恋は桃色
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祠堂へと進学して、いわば改変した過去により置き換わった世界において、やはり失ったものは多かった。
大学時代の恩師や友人、ビジネスやプライベートで出会った人々。ただ、祠堂進学からこちら、別の道を辿って出会っていた人や手にしていたものも随分あった。結局進もうと思っていた大学にも期間が短くはなったが通ったし、つながりが深かった友人やビジネスパートナーとは、やっぱりどこかで出会っていた。これまでに取り戻せなかった出会いも、これからの人生でどうしても必要ならばまた出会えるのかもしれないと、ギイは楽観的に考えるようにした。
それに、失ったものと同時に、得たものも想像していたよりも遥かに豊かだった。


(Where do I have to go?)

ダラスでの学会に参加するついでにニューヨークの研究所にも立ち寄る予定だということだったので、久々に彼に会えることになった。待ち合わせ場所にしたカフェを時間どおりに訪れると、彼はパソコンを眺めて作業をしていた。会わなかった間に眼鏡をかけるようになったようだ──いや、ブルーライト対策なのかもしれない。ギイが近づくと、ふと顔をあげて眼鏡をはずし、ニヤリと笑ってみせる。少し子供っぽさも垣間見えるその表情が、ギイの新しい『記憶』を『今・ここ』までのひとつながりにする。
「久しぶりだな、相棒」
赤池章三は、祠堂時代に得た掛け替えのない親友だった。今は東京都内の大学院に通って建築を学んでいる。
彼とは一年時にクラスメイト兼寮のルームメイトとして知り合い、部屋やクラスが離れても変わることなく友情を育んできた。今ではアメリカと日本とに離れ離れだけれど、こうして年に数回は会っている、らしかった──置き換えられた『過去』の記憶では。
今日もまた、久しぶりだというのに高校時代の延長のように屈託のない会話で近況を交換し笑いあって、幼馴染とはまた違った心地よさにギイは大げさではなく感動していた。すべてをさらけ出しはしていないとわかっているのに、瞬間瞬間の素直さだけを互いに信じ切っていて、信頼という言葉だけでは表現できないような絆がそこにはあった。
「あと、先月矢倉達と会ってさ」
「ああフェイスブックで写真見たぞ、皆変わらないよな」
赤池や他の高校時代の友人とは、おそらく祠堂以外の場所で出会っていたら今のような関係にはなれていなかっただろう。ダイブ前の世界と比べてみて初めて、なぜ父が祠堂で過ごすことをあれ程までに勧めたのかが本当にわかる気がした。
コーヒーを飲みつつしばらくそんな話をして、ギイは何気ないフリでその件を会話にのせてみた。
「そう言えば、葉山って覚えてるか?」
「ああ、葉山託生だろ。覚えているよ。ギイとは一年だけだったと思うが、僕は三年でも同じクラスだったから。結局、あまり親しくはなれなかったが……」
ギイの『記憶』にも、その頃の様子はしっかりと刻まれていた。祠堂でもやはり彼は人間嫌いと評されて、周囲と全く打ち解けられなかった同級生だった。
「同室だった片倉とはつながっているみたいで、情報は入ってくる。あいつら、三年間一緒だったもんな」
そうなのだ。三年間同じクラス、そして同室。すべて二人部屋の全寮制である祠堂学院では、ルームメイトは教員たちが指定していた。余程のことがない限りルームメイトは毎年変わるのだと言われており、実際に他の生徒がそうであった中で、彼等は、いや彼はそれだけ異質だったのだと思う。
その片倉経由の情報によれば、彼は高校卒業後しばらくして海外の音楽大学へ進んだとのことで、それほど有名ではないものの、今でも細々と音楽活動を続けられる程度には成功したらしい。それはダイブで過去を変える前に知っていた彼の現状と、ほとんど重なっているように思われた。ただ、彼の経歴がよりはっきりとしただけだった。
「ドイツ人の仕事相手が葉山のファンらしくてな、彼のパーティーで葉山が招かれて演奏していたんだ」
「へえ、しっかり活躍しているんだ。よかったな、あいつも」
赤池は屈託なく、簡単な感想で済ませてしまった。
それはそうだろうと思う。然程親しみを感じていなかった同級生が自分の世界で今はそこそこに頑張っている、というだけの話題だ。
ギイは考える──自分が既に彼に『出会っていた』という過去は、今の葉山託生を変えるほどの意味は持たなかったらしい。
自分の『過去』の記憶を点検するに、ダイブの最中を除けば、ギイの意識はその時点での意識のみ、つまり『未来』を知らない自分のままであった。
何も知らない、まっさらな高校一年生の自分から見ても、葉山託生は不器用で生きづらそうで、ギイは心の中で密かに彼の症状を『接触嫌悪症』と呼んでいた。気の毒には思ったものの、どう近づいたらいいのかもわからなかった同級生だった。
今にして思えば、もっと遠慮会釈もなく近づいてみたほうがよかったのかもしれない。だけどそんなのは大人としての、そして過去を俯瞰できるからこその後付けの批評でしかない。思春期の只中では色々なことを考え、気にしてしまうものだ。
けれど、だから何だというのだろう?
ただ存在を知っているという程度だったバイオリニストが、何もしてやれなかった同級生に変わっただけだ。





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