恋は桃色
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夢の中の登場人物はすべて自分自身の鏡だという説を聞いたことがある。だとすれば、夢の中のあの偽物の父もまた自分自身、自分の深層心理が形をとったものなのだと言えるだろう。父の姿をしたものは、ギイの過去が捩じ曲げられていると言っていたが、あれもギイ自身が深層心理では本来の『運命』に気づいているということなのかもしれない。
一体何が、あるいは誰が、自分の過去を捩じ曲げたというのだろうか?
そして、なぜ?
いずれにせよ、その力に抗いたい。あるというのなら、本来の『過去』を取り戻したい。
『運命の地平』に総てが辿り着けるかどうかはわからないと、父の姿をしたものは言っていた。
だが、そもそもそこには彼との『運命』は存在していたのだろうか?
判らないが、この先に、その『運命の地平』という場所に彼が居てくれることを信じて進むしかないと思った。
もしも本当に自分の深層心理が本来あった世界、収束すべき『運命』を知っているのだとしたら、そこに活路は見いだせるかもしれない。
ギイは自分の『過去』が葉山託生とすれ違った瞬間を、一つ一つ検討し始めた。



ダイブの中の祠堂は、既に一年時の十二月になっていた。
島田という名のその老境に近い教師は祠堂の生徒指導の長であり、生徒たちからは恐れられつつも信頼されていた。ギイも特殊な家庭事情や外国籍ということから随分気遣ってもらったものだった。
彼がほぼ常在している生徒指導室を訪れると、島田は窓辺から寒々しい外の山の風景を眺めていた。
「島田先生」
「崎か、どうした?」
「少し、お時間をいただけますか」
「入りなさい」
入室すると、何度か座ったことのある島田の机の前の椅子に座る。
島田が机につくのを待たずに、ギイはすぐに切り出した。
「折り入ってお願いがあります」
「まあ、慌てるな、崎。コーヒーを淹れてやろう」
島田もギイもコーヒーが好きで、好みの傾向も近かった。それもあってか、ここを訪れた折にはよくこうしてコーヒーを振る舞ってもらったものだった。島田のコーヒーは懐かしい味がした。
島田は自分の机に戻り、コーヒーに口をつけ少し微笑んだ。
「もう二学期も終わるな。祠堂での一年目も、半分以上終えたわけだ」
「はい」
「その顔は、祠堂での生活はどうだ、などと聞くまでもないようだな」
言われて初めて、自分がどんな表情をしているのか気になった。ダイブできる時間はそう多くはない。短い時間で、島田に理解して協力してもらわなければならないと、かなり気を張っているとは思うのだけど。ふと頬に手をやった。
「何か私に頼みがあるのだったな? 聞けるかどうかはわからないが、言ってみなさい」
島田の表情は穏やかだけれども隙のないものだった。やはり、前置きや駆け引きは無駄だろう。
ギイは考えてきた通り、率直に口を開いた。
「来年、葉山託生とオレを同室にしてください」
島田は表情を変えないまま、しばらく黙ってから徐ろに口を開いた。
「寮の部屋割りについては、生徒の意見は一切採らないのが通例だ」
通例という言葉に隙を残したのは、島田らしくもない失態……ではないだろう。
なにしろ今までの『過去』では、それこそ通例をやぶって葉山と片倉を三年間同室にしているくらいなのだ。彼に関しては、ギイの意見を採用する余地も残っているはずだ。
「崎は、葉山の力になりたいとでも思っているのか?」
「それもあります」
「では、理由を聞かせてもらいたい」
「彼が、オレの……『運命』だと思うから」
嶋田は笑うでもなく困惑するでもなく、表情を変えずに黙っていた。
「この一年弱をうまく活かせなかったのは、オレの未熟さかもしれない。だからこんなお願いも我儘だとは思うんですが、もう他に方法がないんです」
「君が運命などという曖昧な言葉を選んだのは、なぜかな」
「……運命の出会いだったとか、何かをきっかけに運命を信じるようになっただとか、そういうことではありません」
表情を変えない島田に、ギイもゆっくりと話し続けた。
「オレが葉山に初めて出会ったのは、ここで、祠堂でではないんです。もっと、昔──ずっと前から、葉山とはすれ違って来ているんです」
そうだ。
初めは、ベルリンだった。
あのパーティも、今となってはもう随分前のことのように思える。実際の時間としてはあれから数か月しか経っていないけれど、ダイブをして、過去の記憶を複数得て、もう何年も何年も、彼との関係のために泳ぎ続けている気分だった。
「その偶然のすれ違いの連続が、オレに『運命』を信じる気にさせています。そして、こんな無茶なお願いに上がる勇気もくれたんです」
島田は少し目を細めた。
「それが、彼と同室にならなければいけない理由には思えないが?」
「理由は、葉山が……接触嫌悪症で、オレが不器用だから。片倉みたいに、無理やり距離を取り払うという手段しか、今は思いつかないんです」
「他にも手段はあるかもしれない」
「そうかもしれません。でも、……時間がないんだ」
ダイブのことを知らない島田が首を傾げるのも当然だと思いつつ、説明はせずに先を続けた。
「だから、一番可能性の高い手段を選びたいんです。この『運命』を逃したくないから」





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