し髪を伸ばせばいいのに。あれはとてもかわいかっ……いや、いやいやいやそんなことをしてもらっては、僕のライバルがまた増えてしまう。今だってこっそり葉山ファンをしているやつは、リプレイ前の高校生の時よりはるかに多いんだ。
 勝手なことを考えながら視線を転じると、少し開いた唇に目が行き心臓が跳ねた。
 忘れたフリをしていた欲求が、急に現実味をもって迫ってくる。
 触れたい。葉山に、触れたい。
 ずっと我慢してきたんだ。リプレイ前の高校を卒業してから二年半、リプレイをはじめてから半年弱。どちらの時も、葉山を身近に感じながら触れることだけは叶わなかった。
 一度気づいてしまうと、もうそのことしか考えられず、最早眠るどころではなかった。我ながら自分勝手だとは思うのだが、暢気そうにすうすうと寝息をたてている葉山が憎らしく思えてきた。ええい、ままよ。
 音をたてないように気を配りながら震える右手を伸ばし、まずその髪に触れる。短くなってはいるけれど、懐かしい感触に心臓がますます高鳴る。僕が触れることを許されていた数少ない場所。そして。僕は手を引き、身体を起こした。この心臓の音で葉山が目覚めてしまうのではないかと馬鹿なことを考えながら、ゆっくりと顔を近づけ、

 ………………そこまでだった。

 赤池くんが居てくれて、よかった。葉山の言葉がリフレインする。
 僕がリプレイヤーであること、未来を知っていることを知らずに僕を信頼してくれた葉山を、僕が自分の未来を摘んでしまったことを知らずに居る葉山を、そんな何も知らない葉山を裏切るような真似を、僕はすべきじゃない……。
 僕は寝返りをうって壁を向き、何も考えまいと努力しつつ、長い夜を過ごしはじめた。











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