恋は桃色
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「明日の演奏会、行けなくて悪いな」
「ううん、忙しいんだろう。今日は、会えてよかった」
カフェを出ての別れ際、去り難くてなかなか踵を返せないギイに、やはり何か言いたげな託生もその場に留まったままだった。
「どうした? 何か言いたいことがあるんなら、言えよ」
未練がましい自分のことを棚に上げてそんな風に水を向ければ、託生はしばらく逡巡し、やがて目線を外したままぽつりと口を開いた。
「ほんと言うとね、高校の頃、君のことが好きだった。ずっと」
「……え?」
今、何て?
「託生……?」
胸の鼓動を高鳴らせ、しかし過去形の表現と彼の表情とにすぐに心は冷たくなった。沈んだ表情から発せられる静かな声は、あたかも総てが終わったのだと告げているようだった。
「何も言わないで、ギイ。もしまた会ってくれるなら、その時には忘れていてほしい」
過去においても現在においても、彼は何の期待もしていないということなのだろう。ギイが誰かと結ばれる未来の言質を得て、ギイが手に入らないことを再確認したからこそ、今更告白したのだ。
……身勝手すぎる。
ギイは怒りとも悲しみとも諦めともつかない気持ちで心が満たされ溢れそうになるのを感じ、言葉がなかった。じわじわと荒れ狂う内部の感情を抑えることに精一杯で、背中を見せて去っていく彼を追いかけることも出来ず、ただ立ち尽くすことしか出来ない。
遣る方無い思いを感じつつ、けれど心のどこかで、最初から諦めてしまった彼の気持ちもよく分かっている気もした。
同性同士で、彼自身は接触嫌悪で、自暴自棄で口にしたことではあるけれど自分の方は確かに巨大な企業グループの跡取りで。どうなるものでもない。仮に二人が結ばれたとして、添い遂げることなどどうせ出来ない──そう考えるのが当たり前なのだろう。
彼が可能性を追求すらしないでギイを諦めたのも当然だし、その代償にと音楽を請い願ったことも頭では理解できる。ギイのために、彼自身のために、それがもっともな判断だというのはギイにだってよくわかるつもりだ。
そもそも自分だって、高校の間はずっと悩みに悩んで何も出来なかったのだ。今日の告白はともかく、過去のことでは託生だけを責めるのはお門違いだ。
好きという気持ちだけで諸問題をどうにかできるなどとは、大人になった今は尚更思えなかった。
だが、結局これが彼と自分との『運命』だったということなのだろうか?


(Where do I have to go?)

縁談のことで相談がある、と父に連絡すると、電話で話すことになった。アメリカにいる父とは時差が大きいが、時間をあわせて音声通話をつなげる。
ギイの父もまた、どうしたものかとため息から会話を始めた。
『あの大老にしては強硬な物言いで、正直私も戸惑っているんだ。気難しい人ではあったが、ここまで一方的な通達はこれまでにはなかったことだから』
父の感想はギイのそれとほぼ同じであり、困惑している様子が声だけでもよくわかった。
『お年もお年だし、もしかしたらご病気なのかもしれないな……あ、これはここだけの話だぞ。ただの当て推量だ』
「わかってるって。ただ、どうしたらいいのかと思って」
『一応確認するが、お前はこの縁談を受ける気はないと思っていいんだな?』
「基本的には。だがこうなると、オレの意志や気持ちには関係なく判断すべきこともあるんじゃないかと」
『いや、流石にそれはさせないよ。お前が私の息子だからというだけではなく、人の一生にかかわることだから』
一生にかかわること──
結婚、という形式はともかくとして。
人生のパートナーを手に入れるというのは、それだけのことなのだ。
「父さん……」
ギイは目を閉じた。
この手をすり抜けていく、大事なものを留める方法は、未だにわからなかった。
だけど、それは確かに自分の一生にかかわることだ。そうであるはずだ。
「縁談は断りたい。あと、少し……時間が欲しい。それこそオレの一生を掛けて、試してみたいことがあるんだ」
父は何も聞かずに、諾を返してくれた。
とはいえ、時間はほとんど残っていなかった。
老人との交渉の時間ではなく、祠堂で過ぎていく『過去』の世界の時間が。





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