裏コイモモ
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 新幹線改札口から出てきた葉山に手を振って合図する。東京まで迎えに出ることをギイに話したら「章三は過保護過ぎるんだ」とからかわれたけれど、単に僕が少しでも早く葉山に会いたかっただけのことだ……まあ、葉山が心配だったというのも、確かに多少はあるのだけれど。
 葉山は僕を見つけると、やや硬かった表情をふっとゆるませてこちらに駆けてきた。
「ごめんね、途中で少し遅れが出たみたいで。待っただろう?」
「放送で遅れのことは知っていたから、大丈夫だよ。じゃ、行くか」
 在来線の快速に乗り換えて、座席に並んで腰掛ける。これまでに二人で出かけたことも何度かあったし、いつもと何ら変わりはないはずなのに、なぜか訳もなく心が浮き立つ。窓から入り込む春の日差しのせいもあるのだろうか、けれど見慣れた快速の車内で葉山が隣に座っている、ただそれだけのことで僕の心臓は他愛もなくどきどきと跳ねるのだ。そんな浮かれた内心を気づかれたくなくて、軽い調子で話しかける。
「今夜、何が食べたい?」
「えっと、水炊き!」
「葉山、鳥好きだよなあ」
「だって、鍋物は寮では食べれないし、家でもあんまりしないんだ」
「水炊きね、いいよ。途中で材料買って行こう」
「赤池くんの手料理、楽しみだなあ」
「水炊きなんて、手料理って程じゃ……というか、お前も手伝うんだぞ、葉山」
 わかってます、と笑った葉山に、またどきどきと心臓が躍る。
 こんなことで、あと二日も大丈夫なんだろうか、僕は。
 今日から二泊三日、葉山が僕の家に遊びに来るのだ。




「やっぱり」
「何が」
「部屋がきれいだね、赤池くん」
 僕の部屋に入るなり、いたずらっぽく笑いながらそう言った葉山を座らせて、僕は茶碗を乗せた盆をテーブルに置きながら何気ないフリで隣に座る。距離をつめる度にいまだに毎回緊張するのは、たぶん葉山のためじゃない。
 そんな内心を隠すために、葉山に茶を勧めて自分も茶碗をひとつとった。
「ありがとう」
 葉山はお茶を一口飲むと息をつき、書棚の方に目を向けた。
「ねえ、建築関係の本が多いね。もしかして赤池くん、建築家志望?」
「ああ……うん、憧れではあるよ」
「ちゃんと考えてるんだ、将来のこと」
「まあ、まだはっきりとしてるわけじゃないけどな」
「そう、でも、……いいなあ」
 そこで言葉を切ると、葉山は少し苦く笑った。
「将来の夢とかって、なくって」
「葉山……」
 僕と一緒に東京の大学に行こうと、そう言い掛けた言葉を飲み込んだ。
 リプレイ前の世界では、葉山はストレートで音大に合格し、いくつか小さなコンクールで賞もとっていた。あの最後の年には音コンにも出場していたし、確かあの事故があった日は本選の直前だった(そうだ、未来の葉山はきちんと本選会に出られたのだろうか? 結果はどうなったのだろうか? しかしそもそも、本選直前だというのにあの日、葉山はバイトに行っていたんだ……まったく、お人よしというか神経が太いというか)のだ。
 けれど、あの葉山はもう居ない。これからも、会えないんだ。
 このリプレイにおいて、たぶん葉山はバイオリニストにはなれない。
 だって今の葉山には、バイオリンがない。
 僕は葉山の才能を知っているけれど、未来を知らない今の葉山に僕がバイオリンを再開しろだなんて言っても、そんな言葉は一友人の無責任なアドバイスでしかないだろう。
 ギイなら――、バイオリンをプレゼントして進むべき方向を示唆してやれたのに。
 思わずそう考えた自分に舌打した。
 余計なことばかり考えてしまうリプレイの陥穽に気づいて以来、ギイだったら、ギイはどうしていたか、そう考えることは自分の中で禁忌としてきたのだが、ことこれに関しては僕では……どうにもならない。
 けれど。このリプレイにおいて葉山からバイオリンを奪ってしまったのは確かに僕だけれど、それを言うなら奪ってしまったものは他にも沢山あるのだ。僕が未来の記憶を持っているというリプレイヤーである以上、どんな後悔も今更だというのは、何度も結論付けてきたことだ。
 ただ、一方の僕自身は努力をすれば理系の所謂Aランクの大学に入り、希望の進路につけることが判ってしまっているのだ。勿論リプレイがはじまってからの歴史の変化も考慮に入れなければならないだろうけれど、その偏差はバイオリンを持たない葉山よりはずっと少ないはずだ。将来が真っ白になってしまった――当然ながらリプレイヤーでもない葉山本人にとってはそれは当たり前のことで、何の変わりもないのだけれど――葉山に対して、ある種の裏切りを犯しているような気は拭えない。
「でもまあ、卒業まではあと二年あるし、ね」
 葉山は明るくそう言い、……ん?
「待て、待て待て、二年後じゃあ遅いだろう。せめて二年生のうちに、方向性だけでも決めておかないと」
「あ、う、うん。それは、判ってるよ。二年っていうのは、言葉のあやじゃないか……」
「あ……そ、そうか」
 葉山の拗ねた声に、最前からの罪悪感も手伝って口をつぐむ。葉山はそんな僕の顔を上目遣いに見あげると、ぷっと吹き出し肩を震わせて笑い出した。
「あは、あはははは、ふ」
「……何だよ、葉山」
「ふ……ふふ、だ、だって」
 葉山は目じりの涙を指ではじいた……いくらなんでも、笑いすぎだ。
「ご、ごめんね」
「構わないけど……そんなに可笑しかったか」
 葉山はまだ笑いながら大きくかぶりを振った。
「ん、だって、あ、赤池くんの困った顔が、かわいかったんだもん」
 章三、かわいい。
 ふとリプレイ前の世界での葉山の声がフラッシュバックする。
 からかうだけでなく、また保護者の役割を演じるだけでもなくなった大学生の僕は、葉山との間に特別な友人関係をつくっていっていた(と、僕は思っている)。時には愚痴を言い合ったり、学生らしい冗談や悪ノリまで共有するようになって、僕の情けない面や子どもっぽいところを葉山に見せてしまう機会もそれまでよりも増えて、葉山は僕に時折そう言うようになった。章三、かわいい。大抵は互いに酔いが回った状態でのことだったので、葉山にそんな評価を頂くなんて僕も随分落ちぶれたものだとか、いやむしろ葉山がそんなことを言うほど成長したということは喜ばしいことだなとか、その度に僕は冗談で返して、葉山も笑って取り合わなかったけれど。あれは、葉山なりの僕への親愛の表現なんだと思っていた。そして多分実際、そのようなものだったのだろう。
「あの、赤池くん?」
 いつしか笑うのをやめていた葉山が、怪訝そうに僕の顔を覗きこんだ。
「ごめんね、気を悪くしたかい?」
「あ……いや、そうじゃないんだ、ただ」
 僕はふっと微笑んで、
「僕なんかより葉山のほうがかわいいよ」
 あの頃、大学生の葉山にからかわれる度に、言ってみたいとずっと思っていたセリフ。さらりと口をついて出た。
 案の定葉山はかあっと頬を染め、視線が泳ぎ、……ほらやっぱり、かわいいのは葉山じゃないか。
「あ、赤池くん、そういう冗談、意外と平気で言うよね」
「そうか? 意外か」
 冗談ではない、本心なんだけど。
「も……もっと、真面目な人だと思ってたっ」
 怒ったようにそういう葉山も、やっぱりかわいかった。











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