恋は桃色
恋は桃色:トップページへ

















 いつものように図書室の鍵を返却して、夕焼けに赤く染まった校舎を歩いていると、廊下の先に人影をみつけた。影がゆらりと揺れて、橙の夕日がその表情にきれいな陰影を浮かび上がらせる。ギイだった。
 ギイは、ぼくの姿を見つけると、軽く手をあげて声を掛けた。 
「随分遅いんだな」
「図書当番、だったから」
 少し手前で何となく立ち止まり、何か言葉をかけるべきだろうかと考えていると、ギイは真面目な顔をした。
「顔が赤いぞ」
「え」
「夕日が照ってる」
 ……ジョーク、なんだろうか。
 ぼくが首をかしげていると、ギイは笑いながら歩き出した。
「一緒に帰ろうぜ」
「……あ。……でも、その、」
「もしかして、麻生さんか?」
「……うん」
 やはり、ギイも気づいていたようだ。麻生さんの送り迎えも既に十日目になっているのだ。ぼくは毎回申し訳なく感じてしまうし、きっとはたから見たらさぞ奇妙な状況なのだろうとは思うのだけれど、博士の指示に逆らうことなんて出来はしない。
「最近、毎日なんだな」
 ギイはそうつぶやくと、少し首をかしげて心配そうな表情で、ぼくにそっと問いかけた。
「具合でも悪いのか、託生」
「や、ううん、……その」
 まったくの健康体、というか、バイオロイドの身体を心配されると、ぼくは居心地が悪い思いをしてしまう。ギイの心配がなんだか申し訳なくて、ぼくは言葉につまり、適当な言い訳を探して視線を泳がせた。
「家の――、都合で」
 ギイは訝しそうに眉をひそめたけれど、それ以上質問をかさねずに、廊下の先をみつめたまま少し黙ってしまう。
 やがてぼくを見つめ、ギイはゆっくりと口をひらいた。
「事情はよくわからないが、一人で帰ることが問題だって言うのなら、オレが送ろうか?」
「え?」
 ぼくは思わず廊下の途中で立ち止まり、ギイの顔をまじまじと見てしまった。
 ギイも一歩先で立ち止まると、ぼくの顔を正面から見返した。
「な、なんで……どうして、崎くんがそこまで……」
「麻生さんだって、仕事があるんだろう?」
「そんな……、君にそんな迷惑かけられないよ」
「迷惑じゃないさ」
「……だ、だって。……崎くんには、何のメリットもないじゃないか」
「メリット? なくもないけどな」
「……、……どうして」
 ぼくは混乱しながら、やっとそれだけ言った。
 ギイはそんなぼくを真剣な表情でみつめると、はっきりと口をひらいた。
「オレがお前を好きだからだ」
「……え?」
 ぼくは自分の耳をうたがった。
 ギイ、今何て……
「好きだ」
「さ、崎く……」
「好きなんだ、託生」
 ――違う。
「託生?」
「……違うんだ」
 ぼくはほとんど無意識に、口を開いていた。
 それは、ぼくの名前じゃないんだ、ギイ。
 なんだか、胸が痛い――
「違うって?」
「……ごめん、帰らなきゃ」
「託生!?」
 ギイの呼びかけを背に、ぼくの足は勝手に走り出していた。
 校舎を走りぬけ、校庭を横目に走り、いつだったかもぼくの身を隠してくれた雑木林の中を闇雲に走る。来たこともないような奥まで走って走って、息が切れてしまい、自然と足も止まった。はあはあと息をしながら、胸を押さえる。さっきから、胸がじくじくと痛んでいた。
 こんな痛みは初めてだ。あの実験装置のせいだろうかという考えが一瞬よぎったけれど、それにしたってもう導入してから十日もたっているのだ。いぶかしく思いながら、胸をさすってみる。とくとくと感じられる鼓動は、赤い血潮ではなく、金色にひかる合成血液を循環させる音だ――ぼくはバイオロイドなのだから。
 そう思い出した瞬間、ギイの言葉が脳裏に蘇って、ぼくは大きく首をふった。
 あんなに真剣な目で、ギイは大事な言葉をくれた。
 けどそれは、ぼくに、じゃない。ギイはぼくを『葉山託生』だと思っているのだから、あの言葉はぼくへのものじゃない。
 ぼくはギイをたばかっているのだ。出会った瞬間から、ずっと。


 あれからどこをどう歩いたのか、一体いつバスに乗ったのか、全く思い出せない。
 けれど、気づけばいつの間にか、ぼくは研究所の前に立ち、白いドアをぼんやり眺めていた。
 まだ半分ぼんやりしながら、とりあえず中に入ろうと、のろのろ手を伸ばしかけたところで、不意にドアが内側から開く。驚きで声も出ないぼくに、博士はドアノブに手をかけたまま、不快そうに眉をしかめた。
「随分遅かったじゃないか」
「あ、……はい、」
「麻生くんはどうした」
「あっ!」
 そうだ……すっかり、忘れていた。
 麻生さんが車で来てくれていたはずなのに、ぼくが闇雲に動き回ってしまったせいで、会えなかったのだろう。
 きっと博士は怒るだろうと思いながらも、ぼくは正直に報告することにした。
「その……すみません、ぼんやりしていて、バスに乗って帰ってきてしまいました」
「何だって? 麻生くんに会わなかったのか」
「は、はい。あ、……どうしよう、麻生さん、まだぼくを待っているのかも」
「とにかく、中に入りなさい」
 博士に促されて、玄関左手のドアから研究室にそのまま入る。博士は携帯電話を取り出しながら、無言で作業スペースを指し示し、ぼくも黙って頷いて適当な椅子に座った。博士が電話の向こうの麻生さんに事情を伝えているのを、聞くともなしに聞きながら、ぼんやりと白い壁を見つめていた。通話を切ると、博士は立ったままこちらに振り返った。
「で? 一体何があったんだ、託生」
「えっ」
 何か――何が。
 博士の問い掛けを耳にした瞬間、ギイの真摯なまなざしが目の前に浮かび上がった。ぼくはうろたえて、博士の視線を避けるように、膝に置いた手に目をやった。
「な、何も、ないです」
「何も? そんなはずはないだろう。麻生くんを置いて帰ってくるなんて、ついうっかりではありえないことじゃないか。何か余程のことがあったのだろうな?」
 博士の言葉はしごくもっともで、ぼくはなんと言ったらいいものか、考えた。ギイの言葉を、そのまま報告することはなんとなくためらわれるけれど、報告しなければ博士は納得してくれないだろう。ぼくが悩んでいると、博士はふっと息をついた。
「先だって報告に上がっていたクラスメート、崎くんか、彼と何かあったのでは?」
 ぼくは思わず視線をあげて、博士の冷めた瞳を見あげた。
「どうして……」
「……やはりな。何を言われた。好意を持っているとでも、言われたか?」
「は、博士」
 どうして、わかったんだろう。
 ギイの名前ですら、ひとことも口に出していなかったのに。
 ぼくが驚いていると、博士は皮肉な笑みを片頬に浮かべた。
「何を驚いているんだ? 機械の頭のお前にはわからなくても、人間ならば簡単に把握できる状況だ」
 人間ならば――そうだ、ぼくは人間では、ない。
 すうっと冷えていく頭に、追い討ちをかけるかのように、冷ややかな博士の声が降り注いでくる。
「わかっているだろうな? 何度も言っているが、お前はただのプログラムでしかない存在だ。託生の記憶を与えられているからといって、お前が人間と同じように思考できるわけではない。そんなプログラムに惚れるだなんて、そのクラスメートも、余程間が抜けた人間なんだな」
 違う、と言いかけて、口をつぐみ、ぼくは歯を食いしばった。
 ギイはプログラムなんかを好きになったわけじゃない、彼は『葉山託生』に好きだと言ってくれたのだから。
 でも、それを博士に告げるわけにはいかない。ギイが『葉山託生』にあったことがあるのだと知ったなら、博士がどんな判断をするか、ぼくには全くわからないのだ。
 俯いて黙りこんだぼくに、博士は冷たい声音で続ける。
「くだらない戯言に耳を貸すな。託生、お前はバイオロイドなのだから。愛だの恋だの、お前には関係のないことだ」
「……はい」












prev top next 











3

せりふ Like
!



恋は桃色
恋は桃色:トップページへ