恋は桃色
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悪いことではない。
葉山自身についてだけ言えば、次第次第にいい方向へ進んでいるようにも思える。表情は少しずつではあるが和らぎつつあるように思えたし、社交性も多少上向いているようだ。海外に移住しても暮らしていける算段がつけられる程度には、日常生活も順調なのだろう。
けれど自分の手を何かがすり抜けたような、どうしたらいいのかわからないような気持ちを持て余した。
このまま、遠くに暮らす彼にたまに会いに行って、いつかは今以上に親しくなれるだろうか?
老人の縁談を断る理由にもなるような、そんな関係にも?
そのためには一体どれくらいの時間がかかるだろう。縁談には期限があるわけではないが、老人の機嫌に問題が生じるまでに間に合うだろうか……掛詞か。
いつか、では駄目なのだ。
妙にいとけなく見えたあの夜の葉山の表情が、焦燥を生んだ。
ダイブを経るごとに少しずつ彼との『過去』の思い出が増えた。世界が置き換わるごとに、『今現在』の彼は少しずつ素の彼に近づいているように思えた。思い出が増え、彼を知る度に、どんどん気持ちは彼に傾いていたけれど、どうしたらいいのかわからなかった。
あまり過去に手を入れるべきではないと思いながらも、半ば衝動的に二度のダイブを行い、祠堂への進学を選び直し、級長という役割を選びなおした。けれど思うように『過去』を改変しても、『今現在』はどの世界でも思うようになってはいない。自分の望むハッピー・エンドに辿り着くためには、きっと過去を原型が残らなくなるほどに改変しなければならないのだろう。しかも採るべき選択肢すらわかっていないのだから、気の遠くなるような数の『分岐点』を検討しなければならない。
過去の改変などという行為が果たして許されるのだろうかという問題はさておくとしても、そもそもそんなことが可能なのだろうか? 適切な選択肢を探し出して選び直し、世界を自分の望むように変えるなどということは、倫理的にだけではなく実際的に不可能であるように思われた。今こうしている間にだって、ダイブの中の世界、『過去』の世界でも時間が過ぎていっているのに。



その晩、夢を見た。
「そうか、それで、決心はついたのか」
またあの時の夢、『分岐点』の夢だ。
ダイブもしていないのに。
なぜこの夢を何度も見るのだろう?
「確かに飛び級で大学に行くことにも大きなメリットはあるが、個人的にはやはり祠堂学院を薦めたいのだよ。私の中では、祠堂での三年間は今でもなお貴重な体験となっているから」
「父さん」
これは夢だ。
夢なのだから、
「オレは、祠堂に行くよ。祠堂でなら、オレの運命の人に出会えると思うから」
思い切って、言ってみた。
父は頷いただけで、それ以上何も言わなかった。
祠堂出身である父には、それが同性のパートナーを探すという意味になることはわかっているはずだ。
けれど、相変わらず父はコーヒーカップを持ったまま黙っている。
「祠堂に……もう一度、戻って。彼を手に入れたいんだ」
過去にはあり得ない言葉を続けてみた、夢だから。
父は黙ったまま頷いた。
ふと、そのカップの持ち方が気になった。父にはカップの側面を持ち手の指でタップするくせがある。過去のこの場面でもしていたはずだ。それが今は、カップの取っ手を持っている。
ギイはゆっくりと視線を上げ、相手をまっすぐに見つめた。
「……あんた、誰だ?」
「ギイ、お前は……行動すべきなのだ」
「誰だ」
鋭い声にも動じず、父の姿をしたものはゆっくりとカップをローテーブルに戻し、ギイを見つめ返した。そしておもむろに口を開く。
「もともと『運命』にはあるべき場所に戻ろうとする力がある。たとえ何らかの捩じ曲げる力が働こうとも。すべての事象は『運命の地平』に収束していくのだと言ってもいい」
……言われてみれば、過去を変えて失った人やものも、違う形で出会うことが出来たものがあった。
「では……オレが祠堂へ進む『過去』を選び直したことも、無意味だったというのか? 分岐をやり直しても、行き着く先は変わらないと?」
「そうではない、『それ』が『運命』だったということだ。お前の行動──ダイブで祠堂を選び直したことも含めて、収束の作用なのだ」
どういうことなのだろう?
その言葉の意味を考えていると、父の姿をしたものは言葉を続けた。
「お前の過去は、捩じ曲げられている。『そう』であった『運命』に戻すべきだ」
……自分の過去が、改変されている? 既に?
「では、祠堂を経た今の方が、本来あるべき運命だったということなのか?」
父の姿をしたものは黙ったままだ。けれど、否定をしないことが答えであるように思われた。
「捩じ曲げられているって……誰に?」
父の姿をしたものは、やはり答えない。知らないのか、あるいは何か理由があって答えられないのかもしれない。
どうやってかはわからないが、自分の『運命』が捩じ曲げられたというのなら、かつて佐智が言ったこと──ギイには過去を変える権利があるという見方も、あながち間違いではないのだろうか。
「お前は……ダイブで『運命』を取り戻すべきだ。だが──」
父の姿をしたものは、沈鬱な表情になる。
「だがそれでも、あるべき総てがその地平に辿り着けるかは、わからない」





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