恋は桃色
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 研究室に続く扉から、博士と麻生さんしか入れない奥の部屋へと直行する。
 生体認証で部屋のガードを解いて扉をあけると、博士は既に実験の準備を始めていて、入ってきたぼくに気付くと無言で台の上を指し示した。ぼくは衣服をすべて脱いで、その上に仰向けに横たわる。博士はぼくの体のいろいろな場所に何かを塗ったり、ケーブルをつないだりという作業を手際よく行っていく。
 辛抱強くじっとしていると、博士はぼくには何も告げずに突然、開胸を始めた。ぼくは予測していなかった事態に、思わず声を上げそうになった。助手の麻生さんが呼ばれなかったので、そう大掛かりな実験ではないだろうと思っていたのだ。ただ、ぼくの胸は他のどの部位よりも頻繁に開かれるので、メスや開胸器を使わなくても簡単に開けるように工夫が施されており、博士一人でも作業には何の問題もない――だから今のところ、この胸も人には見せられないのだけれど。
 博士はぼくの驚きには気付かぬ様子で、開いた胸の中に更に器具をつないでいく。
 やがて準備が終わると、博士はぼくの腕を簡単に消毒し、ぷつりと針を刺した。何かの薬剤が注入され、それが終わるとそのままチューブがつながれて、いつもの点滴がはじまった。人間の食事では補えない、バイオロイドの機構に必要な養分を、ぼくはこの点滴で摂取するのだ。今行われているのは最初にうった薬剤の影響を調べる実験に思えるけれど、どうやら点滴と並行で行えるものらしい。実験にどれくらいかかるのかはわからないけれど、点滴にはいつも二十分程度かかる。だから少なくとも、その間はこうして寝ころんでいないとならないのだろう。
 博士はぼくにつながれている様々な器具がきちんとデータを取っているのを確認すると、ノートパソコンに何かを打ち込み始めた。ものすごく速いタイピングの音を聞きながら、ぼくはディスプレイに視線をおとした博士の顔を見つめた。博士は、いわゆる線の細い美形、だと客観的に思う。博士が帝都大助教授としてある程度メディアなどにも登場していた頃には、その整った容姿にミーハーなファンもたくさんいたのだと、麻生さんに聞いたことがある。そんな端整な容姿の博士は、あまり『葉山託生』とは、似ていないような気がする。少し茶がかった髪、理知的な光の宿った目、落ち着いた表情、と、ぼくにはないものばかり、持っているのだ。別に羨むわけではないのだけれど、少し不思議な気もする。
 そんなことを考えながらぼんやりしていると、博士は打ち込みの手を止めずに突然口を開いた。
「学校はどうだい、託生」
「……あ、はい。特に、変わりありません」
「スポーツテストはこれくらいの時期だったと思うけど、終わったかい?」
「まだ、これからです。でも今年度も、体育の先生に診断書をお渡ししてあるので、手伝いに回してもらう予定になっています」
 体育の授業は、入学当初からずっと見学させてもらっている。万一怪我をしたりすれば、たとえそれが転んですりむく程度のものであっても、ぼくがバイオロイドだとバレてしまうかもしれないからだ。だから、学校側には麻生さんが書いた診断書――麻生さんは、医師免許を持っているのだ――を渡して、虚弱体質のため運動は出来ない、と伝えてある。
 博士は軽く頷いて、更に問いを重ねた。
「中間考査は何時からなんだ?」
「あ、再来週の、水曜からです」
「そうか」
 タイピングの手をとめずに、でも会話はやめない。
 ぼくの体調や思考の変化に関して質問をする他は、こんな他愛ない、どうでもいいようなことばかり、博士はいつも聞きたがる。博士はきっと、『葉山託生』とするはずだった会話を、ぼくとしたいのだと思う。だからだろう、ぼくの感想や判断を問うことは、慎重に避けている、気がするのだ。『葉山託生』の言葉から、逸脱しないように――
 博士はちらりと機器に目をやると、また会話をつづけた。
「中間考査は、何科目あるんだい?」
「えっと、全部で……七科目です」
「そうか。再来週といっても、すぐに来てしまうよ。復習はもう進めているのかい?」
「あ、ええと、いちおう」
 ぼくがそう答えた途端、博士はぴくりと口元を歪めタイピングの手をとめた。おそるおそる伺っていると、博士は苦々しい表情で再びタイピングを再開し、ぼくの方を見ずに冷たい声で言った。
「託生はそんな曖昧な口のききかたはしないよ」
「……すみません」
 ぼくは小さな声で謝って、見慣れた白い天井に視線をやった。












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