恋は桃色
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 ふたたび学校に戻ってきたのは、放課から一時間ちかくが経ってからの頃だった。
 ひとまずホームルーム教室にもどって戻ってみたけれど、既に誰もいなかった。ギイも、もう帰ってしまったのだろうか。もしまだ校内に居るのだとしても、どこを捜したらいいのかすら、よくわからない。
 教室を出てあてどもなく廊下を歩き、階段を降りかけて、踊り場の窓からふと空を眺める。運動をしているのだろう遠い喧噪、どこかから聞こえてくる楽器の音は、部活動のものだろう。ギイは、どこかの部活に参加しているのだろうか。つくづく、ぼくはギイのことを何も知らないのだ。
「あれ、託生?」
 背後からの声に振り向くと、階下には大量のファイル類をかかえたギイがたっていた。
 探しあぐねたその人の姿にほっと安堵して、すぐにまた大きく心臓が、たかなる。
「忘れ物か? もう帰ったのかと思っていたんだが」
「あ……、や、」
 探していたギイに運良く会えたものの、会えた後のことまで考えていなかったぼくは、何と話を切り出したものかと思って口をつぐんだ。
 どうしよう、何と言ったらいいんだろう。
 ギイは少し首をかしげると、いつものようににっこり微笑んだ。
「何か困っているんなら、手を貸そうか」
「あ……」
 ああ、やっぱり。
 ギイが、好きだ。
 彼の笑顔が、優しい言葉が、こんなにもぼくの心にぬくもりを与えてくれるのだ。そして同時に、せつない痛みも。これが恋という感情でなければ、何だと言うんだろう。
 この気持ちが、博士の言うようにただのプログラムなのだとしても、ぼくはギイをこれ以上悲しませたくない。ぼくが『葉山託生』のフリをしつづけて、ギイを避け続ければ、彼を傷つけ、また裏切ることにもなってしまう。だから、ぼくはギイに、きちんと伝えなければならないんだ。
「崎、くん――」
 言葉を探しながら、ぼくは魅入られたかのようにギイのほうへと一段を降り、次の瞬間、
「わ」
「託生っ」
 ぐらり、という揺れを感じたときにはもう遅く、ぼくは次の段差を踏み外してしまっていた。
 刹那、宙をかいた腕が、ふと何かにあたる。接地の瞬間、予想していたようなリノリウムの床とは違ったものが、ぼくを受け止めるのがわかった。
「いてて……」
「あ……、さ、崎くん!?」
 我に返ったぼくは、自分を受け止めてくれたのがギイだと知って、あわてて体を起こした。
 ぼくを抱き留めてくれたギイは、床に仰向いたままぼくを見上げて苦笑した。
「無事か? 託生」
「ぼ、ぼくは何ともない……ごめん、大丈夫かい? 頭、うたなかった?」
「オレも平気……、てっ、」
 笑いながら体を起こそうとしたギイは、背中を床から離そうとして顔をしかめた。
「せ、背中、うったんじゃないかい?」
「ちょっと、な。たいしたことはないさ」
「あ、血、血が出てる」
 ぼくは上体を起こすギイを助けながら、おろおろとその手を指した。ギイの手の甲には、赤く一筋の線が走っている。大きくはないけれど、痛そうな傷だ。
「ああ、ファイルがあたったかな。たいしたケガじゃない」
 周囲を見渡すと、床の上には、ギイが抱えていたファイルが大量にちらばっていた。ぼくを抱き留めるために、放り出してくれたのだろう。
「で、でも、ごめん、崎くん」
「いいって、仕方ないさ。ケガしたのが託生じゃなくてよかった」
 あたたかい、あたたかすぎるギイの言葉に、ぼくは思わずかぶりをふった。
「ちが……違う、崎くん」
「託生?」
「ぼく、ぼくなんか、ケガしてもよかったのに。君がこんなふうに、庇ってくれる必要なんてなかったのに」
 ギイはいぶかしそうに眉根を寄せた。
「どうして。お前がケガしていいわけなんて、ないだろう」
「あるよ、だって」
 ぼくは、震える声で、一息に続けた。
「ぼくは、人間じゃないんだから」













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