裏コイモモ
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 『女王 の 百年密室』と題されたそのノベルスを手にとり、しばらく感慨に耽る。あの事故の前に読み始めて、結局読了できなかった本だ。大学の友人に薦められて読み始めた森博嗣(専門が建築ということもあって、僕の所属する研究室では、この作家を読む友人は多かった)の推理小説だ。リプレイ前に僕が買ったのは文庫版だったけれど、今僕が手にしているのは同じ本のノベルスバージョンだ――文庫版の発売はまだ半年程先のことだ。続きが気になっていたことを思い出したので、ノベルスで買うことにしたのだ。
 代金を払って、雑誌を物色しているギイの元へ向かう。
「用事はもういいのか?」
「ああ、済んだ。ギイは? まだ見ていくか?」
「いや、そろそろ時間だ。出よう」
 書店を出た瞬間冷たい風に迎えられ、思わず身をすくめる。
「今日はまた一段と寒いな」
「そうかー?」
「ギイはほんと寒さに強いよな」
「そうかー? どうでもいいけど、また風邪引くなよ? 章三」
 待ち合わせの場所につくと、片倉が手を振って僕らに合図した。
「待ったか?」
「いんや、時間丁度だよ。俺らも今来たところ」
「じゃ、早く行こう。ここ寒いよ」
 顔をしかめた葉山は、黒いマフラーを鼻の上までひっぱりあげると率先して歩き出す。それに従いながら、ギイは苦笑する。
「やれやれ、そんなに寒いかね」
「さっむいよ……ギイは寒いのに強いよねえ」
「それ、章三にも言われた」
「そうだろう? ギイが頑丈すぎるんだよねえ、赤池くん」
「うん、僕も葉山に同感だな」
 やっぱりそうだよね、と僕の同意に喜んだ葉山は、すぐに猶も反論を仕掛けるギイの相手をしはじめた。
 いつのまにか親しくなっていたこの二人――いや、二人を仲介したのはこのリプレイでは明らかに僕なのだけれど、この二人を見ていると、なんだかもやもやとした卑屈な気分になって仕方がない。大体、片倉が「利久」なのは仕方がないとしても、ギイもいつのまにやら「ギイ」になっていたのに、何で僕は「赤池くん」のままなんだ? 自分でもあまりに子どもっぽい不満だと思うから、口に出しては言わないけれど。
 ……それに、やっぱり。ギイと葉山が並んでいるところを見ると、とても似合いに見えるんだ。僕がそう思うのは、リプレイ前の二人を知っているからなのだろうか。
 ギイが心から楽しそうに葉山をからかって、葉山に怒られてはうれしそうにしている、そんな穏やかな光景に昏い感情を持ってしまうことが、なんともやりきれなかった。




 四人で映画を観てお茶をして、さて帰ろうとバス停に向かうと、間の悪いことに丁度祠堂生が戻るラッシュにかち合ってしまったらしかった。発車時刻を待って停車中のバスは、既にほぼ座席が埋まっており、残るは二人掛けの席しか空いていない状況だ。
「混んでるなあ、めずらしく」
「なー、丁度四人座れることは座れるけど……」
 片倉が困った顔で葉山を顧みる。
 僕も知らなかったことだけれど、葉山はいつも他人が近すぎるこの二人席には座れずに、空いた時間のバスを選んで一人で座るか、もしくはスペースのとりやすい後部座席を片倉に協力してもらって使ったりしていたらしい。
 僕は振り返って、葉山を呼んだ。
「いいよ、僕が立ってるから。葉山、一人でここ座れよ」
「一時間も立ちっ放しはつらいぞ」
 ギイがそう口を挟むけれど、といって他にどうしようもない。だがそんな相談をしている僕らを横で見ていた当の葉山は、何のことはない調子でこう言った。
「赤池くん、ありがとう。でも、大丈夫だと思うよ」
「大丈夫って?」
 葉山は返事を返さずに二人掛けの席に奥まで入ると、僕を見上げてにっこり笑った。
「赤池くん、一緒に座ろうよ」
「……大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だと思う」
「無理はするなよ」
 一応そう声をかけ、僕は葉山の隣にそろそろと腰を掛けた。
 伺うように隣を見遣ると、葉山がふわりと微笑んだ。
「ね、大丈夫」


 バスが大きくカーブをきり、不安定な葉山の身体をうけとめる。ごめんねと照れた顔で謝る葉山は、触れ合った肩に胸を高鳴らせてしまった僕のふらちな心なんて思いもよらないことだろう。
 気まずくなって目を逸らした僕に気づかず、窓の外を覗きこんだ葉山は明るい声をあげた。
「赤池くん、見て」
「ん?」
「ほら、雪」
 葉山が示す窓の外を見やると、ちらちらと白い雪が舞いはじめていた。
「ほんとだ。道理で寒いわけだ」
「ね。積もらないかなあ」
 窓に顔を近づけて首をかしげる葉山に、つい笑みが零れる。
「いいのか? 寒いの嫌いなくせに」
「うん、嫌だけど、でもやっぱりちょっとワクワクするんだ」
「静岡では降らないか?」
「めったなことでは降らないよ。祠堂に来るまで雪見たことなかったし」
「そうなんだ」
 はしゃぐ葉山がかわいくて、つい見とれる。
 祠堂までの一時間弱がこんなに短く感じたのは、リプレイ前から通して考えても、おそらく初めてだった。




 バスを降りると先程よりも雪が強く降っていたので、傘がない僕たちはなるべく早く寮にたどり着くために早めの歩調で歩き始めた。だがしばらく歩いたところで、人数が足りないことに気づいて振り返る。
「おーい、たくみー、風邪引くぞー」
「あ、ごめん」
 片倉の呼びかけに小走りで駆けて来たものの、しばらく歩くとまた葉山は遅れはじめていた。振り返って見ると、葉山は雪の降ってくるのをついつい見あげてしまって歩みがおろそかになっているらしかった。
「上ばかり見てると、また転ぶぞー」
「またって何だよ、もう」
 ぷっとふくれたのに笑い返しながらまたからかいつつ、ギイは葉山の隣を歩き出した。これ以上葉山が遅れないようにという配慮をしてのことなのだろう。
 こんな時、やっぱりギイにはかなわないなとついつい思ってしまう。やつはまだ高校一年生だってのに、人生五年アヘッドのリプレイヤーの僕でも及ばない部分がたくさんある。もうこれは、生まれついてのものなのだろうか……ならば仕方がない、というか、僕も別に、ギイに勝ちたいとか負けて悔しいとか、そういうことを考えているわけではないのだけれど、ただ――。
 自然僕の隣を歩き出した片倉は、何やらうれしそうににこにことしていた。
「全くしょうがないよなあ、託生は」
「という割りに、困ってない感じだな、片倉」
「や、困ることも、あるんだけど。でもなんかさ、手のかかる弟が出来た気分でさ、俺」
「弟、か」
 その気持ちは判らないでもない、と心の中で同意しつつ、反面片倉の暢気な評言に少し苛立ちを感じていた。同室というだけで僕よりもずっと前から、ずっと長い間葉山と一緒に過ごしている片倉は、ギイが葉山の友人になろうが、まだまだ葉山と一緒に過ごす時間は多いもんな、まだまだ世話を焼く機会があるんだもんな。ただのクラスメートの僕とは違って。――なんて、片倉は僕の気持ちを知らないのに。ただの八つ当たりだ、これは。
 くだらないことばかり考えてしまう自分自身に一番苛立ちを感じながら、なるべく平静な声になるように努力しつつ、話を継ぐ。
「葉山も同室者が片倉で幸いだったな」
「そうかなあ? んー、託生もそう思ってくれてたら、それは、うれしいけど、でもさ、」
 片倉は言葉を切って、僕の目を見た。
「バスで隣に座れたのは、俺の知る限り、赤池が初めてだよ」
 その言葉に、思わず思考が停止した。
 ただ自動的に足を動かしながら、片倉の言葉を反芻する。
 ギイに嫉妬したことも、片倉に焦れたことも、恥ずかしくて仕方がなかった。
 大体、人がどうなのかではなくて、葉山自身がどう思うかが大事なんじゃないか。僕はギイの恋人としての葉山を知ってしまっているのだから、何も知らなかった場合よりも周辺の雑事に気を取られ易いのは仕方のないことだと思う。でもだからこそ、大切なことは見失わないように、人一倍注意を払わなければならないはずなのに――僕は、馬鹿だ。
「章三ー、お前も風邪引くぞ!」
 相棒の声にはっと気がつくと、いつのまにやら随分距離が開いてしまっていた。相棒の隣では、葉山も笑いながらこちらを振り返っている。
「赤池くん、ぼーっとしてると転ぶよー」
「……葉山には言われたくない!」











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