裏コイモモ
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 突然降ってわいたような友情の押し売りに、葉山もしばらくの間は困惑を隠し切れないようだった。しかししばらく経つと、僕の努力の甲斐あって――なのかどうかは判らないが、次第に打ち解けてくれるようになっていた。
 僕は僕で、遠慮会釈もなしに葉山に近づいていった。教室でも寮でもごく普通の友人のように声をかけ、食事時には自然に相席になる。人のいい片倉利久は、いつもうれしそうに僕を仲間に入れてくれた。
 僕のそうした行動が周囲から訝しい目で見られていることは判っていたが、そうした違和感が決して悪意までは発展しないこともまた僕には予測済みだった。葉山が多くのクラスメートから問題児だと思われていたのは確かだが、葉山を嫌っていた人間なんて実は数少なかったのだから。
 その日の放課後も、僕は教室の葉山の前の席に陣取っていた。
「随分寒くなってきたな」
「うん、すっごく寒い」
「いや、まだそこまで寒くはないと思うけど」
「ぼくには充分、寒いよ」
「でも、まだ雪が降らないだけましだろう。例年はそろそろ降ることもあるらしいぞ」
「え、もうそんな時期なの? うわあ、嫌になっちゃうなあ」
 葉山はそうぼやきながら、テキストにくるくるとブックバンドをまいた。
 放課後の教室でこんなふうに帰り支度を待っていても、もう困った顔をされることもなくなっていた。まだ一人分の距離は縮まらないけれど、僕は焦ってはいない。
「日向ぼっこも、もう無理だな」
「うん……」
 どうやら、人の居ない場所を探した結果日向ぼっこが日課になっていたらしい葉山は、それにはちょっと困ったように小さくため息をついた。僕はそこで、ふと懐かしい場所のことを思い出した。
「そうだ、温室に行って見ようか」
「温室?『祠堂のサハリン』に?」
 どうしてと、葉山は訝しそうに首を傾げる。無理もない。僕だってリプレイ前においては、三年で大橋先生のクラスになって、葉山があそこを根城とするようになるまでは、殆ど近寄ったことのない場所だったのだから。このリプレイでも、先日訪れたきりになっている。でも、今度は葉山と二人で行ってみたい気持ちになっていた。
「きっとあったかいぞ」
「そうか、温室っていうくらいだもんね」
 葉山は納得したように頷くと、まとめた荷物を持って席をたった。




「失礼しまーす……」
 見慣れた鉄製の扉を開けると、暖かい空気が僕たちをつつみこんだ。
 返答は返ってこなかったが、扉を閉めて、通いなれた小道を歩いて中央の小さな広場へ向かう。僕の後からおずおずと入ってきた葉山は、物珍しそうに周囲を見回しながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
「先生、いらっしゃらないのかな? 勝手に入っちゃ、まずいんじゃ……」
 そう言いかけた葉山の動きがとまり、その視線の先を追うと、ベンチの上には黒い猫がまるくなって眠っていた。
「猫がいるよ、赤池くん」
 葉山は足音をたてないように近づくと、そっと眠る猫に手を伸ばす。真っ黒い小さな猫、赤い首輪、あれは確か……
「リンリン」
「え?」
 葉山が不審そうにこちらを振り返った。
 その瞬間、ぱっと跳ね起きたリンリンは葉山の腕をすり抜け、首輪の鈴を鳴らせて茂みの中にまぎれ込んだ。
「赤池くん、今の猫のこと知っているのかい?」
 ……失敗した。今の僕はまだ、リンリンのことを知らないはずじゃないか。
「大橋先生の猫だよ、確か」
「そうなんだ、赤池くん、大橋先生と親しいのかい」
「親しいというほどではないけれど、前に用事があってここを訪ねたことがあったから」
 そうか、と葉山は簡単に納得してリンリンが消えたあたりに視線をおとした。
「驚いたのかな? 逃げられちゃった」
 危ないところだった。リンリンの突然の登場に、つい気が緩んでしまったようだ。
 僕がリンリンを知ったのは、三年生になってからのはず――いや、待てよ。それ以前に、大橋先生があの黒猫を飼いはじめたのも確か、僕らが三年になってからではなかっただろうか。そうだ、三年の四月頃、葉山が後輩の真行寺と一緒に猫の貰い手を探していたのを覚えている。
 ――もしかして、このリプレイにおいては、リプレイ前の世界とは歴史が変わっているのだろうか? 僕が変えてしまった部分(つまり、葉山の周囲の関係性)だけではなく、他のところでも?
 まだリンリンを探して茂みを覗いている葉山をよそに、僕は呆然として立ちすくんだまま動けなかった。




 部屋に戻ると、ギイは自分のベッドの上でぱらぱらと雑誌をめくっていた。
「珍しいな、ギイがそう暇そうにしているのは」
「たまにはな」
 僕は制服を着替えようと、クロゼットを開いた。
「しっかしなあ」
 ブレザーをハンガーに掛けていると、のんびりした声が後ろから聴こえてくる。
「章三も隅に置けないよなあ、まったく」
「何が」
「筋金入りのストレートだったはずの赤池章三が、人間嫌いの葉山託生にご執心らしい」
 ……は。
「なんて、噂だぞ」
「……なんだその週刊誌の見出しみたいな文句は」
 ついにこの時が来たか、と思いながら僕は殊更に呆れたような声で返事を返した。
「まあ噂は噂としてだな」
 案の定ギイはそれまでの調子を打ち切るように声色を変えて、身体を起こすとベッドに腰掛け僕の方に顔を向けた。
「どうなんだ? 実のところ」
「……実のところ、って?」
「オレにまでとぼけるなよ。ゴシップレベルの勘繰りとは別に、章三の様子が変わってたことくらいとっくに気づいていたさ。なんたってオレはお前の相棒なんだからな」
「……ギイ」
「風邪ひいた辺りから、お前変だったろ」
 ギイは口の端を持ち上げて笑いながらそう言い、僕はギイが口にした「相棒」という言葉に胸が痛むのを感じた。
「で、実際どう思ってるんだ? 葉山のこと」
 覚悟を決めなければならない、と思った。
 本当の気持ちを告げれば、僕はこの相棒を失い、永久に敵に回すことになるだろう。僕のライバル宣言が契機となって、ギイが葉山に気持ちを告げるようなことになれば、僕は葉山をも失うかもしれない。
 それでも、僕はギイに嘘はつけなかった。
 僕は手早く着替えを済ませてクロゼットをぱたんと閉め、ギイに向き直った。
「噂の通りで、ギイが思っている通りだよ。僕は葉山が好きだ」
 声が震えそうになる。
 ギイはじっと僕の眸をみつめ、やがてふっと微笑んだ。
「そっか」
 判決を待つ罪人の気分で、相棒が言葉を継ぐのを待つ。
「それは……よかった」
 ……え?
「……ギイ?」
 ギイは穏やかな表情で、ゆっくりと語りだした。
「今まで話したことがなかったけれど、実はオレ、以前に葉山に会ったことがあるんだ。実のところ、葉山託生はオレの恩人なんだよ。向うはオレのことなんか覚えちゃいないみたいだけどな。だから、四月からこっちの葉山を見てて、なんとかしてやりたいとずっと思ってたんだけど……オレじゃだめだったんだな」
 そうじゃない、葉山にはお前が必要なんだともう少しで叫んでしまいそうだった。だが、ギイの言葉にはまだ続きがあった。
「結局オレは、級長としての関わりしか作れなかった。葉山の事情は知らないけどさ、やっぱり友情よりも愛情が必要だったんだよ、葉山には、きっと。ここ最近の葉山、すごくいい感じだし」
 ギイはそう言うと、晴れやかに笑った。
「ということで、オレは章三を応援してるから。葉山のためにも、な」
 僕は信じられない思いでギイの言葉を聴いていた。
 ギイには無理をしているような様子は全く感じられず、本心を偽りなく語っているようにしか見えない……そう見えてしまうというのは、僕の願望なのだろうか? だが、リプレイ前のギイを知っている僕には判る。僕の知っているギイであれば、こと葉山に関しては、たとえ相手が僕だろうと遠慮することなど絶対にありえない……だとしたら。
 リプレイ前の世界とは、歴史が違っているのだろうか? ギイの心までも?
 それとも、僕が変えてしまったのだろうか?
 いや……変わったというのなら、僕が未来の記憶を持ったままリプレイし始めた時点で、既に僕の心がそれまでとは全然変わってしまっているんだ。僕が何かを選択することは、歴史を変えることなんだから。今更後悔しても始まらない。
 僕はギイの目をまっすぐに見返して、口を開いた。
「ありがとう、ギイ」











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