恋は桃色
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「簡単にいうと、見たい夢を見せてくれるガジェットなんだ」
「夢を?」
ギイの自宅に戻ってすぐにそう切り出した幼馴染の言葉に、期待していたよりも随分うさんくさい話であったと、ギイは少々がっかりした。
ギイの手渡したコーヒーを一口飲んでローテーブルに置くと、佐智は持参していた紙袋からそのガジェットを取り出した。ヘッドセット型のガジェットは、いかにもすぎて怪しかった。
佐智はまたコーヒーを一口飲むと、にっこりと微笑んだ。
「リアルな夢を見せることで、リゾートやファンタジー世界や……とにかく、ここではないどこかを疑似体験できるそうだよ」
「できるそうだよ、って……お前、自分では試していないのか」
「うん、ちょっと怖いじゃないか。でも義一くんなら平気かなと思って。あ、社内では人体実験も済ませているそうだから、安心してね」
さらりと薄情な幼馴染に呆れ、しかし確かに自分の中では恐ろしさ、訝しさよりも興味のほうが若干勝っているとは思う。うさんくさくはあるが、試してみたい気持ちはある。
ここではないどこか──Where do I have to go?
黙り込んだギイをよそに、佐智は嬉々として装置の準備をはじめた。ギイも諦めて佐智の指示に従う。
「この薬を飲んでね、コーヒーで飲んで構わないよ」
本当に大丈夫なのかと疑いつつ、面倒なのでいわれたとおりにコーヒーで錠剤を流し込む。佐智は付属のタブレットでページを繰りながら首を傾げた。
「どこがいいかな? 大概のリゾート地や観光地だったら、プログラムにあるよ」
「東京がいいな」
「東京? それって、気分転換になるのかな……」
苦笑しつつ、佐智はタブレットを操作する。
「東京、東京。観光地コースとか、市街地コースとか、いくつかあるみたい」
佐智に見せられたタブレットから、ギイは適当なプログラムを選んでタップした。
「そろそろいいかな」
時計を確認し、ソファに横たわったギイにヘッドセットを付けさせると、タブレットに有線で接続した。
少し不安ではあったが、心地のよい眠気が押し寄せて来るのに身を任せた。
世界はすぐに、暗転した。



…………目を開こうと意識するまでもなく、すぐに明らかな視界が戻ってきた。
見覚えのある部屋の内部に、それがあんまり鮮明なのでどきりとした。
「義一? どうした、ぼんやりして」
ふと見ると、目の前には父がおり向かい合ってソファに座っていた。
「ちょっと考え事してた」
「そうか、それで、決心はついたのか」
……何の話だ?
「確かに飛び級で大学に行くことにも大きなメリットはあるが、個人的にはやはり祠堂学院を薦めたいのだよ。私の中では、祠堂での三年間は今でもなお貴重な体験となっているから」
その言葉で記憶の扉が開き、覚えのある会話にギイはがっかりした。これは十四才の一月、東京にある崎家の別宅で父と進路について話し合った際の光景だ。アメリカの大学に進むか、父の母校である日本の寄宿学校に進むか迷っていた時期だ。
確かにこれはリアリティのある夢だ。五感にまで働きかける現実味をもって、『いま・ここ』ではない場所を見せてくれている。けれどこれは自分の過去の体験をリプレイしているに過ぎない。
父のくせ、カップの側面を持ち手の指でタップするくせは今でも変わらないし、この会話の折にもやはりそうしていたのを覚えている。
ギイはため息に紛らせて、記憶にある言葉を口にのせる。
「父さんの気持ちはよくわかったつもりだけれど、やはりオレは大学へ行こうと思うんだ。父さんの頃だったらよかったのかもしれないが、日本で、それも市街地から離れた場所に丸三年隔離されるっていうのは、今の時代には足枷になってしまうと思うから」
「そうか……お前の言うとおり、確かに時代の違いも考えねばならないだろうな。残念ではあるが、仕方ないか」
父は残念そうにそれでも頷いて、ギイの判断に諾を示したのだった。




「義一くん? そろそろ、薬が切れる時間だよ」
「……ん」
目を覚ますと、幼馴染が傍で覚醒を促しているところだった。ヘッドセットをはずして体を起こすと、自然と欠伸が出た。
「待っててくれたのか。随分寝ていたと思うんだが」
夢の中、父との会話の後、家の外に出て久々の東京の街を楽しんだ。
ここのところ日本を訪れるような仕事もなく、またプライベートでそうするような余裕もなかったので、これはこれで楽しかった。夢の冒頭の体験から、どうやら自分の記憶を再構成しただけの街だと判断し、行ったことのあるスポットや気に入りの店を訪れてみたのだ。案の定、かつて訪れた場所では友人知人に会うことができ、しかもそれは十年以上も以前の年齢の友人知人であったので、ギイは面白がって彼らとの会話に興じたのだった。
「義一くんが寝ていたのは三十分もないくらいの短い時間だよ。説明によれば、二時間の睡眠で約一日分の体験が出来るらしいから、実際には三十分でもたっぷり遊べただろう?」
「……成る程な、ここではない場所に行けるというよりも、休暇の時間を増やせるという点が有用なのかな」
「それがメイン、かどうかはわからないけれど、でもそうなのかも」
ギイは納得し、他言無用と今後の試用と調査への協力を条件に、そのガジェットをしばらく借りることにした。
そのガジェットを使うことを、開発者たちは『ダイブ』と呼んでいるらしかった。
確かにあの没入度はダイブと呼びたくなるのもわかるような体験だった。
幼馴染にガジェットを貸与されてからというもの、ギイは時折ダイブを楽しむようになり、南洋の島でのバカンスを楽しんだり、行ったことのない国を観光したりしてみた。先日の過去の東京へのダイブとは異なり、土地勘のない場所へのダイブの方がより気楽で負担が少ないようにも思われた。知らない土地は、リアリティはあるけれどつくりものであることはなんとなくわかったし、東京へのダイブのリアリティとは比べ物にならなかった。東京はなまじ知っている土地だったせいか、使用者である自分の記憶が利用されてしまったのかもしれない。





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