恋は桃色
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 バスを降りて、山の中へと入っていく小道をしばらく歩くと、「葉山工学研究所」の敷地であることを示す高い柵が見えてくる。ICカードの認証を潜り抜けて敷地に入っても、ただ草木が生い茂っているだけで、研究所は影も形も見えはしない。注意して探さなければわからない、まるでけもの道のような細い小道を辿り、またしばらく歩くと、やっとただ白いだけの四角い建物が見えてくる。研究所正面の素っ気無い扉を、今度はカードと生体認証とで開錠して、ぼくは靴のままで上がりこんだ。すぐに振り返って、きっちり施錠をするのを忘れない。
 正面の入り口を入ってすぐの部分は、短い廊下になっている。左手の扉は研究室につながっていて、反対の右手の扉からは居住区部分に入ることができる。廊下の先、正面にも扉があるのだけれど、ぼくはその先に行ったことはない。
 ぼくはこの研究所で生まれたのだけれど、葉山尚人はどうしてもぼくに『葉山託生』の通っていた中学校を卒業させたかったらしく、中学校の間は、ぼく達は元の葉山家――もっとも、火災で焼失した後に立て直した家なのだそうだけれど――で暮らしていた。けれど葉山尚人はぼくの出来が大いに不満だったらしく、中学校卒業を機に、ぼくを連れてこの研究所に移り住んだのだ。ここに移ってきてから、葉山尚人はもっと完璧な『葉山託生』を目指して、以前にもまして研究に没頭するようになった。
 けれど、彼は決してぼくを研究所に閉じ込めようとはしなかった。ぼくがバイオロイドであることを周囲に隠したいはずなのに、そして研究だってぼくが常にここにいたほうが進めやすいはずなのに、彼はぼくを生かしたまま、普通に生活させてくれている。高校も、この研究所に近い祠堂学院を選んで、通わせてくれているのだ。
 きっと彼は、『葉山託生』の人生を、中断なく進ませたいのだろうと思う。
「帰りました」
 居住部分の扉を開けて靴を脱ぎながら声をかけると、入ってすぐ横のキッチンから、麻生さんが顔を覗かせてにっこり微笑んだ。
「託生くん、お帰り~。お弁当箱、出してね」
「あ、はい」
 麻生さんは、帝都大時代からの葉山尚人の助手で、年齢は二十七才。身長はぼくとかわらないくらいで、失礼かもしれないけれど、ちょっと可愛らしくて、いつも笑っている印象のある明るい人だ。なんでも、すっごく有能な人らしいのだけれど、今はここに住み込みでぼく達の生活の面倒まで見てくれている――とっても、恐縮である。
 鞄をひらいて弁当箱の包みを取り出すと、麻生さんはエプロンで手を拭いながら、ぼくに話し掛けてきた。
「今日のおかずはお口に合ったかい?」
 にこにこ笑いながら言われてぼくは、必死でお弁当の内容を思い出す。
「あ……えっと、なす」
「あーうん、茄子の挟みあげ、初めてつくったんだけど、どうだった?」
「……茄子の、味がしました」
 ……人間だったら、こんなこと言わないのだろうって、わかってる。
 バイオロイドのぼくには、どんな食材がつかわれていて、どんな調味料がどれくらいつかわれているかは敏感にわかるのだけれど、テレビでグルメリポーターが簡単にあげているような感想は、咄嗟には出てこないのだ。
 麻生さんはぼくのおかしな答えに、声をたてて笑った。
「あはは、託生くんらしい感想だなあ」
 それってやっぱり、バイオロイドらしい、……って、ことなんだろうか。
 ぼくは慌てて、何か、違う――それでいて、嘘ではない言葉を捜して、付け加えた。
「で、でも。好きです、あれ」
「そう? うれしいな、また作るね」
「はい」
 にっこり微笑んで両手で弁当箱の包みを受けとる麻生さんに、ぼくは思い切り頷いた。
「今日はねえ、博士の手伝いもなくって暇だったから、クッキー焼いてみたんだよ。おやつにして、食べない?」
「あ、食べ、ます。食べたいです」
「じゃあ紅茶淹れてるから、制服、着替えておいでよ」
「はい」
 奥の自室に向かいかけたところで、廊下側の扉が開いた。
「麻生さん、ちょっと……ああ、帰っていたのか託生」
「はい、兄さん……あ」
 途端、表情が険しくなって、ぼくは急いで謝罪を付け加えた。
「すみません、博士」
 葉山尚人――博士は軽く眉をしかめて、けれど何も言わなかった。
 表向き、ぼくは『葉山託生』ということになっているので、博士のことも外では「兄」と呼んでいるのだけれど、研究所ではあくまでも「博士」と呼ぶことになっているのだ。ぼくはバイオロイドという開発対象であり、彼はあくまでぼくの開発者、なのだから――そのくせ、博士はぼくのことを、いつでもどこでも「託生」と呼ぶのだけれど。
「実験が必要になったところだったんだ、丁度いい。すぐに研究室に来なさい。ついでに点滴パックも入れるから」
「は、い……」
 躊躇いがちに頷くと、博士は先に廊下に出て、ぼくを待たずに研究室へと歩いていってしまった。
 ぼくは気を取り直して、鞄をとりあえずリビングのソファに置きなおし、麻生さんに頭を下げた。
「すみません、行ってきます」
「託生くんも大変だね、頑張って。クッキー、とっておくから安心してね」
「あ、はい」
 ひらひらと手を振る麻生さんに見送られて、ぼくは慌てて博士の後を追った。












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