恋は桃色
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……迷子の気分だった。
陸地の見えない海の上で、嵐の中、オールを失った小舟に乗っているような思いだった。
ダイブによって、高校二年生の一年間を葉山託生と同室で過ごすことには成功した。けれどその『分岐』を経た後、過去の高校二年生の自分は、自分は彼のことを好きなのではないか、もしそうだとしても気持ちを打ち明けなどすれば彼に迷惑がかかるのではないかと悩み、逡巡し、結局一年間決断できなかったのだ。
考えてみれば過去の、祠堂で二年生になった頃の自分はまだ恋に無自覚だったのだし、こうなることは予測できたはずなのかもしれない。
そしてこのダイブによって置き換わった世界でも、ギイに縁談をもたらした老人は相変わらず諦めてはいないようで、今では縁談を受けなければ諸々の取引や優遇措置を考え直すという条件まで付帯させていた。それ自体頭の痛い問題だったが、老人の行動に対しては疑問が生じ始めた。
自分のダイブによって、大なり小なり世界は変わった。思っても見なかった『バタフライ・エフェクト』もあった。けれどダイブを繰り返し、形が変わっても、出会うべき人には出会いしなければならないことはしているようにも思えた。それは『運命』なのだとギイは思っている。
父の姿をしたもの──自分の無意識なのかもしれない『それ』は、『運命』はあるべき場所に収束しようとするのだと言っていた。
だからこそ、ギイへの干渉がどんどん強くなってきている老人の動きだけが奇妙にも思えた。
もしかしたら、これも老人の『意志』などではないのかもしれない。老人の思惑に乗ることが、老人の孫娘と結婚することが、自分の『運命』なのかもしれない。
もし、そうなのだとすれば──『それ』に抗うことなど、果たして可能なのだろうか?


(Where do I have to go?)

パリでの仕事の合間、運良く演奏会のために同地に滞在していた彼と連絡をとることが出来て、カフェで落ち合った。
カフェの入り口からひらひらとこちらに手を振って近づいてきた彼は、五月という季節に相応しい白いシャツが爽やかだった。
「同窓会ぶり、ギイ。元気そうだね」
「託生もな、ヨーロッパツアーお疲れ様」
「もう、そんな大層なものじゃないよ。巡業だよ」
苦笑しながらギイの前に座り、少々発音が甘いながらもきちんとしたフランス語で飲み物を注文する様子が、やけに頼もしい。
先日のダイブの『バタフライエフェクト』なのか、ドイツ移住の話は最初からなかったことになっているようだった。けれどヨーロッパでの仕事も相変わらずあるようだし、以前の世界でよりも親しくなって彼の仕事ぶりを知ってみれば、ヨーロッパに暮らそうと思わないのはむしろ不思議なくらいだった。寝た子を起こすようなことになるのが嫌で尋ねたことはなかったけれど、何か日本を離れたくない理由が出来たのかもしれない。
「でも外国に来ても、祠堂の人に会えるのって、なんだかうれしいよね。ここに来る前、フランクフルトでは、三洲くんとも会ってきたんだよ」
生徒会長だった三洲新は大学在学中に試験をパスして外務省に入っており、今はドイツの大学院に留学しているらしい。
「三洲とは結構会ってるんだ?」
「うん、そうかな、でも年に二回くらいだよ、せいぜい」
……三年で同室になった三洲とは意外なほどに仲良くなったようで、ギイは正直嫉妬してしまうのだった。自分も互いにファーストネームで呼び合って、こうして二人きりで会える程度には、彼に近づけたのだけれど。
コーヒーを飲みながら、卒業生の噂話に花を咲かせていると、託生がふと思い出したという顔をした。
「そういえば、三年の時に同級だった山本くん。結婚したって葉書をもらったよ」
「ああ、オレはあまり親しくはなかったけど、噂は聞いたよ」
「自分達ももうそんな年齢なんだなって、感慨にふけっちゃった……ギイは、そんな話はないの?」
「ないよ、全く」
縁談は来てはいるが、全くその気はないのだから。
こっそり息を整えて、勇気を奮い起こす。
「それで、そういう託生は?」
「うん? ぼく? や、まさか」
「まさかって」
「ぼくには縁がないし、恋愛はしないことにしてるから」
「……なぜ?」
「高校を出るときに、願掛け、したんだ。もう一生恋などしないから、バイオリンで食べていけますようにって」
もう……?
「以前は、好きな相手がいたんだな」
そう返すと、一瞬だけしまった、という顔になり、後は口を噤んで話したくないという意思表示をした。
自分が知らなかっただけで、校外にでもそういう相手がいたのだろうか? もしかしたら、接触嫌悪の彼が全寮制の窮屈な祠堂を選ばざるを得なかったこととも関係があるのかもしれない。
ともあれ、彼がそこまでの覚悟を持って恋愛を遠ざけているのなら、今後その決意を翻させることができる程、自分が彼にとって意味のある人間だとは到底思えなかった。
恋人はおろか、友人として片倉や三洲より親しくさえなれなかったのだ。
何度ダイブをして『過去』を改変しても、あるいはこれから先努力をしても、自分は彼には届かないように思えた。
これも……これが、『運命』ということなのかもしれない。
老人の縁談がどうとか、それ以前に。
おそらく、『運命の地平』でも自分は彼に出会えない。
……潮時だと思った。
「オレは……すぐにではないが、いつかは父の会社にとって最も良い相手を探して結婚するつもりだよ」
そうだよね、と託生はゆっくりと頷いた。
その表情を確認したくなくて視線を下げ、ギイは無意識にテーブルの上に置いた手に力を込めた。その握った手を見据えて、つい声が低くなる。
「オレももう、恋はしない。父から受け継ぐもののために」





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