恋は桃色
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 それからというもの、ぼくはひたすらにギイを避けつづけた。
 それでもギイはあんなことなどなかったかのように、これまでどおりぼくに話しかけてくれたし、親切にもしてくれた。けれどぼくにとって、彼の親切は最早拷問にも近かった。だって彼の親切は、好意はすべて、『葉山託生』へのものなのだ。それを何食わぬ顔をして受け取ってしまうほどに厚顔にはなれなかった。あんなに優しいギイを避けなければいけないのは、ぼくだって辛い。でも、本当のことが言えない以上、他にどうしたらいいのかわからない。
「託生、おはよう」
 教室に入るなり掛けられた声に挨拶も返さずに、ぼくは自分の机の上に鞄を置いた。
 椅子に座り、テキスト類をとりだしていると、前の席に誰かが横向きに座ってこちらに話しかける。
「ライティングの宿題、済ませたか?」
 少しだけ顔を上げると、やっぱり相手はギイだった。
「まだだったら、見てやろうか」
 茶色い虹彩が、ふわりと微笑みかける――返事も返さないぼくに、こんなにも優しく笑ってくれるのだ、ギイは。
 ぼくは彼から目を逸らしつつ立ち上がり、荷物も放って、急ぎ足で教室を飛び出した。
「葉山!」
 誰かがぼくを追いかけてきたらしい。無視しようと思ったけれど、肩を掴まれて無理矢理振り返らされてしまった。赤池くんが、怒ったような顔でぼくを見つめている。
「葉山、おい。一体何が気に入らないのかしらないが、今のはあんまりだぞ」
「……」
「今日だけじゃない。いつもいつも、余計なお世話だみたいな顔をして」
 ぼくは目を伏せたまま、彼の批判を甘んじて受けていた。
「素直に親切を受け取ったほうが、ギイだって喜ぶに決まってるってわからないのか?」
 そんなこと、わかってる。
 赤池くんの言うことは、正しいことばかりだ――でも、
「……君には、関係ないだろ」
「何だと? おい、待てよ葉山!」
 でも、だめなんだ。
 ぼくはそれ以上耐え切れずに、その場を逃げ出した……ぼくは、逃げてばかりだ。
 走り続けて校舎の外へ出て、そのまま足をグラウンドの先へと向ける。流石に赤池くんも、もう追っては来なかった。
 どこへも行ける場所がなくて、ぼくは雑木林の方へとあてどもなく歩き続けた。バイオロイドの身体を知られては困るから、気分が悪いとうそをついて、保健室に行くことも出来ない。
 始業のチャイムはしばらく前に鳴っていた。このままではサボタージュになってしまうと思ったけれど、もう教室に戻るだけの気力がなかった。ギイの居る、あの教室に。ぼくはため息をついた。
 ギイの好意が、ぼくが『葉山託生』ではないことが、申し訳なくて悲しくて、やりきれなかった。
 赤池くんの言うとおり、こんなふうにギイを傷つけつづけるのは、ぼくだって辛い。でも、ギイを裏切り続けることも同じくらいに辛い。ぼくが『葉山託生』だったらよかったのに。もしくは、せめてバイオロイドでなかったなら。
 ぼくが人間だったら、彼はぼく自身を見てくれただのろうか? わからないけれど。
 でも、ぼくがただの単調なプログラムなどでなければ、少なくとも『ぼく自身』がそこに生まれていたかもしれない。そうしたら、ギイだって、ぼくが『葉山託生』ではないんだって、きっと気付いただろうに。
 つまり、ぼくは……ぼく自身をギイに見てもらいたいのだ。そして、好きになってもらいたいのだ。『葉山託生』ではなく、ぼく自身を。なぜなら、ぼくはギイに惹かれているから――
 ずっと考えまいとしていたことだけれど、もう限界だった。
 ぼくを好きだと言ったギイの言葉を、本気にしてしまいたくなるずうずうしい自分には、本当に嫌になる。
 ギイはバイオロイドのぼくなどを好きなわけではないのだし、それになにより、この自分の感情だって、ぼくには確信がもてやしないのだ。
『お前はバイオロイドなのだから』
 博士の冷徹な言葉を思い返して、ぼくは目を閉じた。
 プログラムが人を好きになるなんて、ありえないことだ。
 博士が言うように、ぼくには『葉山託生』としての記憶があり、そこには多種雑多な感情も含まれている。けれどぼくはそれらを記憶として客観的に理解することしか出来ないし、まして新しい体験に対して何かを感じることはない、のである。プログラムが行う判断は可否だけだ。そのプログラムを保有する個体にとって、人間存在にとって、社会規範にとって。様々なレベルでの判断だけが存在し、そこに感情などが生じる余地はない。
 ぼくがギイを好きだと思うのは、ただの勘違いか、そうでなければきっと、『葉山託生』の残滓なのだろう。
 だから、これはぼくの感情ではないはずだ。
 けれど、それならどうして。
 どうしてぼくは、こんなにも苦しいのだろう。


「大丈夫、託生くん」
 ぼくの顔を見るなり、麻生さんは心配そうな表情を顔に浮かべた。
「ぼくは、なんともないです」
「とてもじゃないけど、そうは思えないよ。ずいぶん顔色が悪い」
「でも体温、脈拍、その他の数値もすべて正常範囲内です」
 体内を監視するシステムを参照しながらそう報告すると、麻生さんは大きなため息をついた。
「もう、そうじゃなくて!」
 促されて車に乗ると、麻生さんはイライラした手つきで車を発進させた。
 麻生さんがこんなふうに苛立った雰囲気をまとっているのは、とても珍しいことである。何がいけなかったんだろう。考えてみたけれどよくわからなくて、ぼくはおそるおそる謝った。
「あの、すみません……」
「え? あ、ううん、ごめんね、託生くんに怒ってるわけじゃないよ。博士が全部、悪いんだ」
「博士が?」
 ぼくは首をかしげた。ここに来る前に、二人の間に何かあったのだろうか。
 あまり詮索するのも失礼だと思い、ぼくは黙った。麻生さんはそんなぼくをちらりと見た。
「崎くんは元気? 最近会わないけれど」
「え、あ……、はあ」
 不意に出されたギイの名に動揺しながら、曖昧に言葉を濁していると、麻生さんは黙ってしまった。
 細い道へとハンドルを切り、研究所の敷地の前までくると、麻生さんはゆっくり車をとめた。敷地を囲っている柵をあけようともせず、麻生さんはしばらくフロントガラスをみつめていた。
「人の心はどこにあると思う? 脳かな、心臓かな」
「え?」
 唐突な問いかけに、ぼくは首をかしげたけれど、答えは思いつかなかった。
「……わかりません」
「わからないよね。医学を修めた俺にもわからない。ほんとは、そんなものないのかもしれない」
 くすりと笑って、麻生さんはやっとぼくに振り返った。
「俺が人の心の存在を感じるのは、こうして誰かと一緒にいるときだよ。こうやって目を合わせるだけで、一言を口にするだけで、相手の気持ちがわかるだろう? 喜んでいるのか、怒っているのか、今の託生くんみたいにとまどっているのか。それがわかっちゃうと、俺は託生くんがいっそうかわいく思えちゃったり、心配になったり、力になってあげたいって思う。逆にわからなければ、知りたくなる。だから俺は、心なんて曖昧なものの存在を、信じられる」
 麻生さんの言葉を、回転のわるいあたまでゆっくりと反芻する。
 心配したり、力になりたいと思ったり。それは、きっと――
「託生くんは、どうしたい」
「ぼく……」
「離れていて、淋しかったり悲しかったりしないかい」
 そうだ。
「彼の側で、彼の笑顔を見ていたいと思わない?」
 そうだ、彼には。
 笑っていてほしいのだ。
「託生くんは、ちゃんと崎くんと向かい合うべきだと思う」
 麻生さんは、ぼくの目を覗き込むようにしてにっこりと微笑んだ。
 そして、後ろも見ずに車をバックさせると豪快な軌跡を描いて旋回し、元来た道を倍のスピードで走り出したのだった。












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