恋は桃色
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 びっくりした。
 でも、あり得ないこと、ではない。なぜならたとえば、この人も未来人なのかもしれないからだ。
 何しろこのぼく自身がタイムスリップ、させられているのだ。他にもこの時代に送られている人がいたとしても、何もおかしくない。
「あの、あなたも未来から?」
「いえ、私はこの時代の人間です。未来からの指示で、君に会いに来たんです」
 とはいえ、この人の顔には見覚えがあるような、ないような。十年後には、三十才くらいになっているのかな。知り合いの誰かだろうか。三十前後の知り合い……。
 頭が追いつかず、のんきにそんなことを考えていると、彼はちらりと背後を確認し、早口で続けた。
「時間がないでしょうから、要件を手短に言います。御曹司から離れてほしいんです」
「……え?」
「崎家の御曹司から、手を引いてください」
「それは」
 ギイ――未来のギイは、義一くんにバイオリンをやめさせるな、と言っていた。
 正確には、明日の須田先生のレッスンまでは、と。
 ということは、はやくギイにバイオリンをやめさせたい、あるいは須田先生に会わせたくない、と考えて動いている人たちもいるってことなのか。誰かがこの人に、ぼくを止めろと指示を出したのだとしたら――いずれにせよ、もしかして。須田先生に会うことは、やっぱり義一くんが考えたように、ギイにとってそれだけ大きな意味を持っているってことなのかもしれない。
 考えて黙り込んだぼくに焦れて、彼は言葉を続けた。
「君だって、危ない目にあいたくはないでしょう?」
「どこのどなたか存じませんが、あなたこそ、手痛い思いをしたくなければ、引かれた方がいいですよ」
 冷たい声に二人でそちらに振り向くと、義一くんがぼくの背後からまっすぐに彼を見あげていた。



 一旦コンビニを出て、人目に付きにくそうな暗がりに移動した。
「ぼく達のことを通報したのも、あなただったんですね」
「はい。葉山さんには、できれば穏便に離れてほしかったので」
 警察に介入されるのが穏便かどうかはさておいて、通報が失敗に終わったので、この人がじきじきにぼくに接触した、ということか。
「ぼくを義一くんから引き離せ、というのは、誰に頼まれたんですか?」
 男は無言で、答えるつもりはないようだった。
「なんにせよ、こそこそと工作されて、ぼくは不愉快です」
 義一くんの冷たい声に、男は少しひるんだものの、あわてて弁解をはじめた。
「でもそれが、結局はあなたのためなのだと聞いています」
「ぼくのためって、あなた自身も、未来を見てきたわけではないのでしょう? 誰かにそうと言われただけで」
 今度は言葉を失って黙ってしまった彼に、義一くんは肩をすくめて軽く返す。
「まあかく言うぼくも、出会って間もない託生さんに聞いた状況しかわかってはいませんが。でも、託生さんとあなた、どちらを信じるかと言えば、託生さんです。託生さんと親しくして、過去に送り込んできた未来のぼく自身の判断を、ぼくは信じているので」
「……え?」
 ふと顔をあげ、彼はぼくの顔をまじまじと見る。
「葉山さんをこの時代に送ったのは、御曹司ご本人だったんですか?」
 あ、それは知らなかったんだ。
 三人が沈黙したその時、タイミングをはかったかのようにスマホの着信音が鳴り響いた。
「ギイ! ちょうどよかった、今、ぼくのことを知っている人が……」
『来たか……託生、そいつに見おぼえないか?』
「そうなんだよ、知っている人のような気はするんだけど」
『分からないのも、無理はないけどな。彼は、島岡だよ』
「あ、そうか、島岡さんか!」
 島岡さんの、十年前の姿か……島岡さんは、ぼくが思っていたよりも若かったようだ。いつも落ち着いて穏やかなので、もう少し年は上かと思っていたのだ。
「私のことを……? それに、それは電話機、ですか? 通話先は……」
「うん、未来のギイ……崎義一、だよ」
「な……!」
 驚きの表情の島岡さんに頷いていると、スマホの向こうのギイが先を続けた。
『託生、島岡に聴いてほしいことがあるんだが』
「それじゃ、替わろうか?」
『いや、託生から聴いてほしい。まず、彼が誰にそそのかされたのかだ。その時期だと、島岡はまだうちの社にさえ入っていなかったはずだが……ただ、彼の父は既にオレの父の秘書だったかな』
 ぼくがギイの言葉をとりつぐと、島岡さんは苦しそうに頷いた。
「父の部下に、葉山という青年を御曹司から引き離せ、さもなければ父の地位があぶない、と言われたんです。大人が動くと目立つから、まだ若い俺に働いてほしいとも」
『島岡父のことは、そちらの時代でも未来でも心配いらないと伝えてくれ。ただ、オレの横で、こっちの島岡が悶絶している』
「も、申し訳ないです、御曹司に迷惑をかけることになってしまって。まさかこんなことになるなんて……あの、挽回のチャンスをいただけませんでしょうか」
『それは、必要ない。既にこちらの世界では、成長した島岡が十二分に働いてくれているから、今後の活躍は保証する』
 ギイの言葉を伝えると、島岡さんは安心したような申し訳ないような表情になった。
『島岡父の部下か……それじゃあ、その背後の人間はわからないだろうな。託生、オレの運命を変えようとしている奴らがいるんだ。そいつが島岡父の部下を通じて、その時代の島岡に接触したんだろう』
「じゃあ、ぼくが、それを阻止するって役どころなんだね」
『そのつもりだったんだが』
「だった、って?」
『……託生、すまない。奴らにはその時代に干渉させないようにこちらの時代で対処して、託生には念のための保険で動いてもらうつもりだったんだ。ここまで危険なことになるとは、思っていなかった……オレの判断ミスだ』
「そんなことないよ。もうだいたいわかったから、大丈夫、任せてよ。歴史を変えないように、須田先生のところに君を届ければいいんだろう」
『託生……お前を送り込んだオレがいうのもなんだが、そんなに楽観視しないでほしい』
「楽観、しちゃうよ。だって、ちゃんと義一くんに会えたんだから。義一くんがたすけてくれるから、ぼくは大丈夫」
『託生』
「うん」
『一応言っておくが』
「うん?」
『浮気、するなよ』
「はい?」
 浮気……?
 ……義一くんと?
「ギイって時々、ぼくでさえびっくりするくらい頭が悪くなるよね」
『反論したいところだが、正直オレもそう思う』
 ため息で電話を切り上げると、背後から小さな声が聴こえた。
「託生さん……」
 あ、しまった。
 あまりにギイが愚かだったので、義一くんの存在を忘れて、ついついひどいことを言ってしまった。
「ごめんね、さっきのは、義一くんのことじゃないからね?」
「いえ、きっとぼくが……託生さんと同い年のぼくが、おかしなことを言ったんですよね。申し訳ないです」
 ……ほら、とても年下とは思えないようなこの義一くんが、ぼくの面倒を見てくれているんだよ?
 どんな敵が居ようと、だからぼくはそんなに心配していないのだ。























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