恋は桃色
恋は桃色:トップページへ










 15



 ――――目を開けると、あのビジネスホテルの一室だった。 まったく時間がとまったままの、バッグやぼくが寝っころがったベッドのしわもそのままの部屋だ。
「本当に、帰ってきちゃったんだ」
 振り返ったぼくに、懸命に手を振ってくれた義一くん。
 彼にはもう二度と会えないのだと思うと、どうしようもなく寂しかった。
 また会えるから、と言ったのは、嘘だ。
 彼は、義一くんは十年後に『ぼく』に会えるけれど、ぼくは二度と『義一くん』に会うことはない。
 ぼくがこれから出会えるのは、ギイにだけなのだ。
 バイオリンケースを、もう一度――二十四時間ぶりにソファに置こうとして、ぼくは手になにかが触れるのに気が付いた。
「あれ?」
 ケースの持ち手には、ふわふわの白い羊がついていた。義一くんのつけてくれた、ストラップだ。ぼくはバイオリンケースから取り外し、羊を撫でてみた。ふわふわの質感に、少し心が和まされる。けど、これって。
「過去から持ってきちゃったんだ……大丈夫かな?」
 ギイは、持っていったもの以外を持って帰るなって、言っていたような。
「それくらいなら、他人に見せなければ問題ないさ」
「え?」
 声に振り返ると、そこには予想もしなかった人物が立っていた。
「託生、オレの無茶をきいてくれて、オレを救ってくれて、本当にありがとう」
「ギイ……? え、ほんとうに? なんで、」
 ほんとうに、ギイ?
 あまりにびっくりして、言葉もうまく出ないぼくに、彼はしっかりと頷き返す。
「十年後から、お前に礼が言いたくて来たんだよ」
 ほんとうに、というのは、目の前の人がギイだとは、一瞬信じられなかったのだ。今のギイ、十八才のギイよりもひとまわり大きく見える、スーツの似合うエリートビジネスマン然とした大人のギイが、ぼくの目の前に立っていた。
「十年後……二十八才? スマホに電話をくれたのは、じゃあ、今の、十八才のギイじゃなくって」
「そ。オレだよ」
「それで、こんどは二十八才のギイが、タイムスリップ……?」
 驚きで、言葉もなかったけれど、ぼくはハタと気が付いた。
「あ、そっか、そうだよね……冷静になってみれば、今の時代にあんな、ぼくをタイムスリップさせちゃうような技術、まだあるわけないよね」
「正確には、タイムスリップじゃあないんだ。これは、コーディング……人間やものをデータ化して、過去にデコーディング、つまり出力する技術なんだ。時間を超えた3Dプリンタとでも……3Dプリンタも、この時代にはまだ一般的じゃないか。人間の体や記憶まで、すべてをデータにして、過去の世界で原子構造や情報を再構成し、もとの人間とまったくかわらない存在を一時的につくりあげる。過去に電話回線をつなげたのも、同じ技術の応用だ。ただ、人間のデコーディングは、ノイズが多くなりすぎて、十年以上は遡れなくてな。デコーディングしていられる時間にも、限りがあるし。まあだから、十七才の時点の託生に過去に行ってもらう必要があったんだ」
「……そうなんだ。よくわからないけど、ぼくが役に立てたのなら、よかったけど」
 大人のギイはぼくの手の中の羊を撫でて、先を続けた。
「過去での記憶を元の肉体に戻すべきかというのは、随分議論された問題だったが、リスクがあっても持ち帰るほうが有益だという意見が強くてな。過去の記憶を持って帰って、お前にとってはよかったのかどうかわからないが……ただ、この羊も持って帰ってこられたのには、正直驚いた」
 ギイが話す内容は、ぼくには正直よくわからなかった。
 でも、それは構わない。
「託生、なぜオレがお前にこんな頼みごとをしたのか、知りたいか?」
 ぼくは首を横にふった。
「いいんだ、ギイが――君がかわらないために必要なことだったんだと思うから、それだけで充分な理由だと思ってるから」
「そっか……それを分かっていてくれて、オレはうれしい……託生?」
 ついうつむきがちになるぼくをのぞきこんで、大人のギイは首をかしげた。
「託生」
「うん」
「なぜ目が泳ぐんだ」
「……うん」
 大人のギイは苦笑した。
「違和感があるか? やっぱりオレ、随分オッサンになっちゃったかな。お前をがっかりさせちゃうかもって、ここに来るべきかどうか悩んだんだが……やっぱりやめておいたほうがよかったのかもな」
「ちが、その、そんなんじゃないよ……かっこいいよ、ギイは、たぶんいくつになっても」
 ぼくと同い年のギイのスーツ姿だって、それは格好よかったけれど。
 でも、大人になったギイ、である。スーツが似合いすぎて、大人の香りにくらくらしてしまう。
 そして、少し……なんだか、淋しいだけだ。
「ぼくは……なんていうか、置いていかれちゃった気分なんだ」
 こんなに素敵なギイと、ぼくは大人になっても、一緒にいられるのだろうか。
 きっと、平々凡々なぼくは、これからどんどんギイと釣り合わなくなっていってしまうんではないだろうか。
 少しうつむいたぼくを見てか、大人のギイはくすりと笑ったようだった。
「お前には悪いけど、二十八才の託生は今のお前とは比べものにならないくらいに色っぽいぞ」
「……え?」
 そうなのかな?
 ぼくのほうこそ、ただのおじさんになってしまうんでは、と思うんだけど。
 色っぽい、って、ギイだけでもそう言ってくれているのなら、少し安心かもだけれど……でも、自分の将来の姿を想像しようとしても、うまくいかない。
「よく、わからないや」
「オコサマにはまだわからなくていいんだよ。とにかく、だから安心して、ここまで来いよ。十八才のオレと二人で、な。八才のオレだって、七年頑張って『託生さん』に会いに行ったんだから」
 ぼくは顔をあげて、苦労して大人のギイの顔を正面から見つめた。
 手の届かないような、遠い人に見える、でも。
 でも、彼はやっぱりギイで、かわりなくぼくを見ていてくれているのだろう。そして、十年前の彼は成長して祠堂に、十年後の彼は未来の技術で今ここに、ぼくに会うために来てくれた。
「……そうだね。八才の義一くんも、二十八才のギイも、ちゃんとぼくを助けてくれたし、会いに来てくれたんだ、ギイ、今度はぼくが……」
 うん?
「あれ? 義一くん――八才の義一くん、に、ぼくが会ったのは、ギイが二十八才になった後なんだよね? それなのに、十五才になってぼくに会いに来てくれたって……」
「タイムパラドックスってやつだな」
 大人のギイは楽しそうに、一度実地で体験してみたかったんだ、と笑ったのだった。





















6

せりふ Like
!



恋は桃色
恋は桃色:トップページへ