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――――――いつしか気を失っていたぼくは、ふっと意識を取り戻し、ふわりと顔を撫でていく風に気付いた。空調、つけてあっただろうか。目を閉じたまま、揺れが収まっているのを確かめる。閉じた瞼の向こうで光がちらちらと明滅するのを感じて、おかしいな、と思う。あかりが壊れたのかもしれない。
ぼくはゆっくりと目を開けて————
天使、だ。
天使が、ぼくの顔を覗き込んでいる。
……ここは、天国?
「あの……」
ぼくを覗き込んでいる小さな天使は、心配そうな表情をうかべている。
外国の子かな、白いなめらかな肌に、はっきりとした面差しで、とても愛らしい。
さらさら流れる金の髪にキラキラと陽を透かして、なんて綺麗。
「大丈夫ですか?」
甘い、それでいて凛と清涼な声が、耳を心地よくくすぐる。
どうやら、天使がしゃべったみたいだ――天使は上手な日本語を話す、らしい。
「大丈夫ですか? お医者が必要ですか?」
ぼーっと見惚れていると、天使が再び口をひらいた。
「あ……大、丈夫」
ぼくは我に返って、そろそろと上体を起こしてみた。
随分落下したような感覚があったんだけれど、体には異変はないようで、そのことに少し安心して周囲を見回してみた。
ぼくは、芝生の上に直接寝ていたようだった。きれいに整えられた芝の表面が、木の間からこぼれる光を反射して、フラクタル模様が生まれては消えていく。
そっと立ち上がって仰げば、頭上には蔭をつくってくれている大きな楡の木が枝を伸ばしている。その周りにも木々が連なって、更に向こうには大きな花壇や温室らしきものまで見える。随分広い庭園みたいだ。
……なんだろう、見覚えがあるような、ないような。
「えっと、ここは……」
振り返ると、天使のような少年が、先ほどと変わらない位置でぼくをじっと見守っていた。
年のころは、小学校の、低学年くらいだろうか、立ち上がって向かい合ってみると、ぼくよりも身長は30センチほどは低い。白いシャツに、アーガイルのベスト、黒いボトムと、トラディショナルなお坊ちゃんスタイルだ。
「ここは、ぼくの家の庭です」
「え……」
こんなに広い庭が?
もしかして、この子はとんでもないお金持ちのお坊ちゃん、なのだろうか。
ぼくが次の質問を考えていると、遠くから人の声が聞こえてきた。
「……さ…ん」
声はだんだん近くなり、誰かを捜しているようだ……けど、
「……いち、さん? ……義一さーん?」
「今行きます、浅井さん」
少年はそう声を上げ、……あれ?
彼はちらりとぼくを見てから、大きな花壇の向こうへと走っていった。そこで誰かと話しているようだけれど、ここからは死角になっていて、相手は見えない。けれど、さきほどの声の主だろう。
それより、まさか、まさか。
彼は、もしかして——
しばらくして戻ってきた少年は、ぼくを再び目にすると、少し途方にくれたような顔をしつつも、ぼくの前に再び立って向かい合った。
「あの……、あなたは」
「あの、もしかして君、ギイなのかい? 崎義一、くん?」
ためらいがちに口を開いた少年に、ぼくはガマンできずに問い返した。
男の子はさして驚いた様子も見せず、大人っぽく眉をひそめる。
「そうおっしゃるあなたは、どちら様ですか」
「あ」
焦るあまり、自己紹介もせずに、つい一方的な質問をしてしまった。
ぼくはあわてて、改めて名乗った。
「ええと、ごめん。ぼくは、葉山託生、っていうんだけど」
「では、葉山さん。どうやらご存知のようですが、ぼくの名は確かに崎義一です」
やっぱり。
ぼくは改めて、周囲を見回した。
どうりで、見覚えがあるはずなのだ。少し配置などは変わっているけれど、以前、遊びに来たことがあった、ギイの東京の実家なのだ。
「それで葉山さんは、ここで何をしていらっしゃるのですか」
「え。何って……」
ぼくは言葉につまった。
そもそも、ぼくはどうしてここで気を失っていたんだろう。新宿のホテルの部屋にいたはずなのに。
それに、この目の前の『ギイ』は、一体…………
ぼくは焦りながら、目の前の少年の目を覗き込んだ。
「あの、ギイ、ぼくのことわからない?」
「葉山さんとぼくとは、初対面だと思いますが」
……そうだよ、ねえ。
にべもない返答にがっくりしながら、ぼくは次第に事の重大さを、やっとのことで飲み込み始めた。
だって、おかしいじゃないか。
ぼくがいきなりここに寝っ転がっていたことはともかく、目の前のギイは、どう見てもせいぜい小学生くらいにしか見えないのだ。
たった数日見ないうちに、こんなことってあるだろうか。
ぼくはため息をつくと、小さくなってしまったギイの目線にあわせるように、腰をかがめた。
小さなギイは、少し顎を引いて、それでもじっとぼくの目を見返した。
「あの、いきなりで悪いんだけど、質問してもいいかい? 君、いま何才?」
「……八才です」
小さなギイは、不審そうな表情のまま、それでも答えてくれた。
ぼくはその律儀さにほっとしながら、今の言葉を反芻する。
八才。
ぼくはいやな予感を覚えつつ、頭の中で素早く計算する。
「えっと、ということはもしかして、今は二〇〇四年、なのかな……?」
「もしかしなくても、そうですよ?」
……十年前、だ。
つまり、これって。
タイムスリップというやつですかね、義一くん。
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