裏コイモモ
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 …………………………

 …………………………
 ………………
 ここは……

 ……病院……、じゃ、ないのか……?

 ………………
 ……あれからどうなったんだろう。

 事故の相手は……社のバイクは?
 運んでいた書類はどうなったんだろう。

 ……葉山はバイトに遅れやしなかっただろうか。

 僕は……とりあえず一命は取り留めたようだし、こうして天井を見上げながら当時の状況を思い出せているということは、目や頭にも問題はないようだけれど。
 そこまで考えたところで、ふと身体にも不調はないことに気づいたので、僕はゆっくりベッドの上に起き上がってみた。
 どこも、何ともない――馬鹿な。
 咄嗟に受身を取ったにしても、出来すぎているような気がする。
 それに、ここは……
 辺りを確認しようとしたところで、不意に声が聴こえた。
「章三、もう四十五分だぞ。起きるんなら起きろよ」
 この声は……
「それとも、まだ本調子じゃないか? 今日も休むんなら」
「……ギイ」
「ん?」
 ギイだ。
 数ヶ月ぶりに会う相棒は、懐かしい栗色の頭をふってこちらを振り向いて……
「……なんで制服なんだ?」
「なんでって、もう七時四十五分だからだよ章三くん」
 懐かしい祠堂の制服姿のギイがそこに立っていた。
 ……コスプレか?
 いや、そんなわけはない。
 よく見るとギイは、数ヶ月前に会った時よりも背も随分小さく、どことなく幼さを残した顔だちをしている。
 周りを見ると、どうやら確かにギイとルームメイトだった頃のあの409号のようだ。僕は次第に、静かに混乱しはじめた。
「おい、章三? ……どうした? まだ風邪が治りきってないのか? 本調子じゃないんなら、今日も休んどけよ」
 僕の様子をいぶかしんでいるギイにそう声を掛けられ、大丈夫だと答えかけて考え直した。
「……あ、ああ、そうだな、うん。もう一日休むことにするよ」
「それがいい。朝飯持ってきてやろうか?」
「いや、後から食べに行くから……先に行ってくれ」
 軽く頷いて了解すると、若返ってしまった相棒は部屋を出て行き、ぼくは一人になった。
 ベッドを抜け出て見回すと、そこは確かにあの409号だった。こうして戻ることはもうないだろうと思っていた、懐かしいあの寮の部屋だ。
 観音開きの窓を開けると、紅葉しはじめている木々が見える。やや涼しい風が頬を撫でていった。夢ではない。
 部屋の中に向き直り、バスルームへと向かう。
 おそるおそる鏡を覗き込むと、そこには随分幼く感じられる自分の顔があった。寝起きなのにひげも目立たない。ラインがどことなく丸く子どもっぽい。
 信じがたいことだが、これはもう、そう認めるより他に仕方がなかろう。
 どうやら僕は、五年前に戻ってしまったらしい。
 非科学的な結論に、僕はほとんど卒倒しそうだった。




 卒倒していても仕方がないので、現在の正確な時期を確認するためにも僕は部屋の中を調べることにした。
 自分の机の上を見てみると、高一の頃使っていた教科書やノートがきちんと整頓されてそこにあった……この整頓の行き届きっぷりは明らかに僕の机だな。国語1、政治経済、生物、それから。数Aの背表紙をそっと撫でると、エンボス加工が少し擦れた質感がわけもなくいとけないように感じられ、なんだか面映いようなくすぐったいような変な気分だ。ペン立ての筆記具も、腕時計も、ブックバンドも、すべて見覚えのある懐かしいものばかり。ここ数日、どうやら風邪をひいていたらしい(ああ、そう言えば高一の時に例年より早い時期に寝込んだのを思い出した)僕が授業を欠席していた間に、ギイが運んでくれたらしきプリント類が重ねられている。日付の入っているものを見ると、十月十一日、十三日などとある。今は高一の十月、衣替え直後ということか。
 ……まずいぞ。すぐに中間テストじゃないか。
 大学受験以降、定期考査的なペーパーテストからは遠ざかっているこの僕に(大学以降は殆どレポートで、筆記テストも論述ばかりだし、高校までのテストとは全く傾向も対策も違っているのだ)今更あれをやれっていうのか? 十日やそこらじゃ勘が戻りはしないぞ、きっと。
 いや、待て。
 そんなことはどうでもいいだろう。
「葉山」
 高一の秋と言えば、葉山はまだ、ギイ言うところの「人間接触嫌悪症」だった頃だ。
 いてもたっても居られない気分になった僕は、あわただしく制服をクロゼットから取り出した。




「あれ赤池、休むんじゃなかったの?」
 一限目の休み時間に合わせて教室へ入ると、これまた懐かしい級友に声を掛けられた。
「ああ、大分調子が戻ってきたから」
 幸いにもというべきかギイは丁度不在だったので、級友とやりとりをしながら目だけで葉山を捜す。窓側の真ん中あたりの席に葉山は座って居た。片倉利久に話しかけられながら、まだ前の時間のノートを作っているようだった。
 まだ幼さの残る輪郭に硬い表情で、確かに高一の頃の葉山だ。
 葉山の顔が見られただけでとりあえず喜べてしまう自分に、呆れつつも納得した。
 まだ全然この恋心を自覚していなかった――どころか、自分は完全にヘテロだと思いこんで、葉山に対しても恋どころか友情以前の段階だったような時代に戻ってきてしまったけれど、葉山も今の葉山ではないけれど。それでも今の僕は、やっぱり葉山が好きなのだ。改めてそう思う。そっと見守っていると、片倉が何か話しかけ、それに言葉を返しながら少し微笑んだ様子に心が温かくなった。胸が震えるのに合わせて我知らず小さく息をついて、とりあえず自分の席に……
 ……しまった。自分の席がわからないぞ。
 葉山ほど悪くはないにしても、僕の記憶力は十人並みなのだ。











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