恋は桃色
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 ぼくは研究所の戸のまえで、後ろを振り返った。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい、託生くん」
 にこにこと手を振っている麻生さんの横で、博士は渋面をつくっている。
「随分うれしそうだな」
「え、そ、そうですか?」
 ぼくはうろうろと視線をさまよわせた。
 それはだって、そう、なのかもしれない。
 はっきりしないぼくにかわって、麻生さんが横から博士の顔を覗き込むようにした。
「そりゃあ、そうでしょう。恋人とのデートなんですから」
「麻生さん……」
 ますますにがにがしい顔になる博士に、麻生さんはあははと笑って続けた。
「でもこれって、素晴らしいことですよね」
「……何がですか」
「だって、コンピュータなのに勉強が苦手で、ちょっと忘れっぽい、バイオリンが弾ける、そして恋もしちゃうバイオロイドですよ? うーん、葉山博士、天才だと俺は思いますね」
 持ち上げようとしたのか、本音なのか、麻生さんはそんなことを行って、博士の頬を少し赤くしたのだった。


 ギイに会うために、麓の街に降りた。
 麻生さんが車で送ると言ってくれたけれど、……麻生さんの言ったとおり、目的がデートなので、さすがに申し訳ないし、気恥ずかしいので、遠慮したのだ。
 休日にギイと出かけるのも、久々だ。ぼくは浮き立つ心を持て余すように、待ち合わせの時間よりも随分はやくに街についてしまった。きっとギイはまだだろうなと思いながら、待ち合わせ場所の広場にむかうと、ギイがすでにベンチに座り、手元の本に目をおとしているのをみつけた。その近くを通り過ぎる人達が、ちらちらとギイに視線をやっては、目を奪われたり頬を染めたりしているのを見て、ぼくもつい足をとめてしまう……こうして改めてみると、ギイってかなりの美男子だなあ、と思う。バイオロイドでなくても――『葉山託生』には、悪いけど――ぼくなんかじゃ不釣り合いな気がする。
 なんだか気後れがして、ついつい少し離れた場所でみつめてしまっていると、超能力のようにギイがふと顔をあげ、こちらに振り向いた。ぼくのひるんだ顔を見て、少し苦笑したようで、手元の本を閉じるとベンチから立ち、のんびりした足取りでこちらにやってきた。
「託生、なんだよ。着いてたんなら声をかけてくれよ」
「あの、ごめんね、みとれてました、つい」
 ぼくが素直にそういうと、今度はギイがひるんだようで、けれどすぐに破顔した。
「そっか。惚れ直したか?」
 ぼくはそれには答えずに、ギイをうながして通りをあるき始めた。
 ぶらぶらと目的もなく歩きながら、何気ない調子でギイが口をひらく。
「昨日は最後の検査だったんだろ?」
「うん。特に問題はなかったんだけど、だから博士は悩んでいたみたい」
「そうだな、それは……よかったのか、悪かったのか、って感じだな」
「そう。結局、原因は不明、だって」
 先日までの、ぼくの記憶の欠落について、博士は念入りに検査と実験を行っていた。でも、どうして記憶が消えて、さらにはもとに戻ったのか、は、結局わからずじまいだったのだ。けれど、博士は意外にもすぐに実験の終了を決めて、「まだ人間の及ばない領域があるのだな」とだけ言ったのだった。
「これは……オレの勝手な、非科学的な想像なんだが」
 ギイは少し間をおいて、ゆっくり話し始めた。
「この間のことは、お前が『葉山託生』の「つづき」ではなく、託生が託生として生き始めるために、必要なことだったんじゃないかと思うんだ」
「……ぼくが、ぼくとして?」
「そう。一度全部リセットして、それでもなお『葉山託生』の記憶を保ったお前が、新しい託生としてリスタートしたような、そんな気がするんだ」
 ぼくはギイの言葉を、じっくりと噛みしめるように頭の中でくりかえしてみた。
 『葉山託生』の記憶を保ったぼくが、新しいぼくとして――
 ――もし、ギイの言うとおりだとしたら。
「ぼくは『葉山託生』の記憶をうけついで、それでもぼくとして生きていっていいのかな。そう思って、いいかな」
「いいんだよ。博士の作為があったにしろ、今のお前はもう、お前なんだから」
「そうだとして、……それなら、今のぼく……新しいぼくを再起動してくれたのは……ギイ、君なんだね、きっと」
「そ。王子様のキスで、目を覚ましたんだよ」
「あ、自分で言っちゃうんだ」
 ギイはあははと明るく笑って、ついでのように話を替えた。
「それはそうと、託生」
「うん?」
 気になっていたことがある、とギイは歩きながらこちらをちらりと見た。
「お前、髪が伸びたような気がするんだが」
 ぼくは目の上の前髪を指でひっぱって、頷いた。
「そういえばそうだね。ここのところ慌ただしかったから、切り忘れていたんだ」
 ギイは足をとめ、少し先で振り返ったぼくを、妙な顔をして見つめた。
「まさかとは思っていたんだが、お前……」
「なんだい?」
「髪が伸びるのか」
「うん」
「怪我は」
「出血には、気をつけてるけど」
「じゃなくて、怪我をしたら治るのか」
「それは、もちろん」
「……もしかして、老化もする?」
「たぶん、普通に。博士は人間と同程度って計算していたから」
「……そっか」
 ギイは安心したような表情でそう言うと、またあるき始める。ぼくはその後を追いながら、横顔に声をかけた。
「ギイ?」
「……託生はその年齢のままで、オレだけ年をとっていくのかと思ってたから」
 それだけが、不安だったんだ。
 ギイはそう言うと晴れやかに笑い、すぐにまた苦笑した。
「しっかし、まあ……葉山博士は本物の天才だな。天才というか、もはや……」
 彼には珍しく、その後を濁すと、空を振り仰ぐように見上げた。
「いい天気だな。デート日和だ」
「そうだね。どこへ行こうか?」
「託生、どこに行きたい?」
「ギイと一緒なら、どこへでも」
 また一緒の思い出が、増えるように。
 もしもぼくがまた記憶を失っても、この間のように、ギイとの思い出を辿って思い出せる気がする。
 だから、ギイとの記憶をたくさん作っておきたい。
 ぼくを再起動してくれたのは、ギイだから。
 ギイと一緒なら、どこへでも行けるような、そんな気がするんだ。





「機械仕掛けのエア」I Know You - ends, and to be continued...













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 読んで下さいまして、ありがとうございました。
 もう、懺悔とお詫びのみです。本当に長すぎる時間がかかってしまいました…。
 長い中断の前に読んでいてくださった方には、本当に申し訳ありませんでした(もう読んでいただけていないかもしれませんが…。

 書き始めたときには、プロットを書いてあったのでそう悩まずに書けるだろうと楽観視していたのですが、一人称小説で記憶を失っていく、しかも視点はあの託生くん、という表現が思っていたよリも難しく、大苦戦してしまいました(プロットでは、記憶ではなく五感を失っていく、などと乙女座のシャカかのようなことが書いてあったので、そっちの方が書きやすかったのか、あるいはもっと大変だったのか、今となってはわかりませんが。
 私生活の忙しさその他のせいもあり、結局はサイト自体を何も言わずに放置する結果となってしまいました。

 数年ぶりに気持ちが向いて、書きかけの文章に手をつけたら、プロットには全くなかった、ギイが「馬鹿だな」と笑うという状況がふっと入り込んで、そこからリスタートすることができました。おそらく、記憶を失っていくという筋は、私のつたない筆力には重く手に余るものだったんだと思います。だから、続きを書くにはそういう軽さが必要だったんだなあと思い、私の中にそれはないものだし、この『機械仕掛』にかぎらず、タクミくんシリーズのそういう軽さが、文才のない私に文章を書かせてくれる原動力だったのだと改めて気付かされた気がします。
 しかし、あそこで託生に「馬鹿」といってくれるギイって、すごく強靭な気がして、あらためて思い返すとこの 『機械仕掛』のギイはまっすぐすぎて、優しすぎて、強すぎて、読み返していてなんじゃこりゃーと思いました。たまにはそういう超人ギイもいいのかな、とも思います。

 プロット上、短い話をもう一話(タイトルを回収するためのお話です)書く予定ではあるのですが、大筋のお話は一応ここまでなので、ひとまず区切りとなります。

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