恋は桃色
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 やがて麻生さんがやってくると、すぐに冷却剤をつかいながらぼくの身体を点検してくれた。
 ギイがぼくをさがしあててくれたのも、ギイの連絡を待たずに麻生さんが駆けつけてくれたのも、ぼくの体内のGPSのおかげ、らしかった。ぼくは自分の体内にGPSが埋め込まれていることを知らなかったので、びっくりした。
「託生くん、気分はどう?」
「だいぶよくなりました、体温も少しずつですが下降しています」
「……記憶は?」
「あの、それなんですけど、全部思い出したと思います……彼の……『葉山託生』の思い出も、全部」
 まだらになって、消え去ろうとしていた記憶は、今やすべてがあるべき場所にあるかのように思われた。雲やもやで見通せなかった風景が、すっきりと晴れたような気分だ。
 もちろん、所詮はぼくのことなので、忘れている部分もあるだろうし、忘れていることにも気づいていないのだろう。だけど、さっきまでのような、寄る辺のないような、足元さえもおぼつかないような感覚は消えていた。
 麻生さんはそれ以上は聞かずに、まずは研究所へ戻ろうと、ぼくらを車にうながした。
 車で見慣れた道を戻り、やがて研究所の入り口が見えてくると、ギイは麻生さんにそっと声をかけた。
「あの、麻生さん、オレも一緒に、いいですか?」
 前にここを訪れて、麻生さんでは入場の判断ができないといったことを覚えているんだろう、ギイにしては遠慮がちにそう声をかけた。
「もちろん、だって託生くんを助けてくれたのは君なんだからね。博士が怒ったら、俺が謝るよ」
 麻生さんはにっこり笑ってそう言うと、ぼくたちを先導して研究所の中に案内した。
 研究室に入ると、パソコンに向かったままで微動だにしない博士が目に入る。いつもの、玲瓏とした理知的な博士じゃない、髪や服もみだれ、やつれたような博士がそこに居た。
「博士はね、徹夜で計算と実験を続けていたんだよ。君をなんとか、治せないかって」
 麻生さんは小声でそういうと、博士に声をかけた。その呼びかけにはっとしたように顔をあげて振り返り、ぼくの姿を見つけると、博士はあわてたようにパソコンの前から立ち上がった。ぼくの前までよろよろとやってくると、ぼくの体をさぐるようにたしかめ、そしてぎゅっと抱き寄せた。
「託生……!」
 ぼくはびっくりして、腰が抜けそうになった。
 博士に託生と呼ばれたのも、こんなふうに抱きしめられたのも、初めてのことだったのだ。
「は、博士、あの」
「……私がわかるのか?」
「は、はい。記憶も全部、たぶん、戻りました」
「そうか……」
 博士はどうして、どうやって、とは聞かなかった。
 今までの博士だったら、絶対に質問していただろうに。
 あまりに勝手が違い、ぼくは博士のことが心配になって、そのことも思い出した。
「あの、勝手に抜け出したりして、心配をかけて、すみませんでした」
「いや……無事で、よかった。託生……今まで、すまなかった……私を許してほしい」
「博士?」
 嗚咽するかのような博士の声に、ぼくはとまどってしまう。しばらく待っていると、博士はさきほどよりは落ち着いた声で言葉を継いだ。
「お前が弟じゃないことは、もう分かっていた。それでも、認めたくなかったんだ……託生が、弟がいないことを」
 ……博士の弱音も、初めてだ。
 ぼくはそっと、博士の背中に腕をまわした。
 それに気づいたのかどうか、博士がぼくを抱きしめる力が強くなった。
「だが、お前が私の弟ではないのなら、お前が生まれた意味とは何なのだろうと考えてしまった。私のエゴで、弟をよみがえらせるためにお前を生んだのに、その目的が果たせなかったのに、私はお前を「破棄」できなかった……無責任な話だろう? お前を生んでしまった自分のエゴが、許せなかった。もう意味なんてないのに、お前がバイオロイドとしてつらい思いをして、それでも黙って実験につきあってくれて、それなのに……私の不完全な技術のせいで、お前がまた苦しむなんて……」
「博士……ぼくは、大丈夫。ぼくをつくってくれて、「破棄」しないでくれて、感謝しているんです」
 ぼくは心から、そう言った。
「生まれた意味はなくっても、たぶん大丈夫です。欠陥があっても、いいっていってくれたから……ギイが」
 博士はふと顔をあげると、ぼくを開放し、今気づいた、というようにギイに向き直った。
 麻生さんの横から顔をのぞかせて、ギイはぺこりと頭を下げた。
「勝手にお邪魔してます」
「君は……崎義一君だね」
「はい、託生のクラスメートです」
「わかっている、君がFグループ内でこの研究所への便宜を図ってくれたんだろ。礼を言う機会がなかったが、感謝している」
「オレのほうこそ、あなたにはお礼を言いたいんです。託生を生んでくれて、ありがとうと」
「……君に礼を言われる筋合いはない」
 博士はしだいにいらいらした声になり、きっと麻生さんを振り向いた。
「麻生さん! だから言ったでしょう、託生の学校生活にはくれぐれも注意をしてくださいと」
「えー、ちゃんと注意して見てましたよー」
「どこがですか! こんな……こんな!」
「でしょう、こんな素敵な恋人まで見つけちゃって、ばっちり順調でしょう? 託生くんの学校生活!」
 わ。
 ギイがせっかく、クラスメートだと自己紹介したのに。麻生さんはにっこりと無造作に爆弾を投げた。
 博士はますます苦々しい表情になった。それは、そうだろう。博士はずっと、友人さえ不要だとぼくに言ってきたのだから。
 博士は麻生さんから視線をはずすと、なかば独り言のように言った。
「……バイオロイドだと露見したら、どうせ失うことになるだけなんです。託生がまた傷つくんですよ。だから友人も恋人も、託生には不要だったのに」
 ……博士が友人なんか作るな、と言っていたのは、ぼくのためだったんだ。
 そうだったんだ。
 博士の言葉をかみしめていると、麻生さんはぼくの背後にまわって両肩に手をおき、博士にむけて言葉をつづけた。
「でも、失わなかったでしょう?」
「……」
「俺だって、人を見る目はあるつもりです。ギイなら大丈夫だって、そう判断しました」
「……前から言っていますが、あなたが知っていて、責任者である私が知らない情報があった、というのはろくでもない状況です。あなたは頭のいい方なのに、どうして託生のこととなるとこう判断ミスが増えるんですか」
「それはやっぱり、愛のなせるわざ、ってことです」
 麻生さんが悪びれる様子もなく、あっけらかんとそう言うと、博士のこめかみがひくり、と動いた。
「博士が託生の父なら、俺は母みたいな気分なんです。ん? 博士が母かな? まあだから、つい、ほだされちゃうんですよね」
 麻生さんは明るい声で恐ろしい比喩を口に乗せ、少し真面目な声になった。
「だって、人間って、不完全な存在ですから。あなたのつくったバイオロイドは、そんなところまでよく人間に似ていますよ」
 博士は麻生さんの言葉に、しばらく思案してから口をひらいた。
「私は科学者ですから、愛などという抽象的な概念を持ち出されるのは正直愉快ではありません。ただ、」
 そこで言葉をきり、ぼくに向き直り、少し息をついて続けた。
「……予想もしなかったことが起こるのは、科学実験においては当たり前のことだとも思うので」
「博士……?」
「私がお前を……弟ではなかろうが、お前とこれからも暮らしていきたいと思ってしまうのも、科学の枠の中の出来事なんだろうな」
 そういうと、博士は自分の右手をぼくの頬にそっとよせた。
「……崎くん」
「はい」
「……今後はきちんと研究成果を報告するから、これからもここに遊びに来なさい」
「博士……」
 ギイと顔をあわせないままそう言うと、博士はようやくふっと微笑んだ。













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