恋は桃色
恋は桃色:トップページへ










 12



 ゆるやかな螺旋をえがいている階段を降りながら、義一くんはうれしそうに口をひらいた。
「託生さんのバイオリンなら、目立つでしょうし、いい案ですね」
「あのね、義一くん」
「はい」
「君、ちょっとでも弾ける曲、ある?」
「はい……?」
 義一くんは、信じられないものでもみるように、ぼくをまじまじと見上げた。
「ぼくなんかよりもね、君みたいなかわいらしい男の子が、たとえうまくなくても、一生懸命バイオリンを弾いたら、きっと絵になるよ。ちゃんとぼくがフォローするから、なにか、途中まででもいいから、覚えている曲、ある?」
 義一くんは心底困った、という表情で、それでも素直に口をひらいた。
「……“Mary Had a Little Lamb”」
 ……リトルラム……仔羊……あ、そうか。
「日本でいう、『メリーさんの羊』、だね」
「それしか、覚えられなくて」
「わかった、それを一緒に弾こう」
 以前、やっぱり童謡を、伴奏も組み込んだ装飾で子どもをフォローして演奏するのを聴いたことがある。メリーさんの羊なら、なんとかなりそうだ。ただ、短い曲だから、少し間奏を入れたほうがいいかも。ぼくは頭のなかで音を思い描きながら、うん、と頷いた。
「先にぼくが一曲弾くから、その間に準備してね」
「わかりました」
 階段を降り、少しひらけたスペースで、ぼくはバイオリンケースを開いた。大道芸の人のように、あえてケースをひらいたままにし、周囲から距離をとれるように放置する。敵がどこにいるのか、何人いるのかもわからない。どれくらいの余裕があるのかもわからない。ぼくは息をついて、調弦もそこそこに弓を弦においた。
『チャルダッシュ』の切ない旋律を、心持ち早めのテンポで技巧的に弾く。あまり叙情的にならないように、ケレン味をつけて。
 何人かの人が立ち止まり、耳を傾けてくれている。よし。
 明るい旋律に入り、ちらりと後ろをみると、思い詰めた表情の義一くんがバイオリンを準備していた。無茶を言ってしまったかなと、少し胸がいたむ。目が合い、軽く頷いてみせると、それでも義一くんはしっかりとうなずき返してくれた。よし。
 やや軽快にすぎるテンポで『チャルダッシュ』を引き終えると、ぱらぱらと拍手をもらうことができた。
 数人とはいえ、人の輪ができている様子に、ぼくは少し安堵して義一くんを隣に呼び寄せた。
「託生さん、ぼく、ほんとに下手なので、すみません」
「義一くん、子どもは甘えてあたりまえ、なように、初学者は下手であたりまえ、なんだからね。ぼくが手伝うから、きっと大丈夫」
 そっと彼の背中に手をおき、一緒に深呼吸をひとつ。『メリーさんの羊』の最初のメロディをあわせて弾いて、そこからメロディもひろいつつ、伴奏を入れて、フォローにまわる。
 案の定、周囲の人々は、かわいらしい義一くんが一生懸命弓を動かしている様子を微笑ましく見守ってくれている。
 間にすこし、ぼくが即興を入れて、都合三回繰り返した『メリーさんの羊』に、先程よりも熱心な拍手をもらい、義一くんとぼくは頭を下げた。
 その時ちょうど、離れたところから島岡さんが警備員らしき人々を連れて戻ってきたところが見え、ぼくは素知らぬふりで義一くんをうながし、バイオリンを仕舞いにかかった。ばらばらと散った警備員さん達と離れ、島岡さんはぼくのところへやってきて、そっと耳打ちする。
「あなた方がストーカーに追われているので、相手が近づきにくくなるようにここで演奏をさせてもらったと説明してあります。このまま、改札へ向かいましょう」
「ありがとう、わかりました」



 地下鉄に乗り、やっと一息をつく。島岡さんは、車内の少し離れた場所で、ひきつづき警戒をしてくれているようだ。
「託生さん、ぼくのつたないバイオリンで、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんて、そんなことはなかったよ。ぼくの方こそ、無茶を言ってごめんね。でも、楽しかった」
 ギイとバイオリンで合奏をすることなんて、きっともうないだろうから。
「ぼくは、心臓がばくばくでした……」
 はあ、とため息をつく義一くんに、ぼくは苦笑した。
「そうだね、こんどはトライアングルとか、やってみるといいと思うな」























8

せりふ Like
!



恋は桃色
恋は桃色:トップページへ