恋は桃色
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月末にある演奏会の準備に専念せねばならず、病室に通える機会は減った。日本での演奏会は久々なので、準備や打ち合わせに時間をかけねばならなかった。
ドイツの音楽大学に留学して知人が多いことや、ヨーロッパではそこそこに知名度のあるコンクールに通ったことで、個人的な演奏会はむしろヨーロッパで開くことが多かった。
日本では生活のために細かい仕事も引き受けているので演奏機会自体は多いのだけれど、託生自身をメインとした演奏会を行うことは殆どなかった。開催してもチケットが売れないだろうし、手弁当でもやろうというほどの熱意は持てなかったからだ。
けれど今回は、音楽系のイベント会社の誘いで、東京、名古屋、福岡で単独での演奏会が企画されている。託生を気に入ってくれた担当者が、随分頑張って会社を説得してくれたらしい。出演料は雀の涙だけれど、有り難いことだし珍しい機会だしと話を受け、練習のためのスケジュールもあけておいたことで、こうして入院中のギイの近くに居ることが出来るのは、不幸中の幸いのようなものだった。


(I never seem to get it right.)

祠堂に居る頃からずっと考えていた。
もともとコミュニケーションは得意な方ではなかったけれど、幼い頃にあったある出来事から人と触れ合うことが極端に苦手になって、家でも学校でもどこにも居場所がないように思えた。だけどそのままではいけないと思って、何かが変わる気がして、全寮制の祠堂を選んだ。
環境を変えたくらいでは何も変わらなかったけれど、それでもギイに出会うことが出来た。
託生にとってギイという人は、ずっと憧れであり敬愛の対象だった。外見や能力、生まれに恵まれているなどといったことは勿論羨むべき点だったのかもしれないけれど、そんなことよりも、明るくパワーにあふれ、思慮深くかつウィットに富んで友達思いで、そんなギイを見ているだけで圧倒されて、自分とのあまりの違いに呆然とさせられた。羨ましいとか妬ましいとか、ああなりたいとかは全く思えず、自分とは全く違う世界の人だと思った。
けれど二年生の時にはそのギイと寮の同室になり、こんな自分にまで本当によくしてくれたギイに、ただ憧れているだけでは駄目だと思えるようになった。
たとえギイのようにはなれなくても、自分も変わりたい。
考えてみれば、高校を卒業し、大学へ通うのかはわからないけれど、とにかくいつかは自分で生計をたてなければならない。色々考えた末に、バイオリンしかないと思うようになった。接触嫌悪になった原因でもあるとある事件をきっかけに音楽からは遠ざかってしまっていたし、音楽で生きていくのが生易しいことではないとはよくわかっていたけれど、自分の出来ること、出来ないことを考えると最もよい道に思われた。
ブランクもあり、才能もあるわけではない自分がバイオリンで生計を立てるには、普通の道を通っても駄目だと思った。だから日本の音楽大学ではなく、始めからヨーロッパを目指した。厳しい環境で自分を鍛えるという意味もあったけれど、一か八かの賭けとして珍しい経歴で箔をつけるという打算もあった。もう恋はしないから、バイオリンで食べていけますように、と──それだけの覚悟をもって、日本を出た。
そうして今ではなんとか食いつないでいけるだけのバイオリニストになれたけれど、それは辛くなる度にギイのことを思い返していたからだと思っている。接触嫌悪症の自分にとっての、生涯でただ一回の恋──そう、後から思えばあれは恋と呼びたい、呼んでいい感情だった。淡いほろ苦いそれは美しい思い出として心の底の一番大事な場所に仕舞ってあって、辛くなる度に自分を叱咤してくれる記憶だった。
けれど食べていけるようになると、今のままでいいのだろうかという気もしはじめた。自分は、バイオリンが大好きで音楽をこよなく愛してバイオリニストになった──というのでは、ない。それが負い目になり始めた。
音楽家には様々な人種が居た。音楽を愛する者は勿論、練習が大好きな者、スポットライトを浴びるのが好きな者、音楽談義が好きな者、称賛を受けるのが好きな者、権力欲に取り憑かれた者だっていた。けれど自分はその中で、一体何を目指して演奏しているのかわからなくなったのだ──Where do I have to go?





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