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「章三、オレ評議会なんだ。これ頼むぞ」
 その日の放課後、SHRが済んですぐに自分の荷物を僕の机にぽんと置くと、ギイは僕が返事をする前に既に教室から居なくなっていた。
 相変わらずだなと思いながら、僕はこっそり苦笑した。
 こういうはしっこいというか、ちゃっかりしているというか、ギイのそんな所は年をとってからも変わりはしなかった。けれど次第に顔つきも身体も大人っぽくなり、クールな階段長に化けたりビジネスの世界に本格的に入ったりするに従って、そういう面が目立たなくなって行ったことも確かだ。
 だから今ギイが妙にかわいいと思えてしまうのは、別に僕がギイに恋をしているからではなく(あたりまえだ!)高校生の相棒を大学生の視点で見ているからなのだろう。その上まだあどけなさの残るあの顔立ちときては、もう何をされても許せてしまう気すらする。高一の頃のギイの上級生人気が富に高かったことに、今更ながら僕は心から納得していた。
 僕は自分の荷物をまとめながら、人気もまばらになっている教室を目だけで横断して窓際の葉山を確認した。葉山が帰る準備を整えて立ち上がり教室を出て行くまで待ち、二人分の荷物を小脇にかかえると後を追いかける。


 ゆっくりめの葉山の歩調に合わせてある程度の距離を開けて追いかける。ストーカーか僕はと心の中でつっこみを入れつつ、鼓動が早くなるのを感じていた。緊張するのも当たり前だとは思いながらも、ただ話しかけようとするだけでこれほどまでに緊張していることが少し悔しかった。
 高校生に戻ってしまってからしばらくは、テスト週間をやりすごしつつ、不自然な行動をとらないように気を配りながらじっくりと周囲を観察して過ごした。この状況がいつまでつづくのかは判らないけれど、もしかしたら永久にこのままで大学生の頃には戻れない可能性もある。まずはこの環境に順応するのが先決だと思ったのだ。
 不自然にならないようにと気をつけながらも、ふと気づくと目で葉山を捜してしまう自分に気づいた。葉山のことを知り、葉山に恋をしてからの僕の目で改めて今の葉山を見ると、以前の人生では人間嫌いの変わり者くらいにしか思っていなかった葉山がひどく辛そうに見えて切なかった。いとおしかった。なんとかしてやりたいと思った、出来ればギイではなくこの僕が。
 人気の少なくなった折を見計らって歩調をはやめて近づき、校舎を出たところで後ろから声をかけた。
「葉山」
 訝しそうに振り返った葉山は、声の主が僕だと知ると更に困ったような表情になった。
「あ……」
「よ。今帰りか?」
 隣まで行きつくと、何でもないことのように装って話しかける。
 こんな距離にまで近づくのは、こうして過去に戻って来て初めてだ。やけに顔が近い(そういえば、この頃は葉山も僕とあまり身長が変わらなかったんだな)。
「一緒に帰ろう」
 あからさまに狼狽している葉山に申し訳ない気分になりつつ、僕は心臓の音が更に高まるのを感じていた。
「あの、ぼく用事があるから」
 葉山は目をうろうろさせながらそれだけ返すと、くるりと方向転換してそのまま走り去った。
 呆然と馬鹿みたいに立ちすくんだまま、僕は葉山を見送ることしかできなかった。




「過去の自分に戻ってしまう話、ねえ」
 大橋先生は僕にコーヒーのカップを手渡しながら、首をかしげた。
 この先生には三年になるまでお世話になったことがないはずなので(いや、二年の秋にカリフラワーを見に来て挨拶くらいはしていたが、少なくとも一年の時には話したことすらなかったはずだ)いきなり訪ねていくのも馴れ馴れしいかと思ったのだが、先生は快く温室に迎え入れてくれただけではなく、なぜか僕の名前まで覚えていてくださったのだった。と言ってもそれは、僕が目立つ生徒だからでも大橋先生が記憶力抜群だからでもなく、どうやらギイの相棒ということで記憶してくれていたらしいので、僕は改めてギイの祠堂内知名度に驚かされたわけなのだが。
「そんなことを聴きに来るなんて、もしかしたら君は未来からやってきた赤池君なのかい?」
「……先生、冗談きついですよ」
 実際は冗談でもなんでもないのだけれど、話しても信じてもらえはしないだろう。
「あはは、もし君が未来から来たのなら、これから起こることを教えてもらいたいものだね。勿論皆には内緒で、僕にだけね」
 大橋先生は屈託なく笑ってそう言うと、コーヒーを一口飲んだ。
「過去に戻る、ってのはSFにはよくある題材だね」
「そうですか」
「赤池はあまりSF小説なんかは読まない?」
「ええと、時間ものはあんまり」
「時間を題材にしたSF小説では、ケン・グリムウッドの『リプレイ』が君の言った事例に当てはまるね。ファンタジーSFの傑作でね、なかなか面白いよ。図書室にも入っていると思うから、興味があったら読んでごらん」
「ありがとうございます」
 僕は大橋先生の教えてくれたタイトルを口の中で復唱しつつ、礼を述べた。
「もしも過去に戻れるなら、赤池はいつに戻りたい?」
「そうですね、小学校の頃とか気楽だったかなとは思いますけど……でもそうしたら、また入試とか受けなおさなきゃならないですよね」
「はは、確かに」
「先生は戻りたい時期があるんですか?」
「さあ、……どうだろうねえ」
 先生はまたコーヒーを一口飲むと、自嘲気味に少し笑った。
 僕はふと、この人の背景に思いを巡らせていた。
 自分が生徒だったときにはあまり考えたことがなかったけれど、この山の中の全寮制高校に教員として赴任してくるというのは、相当の覚悟が必要なことなのではないのだろうか。先生方の中にはこの近くに家を持っている人も居るそうだけれど、大橋先生は結婚もしていない上にほとんど一年中この温室に篭っている。いつもにこにこと笑っている印象の先生だけれど、過去や現在に何か事情を抱えているのだとしても、何の不思議もないのだ。
 僕は軽く頭を下げた。
「すみません、立ち入ったことを聴いてしまいました」
「いや、僕がふった話だからね。構わないよ」
 やや俯けていた顔を上げた大橋先生はもういつもの笑顔で、立ち上がるとコーヒーを継ぎ足しに行ってしまい、その表情は僕には見えなかった。


 温室を出た足で図書室に向かった僕は、大橋先生に教えてもらった小説を借り出すとすぐに部屋に戻り、早速それを読み始めた。割と厚めの文庫だったのだが、あまりに面白かったのでその日の内に読んでしまった。
 読み終えてから改めて自分の境遇と比較してみると、特に過去に戻るという点では共通点が多いようで、自分の身に巻き起こった出来事がいかに荒唐無稽でSF小説のような状況であったのかが再確認できてしまって、ちょっとため息が出た。『リプレイ』の主人公は過去に戻る瞬間に心臓の発作を起こしているが、僕の場合はあのバイクの事故なのだろう。だが心臓発作であれば場所は関係ないだろうけれど、僕の場合は五年後にあの日あの場所に行かなければ、事故にあわずに済むのだろうか?
 僕は頭をふった。考えても判ることではないし、これは所詮物語なのだ。今後僕がこの『リプレイ』の主人公のような運命を歩むという確証はない。
 ただ、判っていることが一つだけある。
 こうしてリプレイして過去をやりなおす――『リプレイ』では、過去を生きなおすことをそのまま「リプレイ」と呼んでいる――ことで、僕もまた前回とは違った人生をやりなおせるのかもしれないということだ。
 今日は不用意に話しかけたせいで葉山に逃げられてしまった(おそらくいきなり近づきすぎたのだと思う。ギイの「一人分開けてってのが適正距離なんだ」という言葉を、今になって思い出した)けれど、しかしそれでも以前の歴史とは既に食い違いが出ているはずだ。
 今後葉山に近づくことができるのかどうかは判らない。もしかしたら、どんなに近づこうとしても今日のように避けられ続けるのかもしれない。
 でも、それでも構わない。可能性はきっとゼロではない。
 葉山が僕のものになってくれる可能性がわずかにでもあるのならば、努力してみる価値は大いにある。











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