恋は桃色
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アメリカに帰ると、またいつもの日常が戻ってきた。仕事は忙しく、時に成果があがり時には失望もあった。
あれ以来、ダイブはしていなかった。佐智とも相談し、最初に使ったガジェットで再現実験してみるべきだという結論に達したものの、一人で行うよりも観測者がいたほうがよいという意見で一致していた。佐智もギイもしばらくは仕事がつまっていたこともあり、気にかかりながらもガジェットのことは棚上げになってしまっていた。
三月に入りしばらくして、面倒な話が持ち上がった。仕事の上で機嫌を損ねたくない老人が、ギイに自分の孫娘を紹介したいという話を持ちかけてきたのだ。縁談だとはっきり言われてはいないけれど、それを前提とした話であることは明らかだった。そして彼はギイだけではなく、ギイの父が代表を務めている企業グループ全体にとって重要な老人であった。
父は本人の意志を尊重するとしか言わなかった。ギイが独断で断ろうと、父は何も言わずに受け入れるだろう。だけど、適切な──先方を納得させられるような理由もなしに断るのは、様々な角度から考えて難しい気がした。
気難しい老人ではあるが、ギイに結婚を前提に付き合っている相手が居るとかいうことであれば、それを軽視するような人ではない。けれど仕事が忙しいからだとか、まだ自分には早いからだとか、そういう口実めいた理由は、縁談の断り文句にはなり得るかもしれないけれど老人を不快にするだろうと思われた。
ここのところは仕事一筋になっていたが、ギイだって今までに全く恋愛をしてこなかったわけではない。客観的に見ても異性には、時には同性にもよくもてる方だと思う。アバンチュールめいた遊びのような恋愛もあったし、しばらく付き合った恋人もいた。ただ、それこそティーンの頃は同年代相手は面倒で、大人が相手となると駆け引きばかりになってしまい不毛に感じたし、社会人になってからは相手が結婚を急かすようになったり、生活スタイルが合わなくなって別れたり、兎に角疲れて終了してばかりだった。
そんなギイだから、自分の結婚相手がその老人の孫娘ではいけない理由は特にない気もした。けれどその彼女でなければいけない理由というのもないはずだった……その人でなければならない相手など、どこかに存在するのだろうか?
昔読んだある小説を思い出す。主人公の男はどうしようもない「ドン・ファン」で女たらしだったが、とある田舎娘に再会するべきかどうかを悩んだ際、「そうでなければならない!」という声を聴く。自分は「そうでなければならない!」などという声を、恋愛に限らず聴いたことがない気がした。
だからなのかもしれない。
自分が……自分は、行き詰まっている気がしていた。
明確な理由はないのに、このままではいけないような気がずっとしている。
老人から返事の催促があった日、いまだうまい返答が思いつかず、何も解決にならないと知りつつかなりの量のアルコールを口にした。
バーでは人目のせいかいくら飲んでも酔った気がしなかったのに、部屋に戻って飲み直すとすぐに酩酊が襲ってきた。
ぐるぐると廻る目と頭をもてあましながら、なんとかガジェットをセットアップし、しばらく考えて、専用のタブレットで東京を選ぶ。
すぐに落ちるような睡眠が訪れて、ギイは夢の中にダイブした。



…………目を開こうと意識するまでもなく、すぐに明らかな視界が戻ってきた。
見覚えのある部屋の内部に、やっぱり、と思う。
東京という座標、そしてこの時間だけが特別なのだ。
きっと、この夢だけが現実の世界とつながっている。
ここで自分は選択を迫られて、かつて一方の道を選んだのだ。
「義一? どうした、ぼんやりして」
見ると、目の前には父がおり向かい合ってソファに座っていた。
「ちょっと考え事してた」
「そうか、それで、決心はついたのか」
これは三度目の問いかけだ。
一度目は現実の世界で、二度目はダイブの中で。
「確かに飛び級で大学に行くことにも大きなメリットはあるが、個人的にはやはり祠堂学院を薦めたいのだよ。私の中では、祠堂での三年間は今でもなお貴重な体験となっているから」
日本語のことわざに、三度目の正直という文句がある。
三度目の正直というのなら、これがラストチャンスかもしれない。
まったく科学的な根拠はないけれど、ギイはそう感じた。
「いろいろ考えて、決めたよ」
選択肢は二つあり、その片方の未来は既に見てきた。確かに多忙だけど仕事も順調でけして不幸ではなく、なのに空虚だった。もしここが『分岐点』だったと言うのなら、どうなるのかはわからないが、もう一方の道を選んでみたい。
多くの友人や体験を捨てることになるのはわかっている。
不可逆的な改変になるかもしれない。
それでも、
「オレも祠堂に行ってみようと思うんだ」
何か、変わるのか。





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