恋は桃色
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 最終下校時刻間際の校舎は、夕暮れの陰影がきれいだけれど、人気がなくて少しもの淋しい。
 図書当番を終えたぼくは、図書室の施錠をすると、鍵を返すために職員室に立ち寄った。夕日の差し込む廊下を歩きながら一階に降りると、校舎の出入り口に程近いロビーにその人影をみつけ、ぼくはどきりとした。
「託生」
 ギイはぼくを見つけると、にこりと笑って手を振った。
 無視するわけにもいかないので、仕方なくそちらに歩みを進めると、ギイは両手にひとつずつの紅茶の缶をぼくに掲げて見せた。
「これ、松本からせしめてきた。託生の分も」
「え……?」
 資料準備の手伝いの、ご褒美らしい。
 あんなふうに、途中で抜け出てきてしまったぼくは、少しためらった。
「でも、いいのかな」
「何でさ。当然の権利、だろ?」
 ギイはそう言って、またにっこり微笑んだ。
 あんまり固辞するのもかえって悪い気がして、ぼくはそれ以上反論するのをやめて、缶を受け取った。赤い缶は、まだ冷たかった。ぼくの図書当番が終わる時間を見計らって、買ってきてくれたのだろうか、もしかして――まさか、ね。
 お礼を言わなければ、とやっと思いついたところへ、またギイの声が聞こえてきた。
「託生、バスだろ? 一緒に帰ろうぜ」
「あ……」
 ギイはぼくの返事を待たずに歩き出してしまい、ぼくは慌てて後を追いかけた。
 校門を出て、ためらわずにバス亭の方角へと向かうギイに、ぼくは問うでもなく疑問を口にのせた。
「崎くん、寮生じゃないんだ」
「ああ、通学生なんだよオレ。託生とおんなじ」
 バスの時間までは、まだ少しあるらしい。ギイはバス亭のベンチに座ると、手にしたままだった缶のプルタブをひきあげた。ぼくが戸惑っていると、ギイはまたにっこりと笑って自分の隣りのスペースをぽんと叩いた。
「ほら、座れよ」
「あ、うん」
 ギイの隣り、少し間を空けて、ぼくはぎこちない動きで腰を下ろした。
 こんな時、どんなふうに対応すればいいのか、ぼくはまだよくわからない。手持ち無沙汰の気まずさに、ギイに習って缶をあけてそっと口をつけてみる。冷たい液体は心地よくのどを通り、ぼくは思っていたよりのどが渇いていたことに気づいた。
「手当て、したんだな」
「え?」
「指。絆創膏、あったんだ」
「あ、うん、図書室で貰って……」
 ギイの言葉にじんわりとした違和感を思い出して、ぼくは指に巻いた絆創膏を親指で擦った。ちいさな傷だったけれど、念のために傷を隠しておきたかったのだ。でも、ぼくはギイと赤池くんとに提案された手当てを断ってしまったのだった――ギイは、気を悪くしただろうか。じっと視線を手に落としたままそのことに気づいたとき、明るい声が降ってきた。
「そっか、よかった」
 顔を上げれば、ギイはまたあの微笑みを見せてくれている。ぼくは、心臓が奇妙にきしんだ気がして、思わず胸に手をやった。きしきしと音をたてる胸に、ぼくは半分無意識のうちに口をひらく。
「……崎くん、には、関係ないだろう」
 つい、そんなひどい言葉を投げて、すぐに後悔したぼくは、横をむいて彼の視線を避けることしかできなかった。
 ギイは、やさしい。
 人とうまく付き合えない、ギイの心配りにもひどい言葉を返してしまう、そんな半人前のアンドロイドのぼくにも、こんなにもやさしい。
 だからぼくは、胸が苦しい。だってぼくは、そんなギイをたばかっているのだ。なぜなら、彼が呼ぶ託生という名は、本当はぼくの名前ではないのだから。ぼくがギイを騙しているのだという真実がある限り、どんなにギイがぼくに親切にしてくれようと、感謝よりも先に申し訳なさと違和感ばかりを感じてしまう。
 ぼくは最前の言葉を後悔しながらも、胸に手をあてたまま息を詰めていた。目をあわせないように紅茶缶に視線をおとしたままのぼくに、やがてギイがためらいがちに口をひらいた。
「託生、その……」
 名前を呼ばれて、それだけでぎくりと動揺するぼくに、ギイが迷いながらも先を続けようとしたとき、横から別の声が聞こえてきた。
「託生くん?」
「あ」
 顔を上げると、麻生さんがにこにこしながら立っていた。
「あ、やっぱり託生くん。丁度頃合にこの辺りに来たから、託生くんそろそろ帰りかなーって思って来てみたんだ。ナイスタイミングだよね、一緒に帰ろうよ」
 麻生さんの背後を見ると、研究所のプリウスが停まっていた。わざわざ降りてきてくれたのだ。
 ぼくの返事を待たずに、麻生さんはぼくの隣りに座っているギイに、にっこり微笑んだ。
「君は? 託生くんのクラスメート?」
「はい。崎義一です、はじめまして」
「崎くんか。俺は託生くんの同居人の麻生です。家はどこ? よかったらついでに送っていこうか」
「ありがとうございます。でも、もうバスが来るので」
「そっかー、残念だなあ」
 ギイの返事に心から残念そうにそう言うと、麻生さんはぼくを車に促した。立ち上がって缶を側のごみ籠に入れ、ふと振り返ると、ギイはにっこりと微笑んで軽く手を挙げた。
「また明日な、託生」
「あ……う、うん」
 ぼくはぎこちなく手を振り替えして、すぐに彼に背を向けた。












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