恋は桃色
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無理を押して、日本での滞在を一日延長することにした。
秘書も昨年末の無体な忙しさを思い出したのか、ギイの我儘に少々の愚痴を零したものの、結局はスケジュールをやりくりしてくれた。むしろ幼馴染にくどくどと叱られて、ギイは腑に落ちない思いであった。
「義一くん、彼女の有能さに甘えていない? あんまり困らせて、見限られてしまっても知らないよ」
「確かに、それは困る」
「ところで下世話なことを聞くけれど、彼女との仲って進展してないの?」
「まったく。ないね」
さらりと答え、まだ疑いの目を向けている佐智を、ギイは横目で牽制する。
「オレは今恋愛する気になれないし、彼女はオープンな同性愛者で恋人もいる」
「知らなかった。失礼なことを言ってしまったね」
「気にするな、オープンにしてはいるが、わざわざ言ってまわりはしていないからな。そういえば、お前の方はどうなんだ?」
「うん、しばらく会えてはいないけど、連絡はあるし元気そうだよ」
佐智の恋人は少々危険な仕事をしており、長期間会えないこともざらだそうで、幼馴染のギイとしては傍で見ていてやきもきしてしまうこともあるし、実際に相手に文句を言ったことさえある。だからというだけではないが、佐智の自分に対する口出しにも怒る気にはなれないのだった。
二人が訪れたのは、佐智の父が持っているとある企業の研究所だった。そこはそもそもはVRに関する機器類を中心に研究、製作しているということだった。脳波の研究をしているある施設との技術提携によって今回のガジェットを製作したそうで、主任の研究員が対応してくれた。
だが、半ば以上想像していたことではあるものの、そのような機能など想定していなかったし技術的にも可能だとは到底思えないという話で、ギイは本格的な手詰まり感にため息をついた。
念の為にと、研究所で使用しているガジェットを利用しての再現実験も行った──ダイブの中で研究所を訪れて、目印をつけるという簡単なものだった──ものの、過去も現在も、当然何もかわりはしなかった。
研究員は誠実に応対してくれたけれど、半信半疑のようだった。ただ、ギイが使用したガジェット自体はアメリカに置いてきてしまったので、そちらでの再現実験をしてみる価値はまだあるだろう、とのことだった。



研究所を辞して、佐智と二人でもう少し検討してみようと話しながらタクシーに乗る。途中、佐智が銀座の楽器店に用事があったのを思い出したので、ギイもついていくことにした。
佐智が個室で店員に応対されている間、暇に任せて店内をぶらついてみる。音楽には、それも演奏する方には全くといっていいほど才能も知識もないギイなので、目の前の商品や展示物はまるで芸術品のようだった。
飴色のバイオリンを眺めていると、視界の端にふと気になる人影を認めた気がして、そちらに顔を向けてはっとした。
「葉山、託生」
「え」
彼も棚に向けていた顔をこちらに向け、軽く首を傾げた。
思わずの呟きが彼の耳に届いてしまったようで、失礼な呼びかけになってしまった。ギイは滅多にない失態に少し焦った。
「失礼、驚いて、つい。先日、あなたの演奏を聴いたばかりだったもので」
ドイツ人実業家の名前を出すと、ああと思い出したようだった。
「あれを聴いてくれたんですね」
「あのツィゴイネルワイゼン、清冽で印象的だった」
「……ありがとう」
ほんの少し、頬が染まったように見えた。気のせいかも知れない。
……彼は。
コミュニケーションが苦手、機械のような、人形のような。いろいろな言葉が脳裏に浮かぶ。
けれどギイの目は、ゆらゆらと戸惑う彼の黒い眸に惹きつけられた。
それは拒絶ではなく、戸惑いに思えた。コミュニケーションが苦手というのは、人間嫌いとは異なるのではないか?
「オレは、崎義一。また会える?」
葉山託生は少し首を傾げ、手にしていた薄いバッグから何かを取り出すと、黙ったままこちらに差し出した。……どうやら彼の演奏会日程が書かれたフライヤーだ。ギイはちぐはぐな気持ちになりつつ、しかしきっかけとしてはそれもありかと気を取り直し、フライヤーを受け取ろうと手を出した。
ギイの指が触れる直前、はらりとフライヤーが下に落ちる。
一瞬動きをとめ、ギイは無言のまま立ち尽くしている彼を見返した。謝罪の言葉すらもなく、自分の客に、少なくともそうなりそうな人間にたいして随分非礼であるといえる。けれどフライヤーを拾い見上げれば、彼の眸はまたゆらいでいる。差し出していた手を守るように胸元に戻してふるえてさえいるようで、よくみれば手首にやや粟立っているようにも見えた。
受け取ろうとして一瞬彼に触れそうになった、その場面を思い返して、
「……接触嫌悪?」
またしても思わず口をついて出てしまった単語に、彼は息をのんでこちらを見返すと、くるりと背を向けて足早に立ち去ってしまった。


(Where do I have to go?)





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