恋は桃色
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 三年前、中学二年生だった『葉山託生』は、トラックの事故に巻き込まれて、通学途中に亡くなった。
 トラックの運転手は、終夜労働がつづいたための過労で、つい居眠りをしてしまったそうで、彼も彼を雇用していた会社も社会的に制裁を受けたし、『葉山託生』の遺族には多額の賠償金が支払われた。結果的にそのお金が、『葉山託生』の唯一の遺族であった葉山尚人の手にわたり、彼の研究を飛躍的に進めたというのは、とても皮肉な成り行きだった。
 葉山尚人は若いながらも非常に優秀な学者で、当時二十六という年にして既に世界的に有名なロボット工学の研究者だった。MITをスキップして博士号をとり、史上最年少で帝都大学の准教授職についた彼は、バイオロイド、つまり生体部品によるロボットの研究・開発をすすめていた。バイオロイドというのが一体何なのか、というのは、ぼくも未だによくはわからないのだけれど、彼の定義では、全構成組織の五十パーセント以上に生体部品を使用している場合、バイオロイドとされるのだそうだ。生体部品とはいっても、結局は人が作った機械なので、つまりはロボットの一種だと言ってよいのだと思う。院生時代からそのバイオロイドの研究を進めていた彼は、帝都大の研究室で理論的な研究はほぼ終えており、あとは実地での開発を終えるだけという状況で、それが完成すればノーベル賞もありうるという噂だった、のだそうだ。
 『葉山託生』の事故が起こったのは、そんな矢先だった。弟を失った葉山尚人は、魂が抜けたようになって家に閉じこもってしまい、何日も人前に姿を現さなかったそうだ。子どもの時分に両親を火災で亡くした葉山兄弟は、寄り添うように二人きりで生きていたそうなので、周囲の人々は彼が思いつめてしまうのではないかととても心配したらしい。
 喪が明けると、葉山尚人は大学に辞表を提出した。心配が現実になってしまうのではと案じた周囲をよそに、彼は賠償金を含めた全資産をつかって、S県の山間に「葉山工学研究所」を設立した。そして以前の研究室のメンバーから数名を呼び寄せると、即座にバイオロイドの開発を再開させたのだ。研究所の動向には世間も大いに注目していたようだったけれど、彼は最早外部との交渉をする気をなくしていたらしく、成果を発表することなどは一切しなかった。だから、研究所の設立後、とてつもないスピードで『ぼく』が完成したことを知っているのは、所内のごく中枢の人間――と言っても、つまり、葉山尚人本人と、彼の腹心の助手、のみなのだった。
 葉山尚人が『葉山託生』をクローニングで蘇らせようとしなかった理由は、彼がバイオロイドの研究・開発者だったというせいもあるだのだろうけれど、たぶんそれだけではない。クローニングでは彼の目的が達成出来なかったのだと思う。クローンは成長に時間がかかる。彼は、亡くなった時とそっくり同じ『葉山託生』を、亡くなった時点から連続した存在として復元したかったのだ――と、ぼくは思う。
 なぜなら、ぼくが完成し、あらゆる角度から検査・点検を行うとすぐに、彼は『葉山託生』が通っていた中学校にぼくを『復学』させたのだ。『葉山託生』が在籍しているはずの中学校の、進級しているはずの中学三年生として、バイオロイドであるぼくを学校に通わせる、というのは、どう考えてもおかしな状況だと、ぼくだってそう思う。当然ながら周囲の生徒や先生は、ぼくを化け物を見るような目で見て、近づきもしなかった。でも、周囲に何を質問されても、非難を受けても、葉山尚人はぼくがバイオロイドであることは絶対に外部に知らせようとしなかった。なぜなら彼にとっては、ぼくは『葉山託生』の続き、でなければならなかったからだ。


 葉山尚人の開発したバイオロイドは、見た目には殆ど人間と変わらないと、客観的に見てそう思う。何しろ構成組織の実に九十パーセント以上が、生体部品なのだそうだ。もともと彼は彼のバイオロイドに日本人に近い外見を想定していたこともあって、ぼくは見た目だけなら生前の『葉山託生』とまったく変わりがない。何しろほくろの位置まで、模倣しているのだそうだ。もっとも、いくつか異なっている部分もある。
 外見的なところでは、目の色が一番目立つ違いだと思う。なんでも黒い虹彩は他の部品と拒絶反応を起こしやすいとかで、ぼくの目にはうすい色の虹彩が使われていて、いつも黒いコンタクトレンズをいれてごまかしているのだ。それから、血の色も違う。生体部品へ必要な養分をおくるために、人間の自然の血液とはかなり違う配合なのだそうで、ぼくの血は、金色にきらきら光るのだ。だから、ぼくは外では怪我をしないように細心の注意を払っている。目の色はともかくとして、これを人に見られたら、言い訳がきかないからだ。
 また、傍目にはわからないことながら、脳の機能も大きく異なっている。ぼくの脳は基本、コンピュータに近い動作を行うので、人間の脳の働きには到底及ばない。何しろ、人間の脳というのは、同じサイズのコンピュータには及びも寄らないほど高性能なのだそうだから、ぼくの頭につまっている程度のコンピュータ――つまり擬似脳では、人間の脳のような高度は働きは出来ないらしい。ただ、人間の場合は、脳の全体をフルに使うことはほぼ不可能で、どんなに頑張っても脳を百パーセント働かせることは出来ないのだそうだ。ぼくの場合は、それが出来てしまう。もっとも、いつでもフル回転させているとオーバーヒートしてしまう可能性があるので、リミッターが入れられており、普段はたぶん普通の人間と同程度かそれ以下で活動するように、設定されている。
 そしてその中には、過去の記憶――つまり、『葉山託生』の記憶も記録されている。これは、ぼくが起動されて、いくつもの検査や点検をくぐりぬけて、微調整がなされた後に初めて導入された『データ』だった。突然今までの十四年間分の記憶が入ってくるというのは、どんな感じなんだろう、とぼくは不安に思ったものだけれど、なんのことはなかった。なぜなら、ぼくに導入された『葉山託生』の記憶は、客観的な記憶のみだったからだ。
 当たり前のことだけれど、ぼくに導入されたのは、『葉山託生』の記憶そのもの、ではなくて、主に葉山尚人が知っている『葉山託生』に関する情報だったのだ。だからたとえば、『葉山託生』は以前にギイと出会ったことがあるそうだけれど、その事実は葉山尚人の与り知らないことなのだろうし、ぼくに入れられた記憶にも含まれていない。また、個人的な記憶といったものは一切存在していない。七才の時に初めて出たバイオリンの発表会で、『葉山託生』が弾いた曲が「きらきら星」であったことや、演奏後に兄である葉山尚人に「すっごく、どきどきした」と言ったことは、知っている。だけれど、その時『葉山託生』はどのように「どきどき」したのか、それは緊張のせいだったのか、喜びのせいだったのか、それとも両方なのか、ということまではわからない。今はもうない葉山家がどんな建物だったかということは知っている、そして『葉山託生』がその家のどこでくつろぐのが好きで、どこでよく遊び、どこで眠っていたのかということさえ知っているけれども、家族に内緒で隠していた宝箱の隠し場所――家族の誰もがその存在は知っていたが、『葉山託生』のプライバシーを尊重して追及しなかったのだ――はわからないのだ。要するに、すべての記憶は葉山尚人というフィルターを通したものか、あるいは写真や文字などの記録として残っているものに由来しているのである。
 だから、だけれではないけれど。葉山尚人の開発したバイオロイドがいかにすぐれたものであろうと、人間に近いものであろうと、そんなことは本質には関係ないのだと思う。
 どんなに技術が発達しようと、ぼくが努力しようと、ぼくは永久に、『葉山託生』そのもの・・・・にはなりえないのだ。












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