恋は桃色
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(It doesn't seem to matter,)
(It doesn't seem to matter!)


会場の下見とチェックを終えて、楽屋に入った託生を見届けると、佐智は楽屋口から外に出た。
脅迫の件は託生には知らせていなかった。島岡やキャロルと慎重に対策を考えて、ギイのつてでSPも数人頼んでいる。だから何かあっても対処はできると思うけれど、当人を不安にさせたくなかった。
会場の正面入り口をしばらく見て回り、順調な開場の様子を見て少し安堵して、楽屋口から会場内に戻る。今度は中からロビーへと向かったところで、客の間から小さく悲鳴があがった。
慌てて悲鳴の方向へ視線を遣ると、二人連れの女性客の足元に青い水たまりが出来ている。何か液体を靴に掛けられたという話が聞こえ、動悸が高なった。
既に近くに居たスタッフやSPが駆けつけて対処してくれているが、佐智もそちらへ向かおうとしたところで、すれ違った別の客に違和感を覚えた。佐智の来た方向は、袖への関係者用扉しかないはずだ。あわててその客を追いかけ、横合いから声を掛ける。
「すみません、そちらは関係者以外は──」
振り返る、虚ろな目をしたその女性に佐智は息を飲んだ。
ギイに縁談を持ちかけていた、そしてギイの婚約者を自称していた、あの大老の孫娘だった。
「あなただったんですね、脅迫状を送ってきたのは」
「だったら何よ──あの男が未だに性懲りもなく義一さんに纏わりついているからよ」
彼女は憎々しげにそう言うと、関係者口を睨みつけた。
「義一さんからうまく引き離したと思ったのに、どうしてまたかかわってくるのよ。何度も何度も、これじゃ計画がめちゃくちゃよ!」
その言葉で、佐智は全てがわかったように思った。
「もしかして、過去を捩じ曲げたのもあなただったのかな」
「……色々知っているようね」
「義一くんを奪っても、ストラディヴァリウスを取り上げても、彼の輝きは衰えこそすれ、消え去ることはない。だから義一くんは何度でも託生くんを見つけるし、あなたのしたことは無駄に終わるんですよ」
「わかったようなことを言うんじゃないわよ、不愉快だわ」
いらいらと手に持っていたバッグを投げ捨てた彼女の手にある銀色の光を見て、佐智は息を飲んだ。
ナイフだ……荷物チェックをどう通り抜けたのだろう。
ギイの運命から排除しても無駄だと悟って、託生の存在そのものを永久に消し去るつもりなのか。
「……そんなことをして、義一くんが手に入ると思うんですか? どうしたって義一くんの心はあなたに向きはしないと思うけれど」
「あなた、馬鹿なんじゃない? そんなことは、もう承知の上よ」
確かに自分は馬鹿だと佐智は思った。
こんなの、相手を挑発しただけだ。
「そこをどいて。邪魔をするなら、あなたも刺すわよ」
関係者口までは約三メートル。彼女との距離をはかり、走って辿り着けるかを考える。ヒールの足でも、ぎりぎり追いつかれてしまうかも。何しろ、相手は普通の状態じゃない。
無線で呼べばロビーの騒ぎに向かったSPが戻ってくるだろうが、それも間に合うだろうか。
格闘するか、逃げるか。どちらにしても覚悟を決めて応じようと腹をくくった瞬間、視界の端からさっと現れた影が彼女の腕を打ち、ナイフが地面に転がった。
一瞬遅れて佐智は前に踏み出し、ナイフを踏んで顔を上げると、魔法のように登場した懐かしい男が彼女を後ろ手にまとめ上げているところだった。
「聖矢さん……」
「ナイスタイミングだろ?」
ずっと会いたかった恋人が、こちらを振り返って笑っている。
「どうして、ここに……ここが?」
「お前の危機一髪にくらいは助けに来ないと、愛想をつかされると思ってさ」
返事になっていない返事をしてにっと笑うと、苦痛に呻いている彼女を見下ろしていましめている腕に更に力を入れた。
『いたっ、痛い! 痛い! 離してよ! 変質者!』
『先に暴力を働こうとしたのはあんただろ?』
喚く彼女に英語で返すと、聖矢は佐智を振り返った。
「どうする? 警察か? それとも、御曹司のSPに引き渡すか?」
「……いえ、どちらも」
佐智は乱れてしまった長い黒髪を手で直してほっと息をつくと、まだ苦痛に歪められている彼女の顔を覗き込んだ。
「もうすぐ始まるから、聴いていきませんか? 託生くんの演奏。あなたが壊そうとしたものを、見届けたほうがいい」





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