恋は桃色
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(Where do I have to go?)

いつものことながら日本行きは、もろもろの雑事から逃れる旅のようにも感じられた。
帯同している島岡は別行動中だったので、ギイはめずらしく独りで横浜近辺の私鉄駅に向かっているところだ。
他の国ではあまりしないけれど、日本では在来線の電車を使うことも多かった。時間が正確だし、安全性が高いからだ。
エスカレーターを使わずに上りホームに上がる。それぞれ別の路線となるホームで、乗ろうとする路線の側を歩いていると、反対側に立つ人の姿に気づき、息をのんで立ち止まる。
葉山託生がバイオリンケースを肩に掛けて、電車を待っていた。
何か音楽でも聴いているようで、耳に丸いワイヤレスイヤフォンをしている。
少し躊躇しはしたけれど、それでも近づいて肩を軽く叩いてみる。
彼は振り向いて、驚いたようにこちらをまじまじと見返した。
「崎、くん」
「こんなところで会うなんて、偶然だな」
彼は自分の足元を見遣り少しためらうような素振りを見せた後、イヤフォンを外してこちらに向き直った。さらには意外なことに、彼の方から口火を切った。
「なんだか君には、卒業してからの方がよく会う気がする。高校の時には、ほとんど話をしたこともなかったのに」
「そうだな、だから人間関係って面白いとオレは思うよ」
高校時代、ルームメイトの片倉のほかにはほとんどつながりを持たなかった葉山託生も、社会に出て少しは処世術を覚えたようで、硬い表情のままではあるが元クラスメイトと当たり障りのない会話が出来るくらいにはなったようだ。
……そうなるまでに、どれほど苦労したのだろう?
彼が一足飛びに海外に出て、今の地位を築くまでにはどれほどの努力を重ねたのだろう?
「崎くん、その……ぼくの見間違いや勘違いでなければ、だけど」
視線を泳がせ、言い淀みながらも、彼は続けた。
「もしかして、テアトロ・ノットゥルノに来てくれてた?」
「ああ、あの日は偶然仕事でミラノに滞在していたから」
そこで彼はギイを見上げた。初めて正面から目と目が合った、気がした。
「銀座で会ったときに、日程を渡してはいたけれど、来てくれるなんて思ってなかった。客席に君らしき人を見つけた時は、正直、びっくりしたよ。ありがとう」
まっすぐなまなざしに、心が騒ぐ。
人間嫌い等と評されていた葉山も、こんなにも無防備な表情で他人にまなざしを向けられるようになったのか。
いや、そうではないのかもしれない。もしかしたら、今自分が見ている彼の方が、本来の彼に近いのかも……わからない、彼のことはそれほど知っているわけではない……でも、それでも。
ダイブによって世界を改変した今でも彼は、ギイにとってはただの元クラスメイト、特に親しくもなかった同窓生に過ぎないのに。それなのに、なぜか彼のまなざしに胸が痛い。
自分自身の反応に動揺し、ギイはつい言うまいと思っていたことを口にした。
「……ツィゴイネルワイゼンを、弾いていたな」
自分のために弾いてくれたのか、とは流石に聞けなかった。
けれど目をそらした横顔に、震えるまつげに、聞かなくても答えはわかる気がした。
だから思いきって、
「ありがとう」
自信過剰な台詞を、口にしてみた。揺らぐまなざしに、ギイのために弾いたわけではないと言わせないために話題を変える。
「また機会を見つけて、聞きに行くよ」
「……うん」
彼がなんとか頷いたちょうどその時、ホームに電車が入ってきた。
「それじゃ」
「ああ、またな」
もう振り向かずに車内に消えていく後ろ姿を、ギイは黙って見送った。
いつから、どこからだったんだろう。
彼はもう、ただの見知ったバイオリニストでも、ただの『元クラスメイト』でもなくなっていた。





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