恋は桃色
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演奏会が近づいて、託生も一頃より大分落ち着いたように見えた。
練習を見学させてもらうと、完成度の高さとそれでもなお音を追求しようとしている様子に舌を巻いた。
「佐智さんにレッスンまでしていただくなんて、すみません」
「レッスンなどではないよ、それは君に失礼だもの」
二、三のアドバイスは、佐智自身の解釈によるものではなく、託生の解釈を更に観客に届く形にするための提案に過ぎない。
「僕は、君の……なんて言ったらいいか、金銭面以外の部分でのパトロンになりたいと思うんだけど、どうかな?」
「はい……?」
「パトロン、はおかしいかな。こういうの、何ていうんだろう……プロデューサーでもないんだ、もっと、一歩引いた感じで……あ、金銭面以外って言ったのは、その方面は義一くんが面倒みたいんだろうから、遠慮するんだけれど。でも今は、義一くんも寝ているからね……今回はそちらの方面も、僕に任せてくれるかな?」
「あの、佐智さん……お話がよくわからないのですが」
「うん、まあ今回は、僕に全部任せておいてよ」
……託生自身が予想していたよりはよく売れていた東京での演奏会のチケット──イベント会社の担当が精力的に宣伝をしてくれたらしい──の残りを、佐智は半分ほど買い占めた。
知り合いの批評家や指導者の立場にある演奏家、音楽ファンなどに声を掛け、チケットを送る。勿論、信頼できる相手のみに限定して。
イベント会社の担当にも挨拶のために赴き、あの井上佐智本人が、と、随分驚いて恐縮された。かなりのご大家も招いたので、当日トラブルのないようにと思ったためだったが、もともと託生のファンなのだというその女性とも意気投合した。
脅迫状が来ているという相談を彼女から受けたのは、演奏会もあと数日という日だった。
演奏会を中止しなければ禍が起こるだろう、という抽象的な文面に、彼女は眉を曇らせていた。
「葉山さんが人から恨みを買うようなことをなさったとは思えませんが、誰かに何かを誤解されたという可能性はあるかもしれませんね」
彼女の的確な託生評に、彼をきちんと理解してくれていると佐智は頼もしく思いながら頷いた。
「送り主がわかりそうな情報は?」
「ありません。勿論、演奏会を中止するつもりも」
「それを伺って安心しました。いずれにせよ、知らせていただいてよかったです。僕のほうで業者に心当たりがあるので、当日の警備は手配させてください」


(It doesn't seem to matter,)

コール音に、最近連絡が途絶えがちな託生だろうかと思ってスマートフォンを手に取り、佐智は表示された名前に目を見開いた。
あわてて画面をタップしようとして、うまく行かずに気がはやる。
「はい」
『久しぶり』
短い挨拶に、聴きたかった声に、張り詰めていたものがすべて解けてしまうように感じて慌てて声をつくろった。
「聖矢さん、電話なんて珍しいですね」
『東京に居るんだって?』
「ええ……詳しくは話せないんですけど、ちょっと込み入ったことになっていて」
『一人で大丈夫なのか?』
「……大丈夫、ですよ。心配は要りません」
開いてしまった間に、自分の未熟さを感じながら佐智はつとめて明るい声でこたえた。
どうやら、自覚していたよりもずっと、ここのところの自分は気を張っていたらしい。
「聖矢さんこそ、気をつけてくださいね。身体とか、仕事とか」
なんとか恋人を気遣って、短い通話を終えた。
沈黙したスマートフォンをじっと眺めて、彼の声を聴くと自分は今でも彼に初めて出会った子どもの頃に戻ってしまうと思った。
けれど、いつまでも子供ではいられない。仕事中ならば彼の負担にはなりたくないし、守りたいものも増えた。
あと少し、一人で頑張らなければ。





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