13
目的の駅につき、なるべく人通りの多そうな道を選んで急ぎ足で歩く。やがて大きな通りへ出ると、須田先生の教室が見えてきた。懐かしい、赤い屋根の建物だ。
子供の頃に帰ったような気持ちになった時、近くに学校でもあるのか、チャイムの音がどこからか流れてきた。
ということは、もしかして。
ぼくは手元の腕時計を確認した――二時だ。そろそろ、時間になる。
「急ごう、歩道橋は特に気をつけて」
「はい」
リスクは高いけれど、どうしても歩道橋をわたるところがある。気持ち急ぎ目に、歩道橋をあがって橋の部分にさしかかると、ちょうど橋の向こうからも一人の男性がやってくるところだった。
すれ違いざま、男性はふとこちらに手をのばし、ぼくは義一くんをかばって欄干を背にし、男と向き合った。
来た方をちらりと確認すると、歩道橋の下のあたりで島岡さんが数人の男ともみ合っているのが見えた。どうやら、敵に挟まれてしまったようだ。
「……意外に反射神経がよろしいんですな、葉山様。直接、お会いするのは初めてですね」
「どちら様、ですか」
「名乗る必要はないでしょう、不要になる記憶ですから。すぐにあなたと私は無関係になる」
それは、どういう意味だろう?
ぼくはけれど、それ以上は考えずに、義一くんを背中に隠すようにして、じりじりと近寄ろうとする男を睨みつけた……ストラド、ごめん。ぼくは肩にかけたバイオリンケースを体の前で盾にして、男を睨んだ。
「それ以上、近づかないでください。揉み合いになったりすれば、ギイから預かっているこのストラディヴァリウスが危険ですよ」
半分ははったりだったけれど、男は躊躇したようで、動きがとまった。
「それは……その飾り、あなたが持参した方でなく、この時代のバイオリンなのか……?」
男はなぜか、バイオリンそのものよりも、羊を気にしているようだった。そのすきに、ぼくは背中の義一くんに小声で声をかける。
「義一くん、先に行って!」
「でも、託生さん!」
腕時計を見た義一くんはぼくを見上げ、悲しそうな顔をした。たぶん、彼も気づいたのだ――きっと、これで最後になる。
今にも泣き出しそうな顔の義一くんに、胸が痛んだけれど、ぼくは空いた方の手で、勇気づけるように彼の肩を押しやった。途端、盾にしたストラドのケースが引かれ、あわてて振り返る。先ほどの男がぼくにつかみかかろうとするので、ぼくはストラドをさらに持ち上げた。
「手荒なことは、やめてください。これはギイのバイオリンなんですよ」
「おのれ……卑怯な!」
「義一くん!」
ふたたび振り返ると、少し先でまだためらっている様子の義一くんに、ぼくは声をかけた。
「行って……また、必ず会えるから!」
半分以上、自分に言い聞かせるために、そう叫んだ。
ぼくはもうすぐ未来に帰れるし、歴史がかわらなければ、ぼくらは祠堂で再会できるはずだ。
ぼくは義一くんにもまた会えるし、ぼくのギイにも、また会える。
明日――未来の昨日の明日、ぼくも須田先生に会いに行く。
昨日――未来の昨日までは、少しためらいがあったけれど、きっともう迷わない。
今の義一くんが頑張っている姿を見て、これから先の努力や我慢、たくさんの重ねていくであろう思いに気づいたから。音楽の道を選び、たとえいつか挫折しても、ギイと離れ離れになっても、どんなに苦労をしても、だから大丈夫。ずっとギイと一緒に歩いていくというのは、きっとそういうことだ。
義一くんは心を決めたようにひとつ頷くと、くるりを背を向けて下り階段へと駆け出した。
ゆっくりと後ろを振り返ると、さきほどの男が憎々しげにぼくをにらみつけていた。
「どこまでもあなたは義一様の邪魔をする運命のようだ……」
ぼくは大きく呼吸をすると、体ごと男に向き直った。
のまれては、だめだ。
そして、対抗しようとするのも、だめだ。
この人は、ギイのために、と言っていた。
何が目的なのかはわからないけれど、話し合いの余地はある、かもしれない。
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