恋は桃色
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 3



「いいのかい、おじゃまして」
「はい、でも家の人にバレると面倒なので、静かに来てください」
 玄関口で、小さなギイはぼくに小声でそうささやくと、丁寧にスリッパをすすめてくれた。
 それから、以前にも通された、ギイの部屋にこっそりと忍び込む。
 ギイの部屋は、前に遊びに来た時にはなかったゲーム機やカラフルなバッグが置かれていて、やっぱり子ども部屋、という感じがした。でも、この年頃の子の部屋にしては、落ち着いているかも。
 ぼくがそんなことを思っていると、小さなギイはクローゼットからぼくの持ってきたものと同じバイオリンケースを取り出して、中身を取り出してみせる。
「父が購入したものなんですが……ぼくには分不相応で」
 ……難しい言葉を知っているなあ。
 ぼくはまた感心しながら、小さなギイの渡してくれたバイオリンを検分した。
 勿論、ぼくが持ってきたのと、全く同じものだ……今にして思えば、この年齢のギイに、最初からフルサイズというのは、きつかったんじゃないかなあ。
 ぼくがバイオリンを返そうとすると、小さなギイは何かを言おうとして、ためらっているようだった。
「どうしたの?」
「その、似てませんか? 葉山さんのバイオリンと、これと」
「それは、当たり前だよ。同じものなんだから」
 小さなギイは不思議そうな顔をした。
「葉山さんの持っていらっしゃるバイオリンは、葉山さんのものなんですよね?」
「あ、えっと、これは……その、借りて、というか、預かってるんだよ。二〇一四年の、君から」
 小さなギイはまたちょっと訝しそうな顔をした。うう、そうだよね、こんな高級な楽器を、ぼくなんかが預かっているだなんて、怪しいにもほどがある。
「つまり、葉山さんはバイオリンを演奏なさるんですよね?」
「うん、まあ」
「弾いてみて頂けませんか?」
「え?」
「この二挺のバイオリン、本当に同じものなのかどうか、弾き比べてみて頂けませんか」
「それは……いいけど。腕には、期待しないでくれよ?」
 ぼくはそう念を押して、まず自分の運んできた弾き慣れた方のバイオリンを——まあ、同じものなのだけど——構えて、息をととのえた。



 練習中のパガニーニの冒頭を二挺のバイオリンで引き比べて、ぼくは弓を下ろした。
「まったく同じ音、ではないね」
「そうですか? ぼくには同じように聞こえましたが」
「うん、ほんの少しね。張っている弦の違いもあるし」
「成程」
 小さなギイは納得したように頷いた。その仕草はやや大人びていて、微笑ましい。
「葉山さんは耳がいいんですね。それに、バイオリンがとてもお上手です」
「そ、そうかい?」
「はい。ぼく、葉山さんの音、とても好きです」
 そういうと小さなギイは、にっこり微笑んだ。他意のなさそうなその笑顔に、うれしくなる。
「とにかく、この二挺が全く同じバイオリンだということは、間違いなさそうですね」
「うん、それは」
「信じます、葉山さんが未来人だってこと。そうでなければ、このバイオリンの説明がつきませんから」
「あ……」
 ぼくははっとした。
 ギイに、信じてもらえたんだ。
 思わずへたりこみそうになって、ぼくは絨毯の上に膝をつくと、小さなギイに目線をあわせて笑い返した。
「ありがとう、ギイ」
「いえ、でも、……あの、その呼び方、出来ればやめて頂けますか」
「え?」
 やっぱり、なれなれしいと思ったのだろうか。小さなギイにとっては、今のぼくは赤の他人だ。
 ぼくが戸惑っていると、小さなギイは軽く肩をすくめた。
「愛称で呼ばれると、子ども扱いされている気分になるので」
 そうか? そうだろうか。
 少なくともぼくには、そんなつもりは、ないんだけどなあ。
「ええと、じゃあ、崎くん、でいい?」
 ためらいがちに聞き返して、ぼくは自分の言葉にちくりと胸が痛んだ。
 ギイは――ぼくと同い年のほうのギイは、最初から、ぼくが彼をファーストネームで呼ぶことに、すごくこだわっていた。勿論、あらたまった場やなんかでなら、今でもファミリーネームを呼ぶこともあるけれど、それでも嫌な顔をされるし、同室になった当初から、ファミリーネームで呼んでしまうたびごとに訂正されたものだ。
 小さなギイもまた、何かを考えるような顔をして、やがて少し困ったように微笑んだ。
「……義一で、結構です」
「じゃ、義一くん」
「はい」
「あのね、ぼくも、託生でいいからね」
 小さなギイ――義一くんは、困ったような顔で、ぼくを見返した。
「日本では、目上の方をファーストネームでお呼びするのはあまりないことだと聞いています」
「め、目上、って」
「年長の方を敬うのは、一般常識だとも」
 ……どうやら……義一くんは、マトモすぎる。
 ギイなのに。あの、神出鬼没、奇々怪々、が『売り』の、ギイなのに。小さい頃は、こんなにお堅かったなんて、知らなかった。
 ぼくは何故だか、すっごく落ち込みそうだった。
 ギイに、小さなギイではあるのだけれど、それでも葉山さん、なんて呼ばれつづけるっていうのは……。
 ファミリーネームで呼ばれるのを嫌がったギイの気持ちが、今やっとわかってしまった。
 黙ってしまったぼくに気を使ったのか、義一くんはおずおずと声を掛けてきた。
「では、あの……もし宜しければ、託生さん、とお呼びしても、構いませんか」
「うん……それで、ううん、そっちのほうが、いいです……」
 ……なんだか、調子が狂っちゃうなあ。























4

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