恋は桃色
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「託生、今帰りか?」
 校舎を出ようとしていたぼくは、ギイの呼びかけに立ち止まって、振り返った。
「あ……、うん、そうだけど」
 おずおずと言葉をかえすと、ギイはにこっと笑って、ぼくの隣りまで来て立ち止まる。茶色い瞳が、ふわりと微笑んだ。
「六限が早めに終わって、ラッキーだよな」
「え? あ、うん、……そうだね」
 ぼくはなんとか返事を返し、歩き出したギイにうながされるようにして、なんとなくその隣りをついて歩く。
 ギイと帰るのは二日つづけてのことだと気付き、ふと昨日のやりとりを思い出す。ギイはぼくなんかのことを気に掛けてくれたのに、ぼくはそっけない態度しかとれなかったのだ。謝ったほうがいいんだろうな、と思うのだけれど、人付き合いの経験が少ないせいか、何と切り出したらいいのかがわからない。ひとりまごまごしていると、ギイは前を見たまま、ふと思いついたというように話しだした。
「ところで、託生」
「な、なんだい?」
「麻生さん、だっけ」
「え?」
「昨日の人」
「え……あ、うん」
 とまどうぼくに、ギイはにこ、と笑ってさりげなく先をつづけた。
「一緒に住んでるんだって?」
「う、うん」
「ふうん。兄弟、じゃないよな。親戚なのか?」
「違うよ」
 ふるふると首をふるぼくに、ギイは少し首をかしげ、不思議そうな声を出す。
「親戚でもない? じゃ、どういう関係なんだ?」
 ぼくはちょっと意外に思った。いつもだったら、いつものギイだったら。こんなに不躾に問いかけはしない、と思う。なぜ彼はそんなことを知りたいのだろう。君に話す必要はないと思う――と口をひらきかけて、あわててまたつぐんだ。ぼくは昨日からギイには、失礼な対応ばかりしていることを思い出したからだ。出来ればこれ以上、彼に不義理を重ねたくない。答えられることは、答えるべきなのだ、たぶん。
 ぼくは考えながら、嘘にならない範囲で言葉を捜しつつ、彼の質問に答えようと口をひらいた。
「……ええと、兄の、仕事関係……で、お世話になっている人なんだ」
「へえ? 託生の兄さんって、何してる人?」
「えっと、……研究。内容は、よく知らないけれど」
 これは、あながち嘘でもない。だって、博士の研究は、素人のぼくには難しすぎて、さっぱりわからないのだ。たとえぼく自身が研究対象そのものであっても、だ。
「そっか。託生らしいな」
 ギイはちょっと苦笑して、少し遅れていたぼくを振り向いて言った。
「ま、いっか。帰ろうぜ」
「……え、」
 返事を待たずに校舎を出て行ったギイを、ぼくはあわてて追いかけた。
「崎くん、あの、」
「託生くーん、こっちこっち」
「あ」
 ぴたりと足をとめたギイと一緒にふりむくと、校門の横には、にこにこ笑いながら手をふっている麻生さんがいた。ぼくは麻生さんのもとにかけよった。
「今日は早かったんだねえ。早めに来てよかった」
「あ、はい。授業が少し早めに終わったから」
 遅れてぼくの隣りにやってきたギイは、にこっと笑ってそのまま口を開いた。
「お迎えか?」
「あ、うん。……ごめん」
「いや? こんにちは、麻生さん」
「こんにちは、また会ったね、崎くん」
 丁寧に会釈したギイに麻生さんはにこにこと挨拶を返し、ギイはまたぼくに目をあわせて、軽く手をあげた。
「じゃ、また明日な、託生」
「……うん」
 くるりと背を向けて歩き出したギイの後姿を、ぼくはぼんやりと見送った。


「よかったの?」
「え?」
 赤信号で停車して、麻生さんは目だけでちらりとぼくを見た。
「崎くん。さっき、話、途中だったみたいだけど」
「あ、……はい、別に」
「ほんとに? ていうか、崎君の方は、まだ何か話したそうだったけど」
 ぼくは曖昧に笑って、窓の外へと目を向けた。
 博士がぼくの送り迎えを麻生さんに頼んだのは、昨夜のことだった。久しぶりに一緒に夕食をとって、ここのところの出来事を問われるままに報告をし、帰りに麻生さんに会って拾ってもらったことを話していると、博士の表情が次第に難しいものになっていってしまった。また何か博士の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか、麻生さんに送ってもらったのはいけなかったのだろうかと、いろいろと考えてみたけれど、ぼくにはよくわからなかった。
 食事が終わると博士はすぐに研究室に入り、しばらくしてぼくもそちらに呼ばれた。博士はぼくに見なれない器具を取り付け、この装置を使ってしばらく実験をするけれど、装置を入れている間は乗り物酔いしやすくなるから、学校の行き帰りはバスを使わずに、麻生さんに車を出してもらうようにと言った。博士が食事中に考えこむようにしていたのは、この実験のことだったんだろうとぼくは合点したのだった。
「……くん、託生くん」
「……あ、」
「どうしたの、ぼーっとして」
「すみません」
 麻生さんは前を向いたまま少し首をかしげると、またちらりとぼくを見た。
「託生くんも大変だよね」
「え?」
「だってさ。博士も、急に実験だなんて」
「それは、でも、いつものことですから」
 麻生さんはくすりと笑った。
「崎くん」
「えっ」
「って、しっかりした子みたいだね」
「え、あ、はい。級長なんです」
「そうなんだ? 託生くんには、いいお友達みたいだね」
 麻生さんの言葉にひっかかりを覚え、ぼくはふと黙り込む。
 友達……ギイは、ぼくの友達なのだろうか。
 彼を、友達なんて呼んでしまっていいのだろうか。
 ――オレのこと、忘れちゃった?
 ふと、あの春の日の情景を思い出す。
 桜のふぶく下、彼に告げられた言葉。
「ぼくは、崎くんとはそれほど親しいわけじゃないんです」
「そう、なんだ?」
 ぼくの硬い声に、麻生さんは少し驚いたようだった。
 でも、ギイはぼくなんかの友達じゃない、と思う。
 たぶんギイは、『葉山託生』の友達なのだ。












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