裏コイモモ
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 僕は俯いたまま、顔が上げられなかった。
 葉山が、僕のことを好きだなんて言う。
 信じられない。
 それも、本当に葉山なんだ――今こうして隣りに座っている葉山は、僕が未来を絶ってしまった、何も知らなかったはずの葉山じゃない。一緒に祠堂を卒業して、大学生活を過ごしたあの葉山なのだ。
 ……信じられない。僕はギイではないのに。
 葉山はギイの代わりではないと言ってくれたけれど、僕にはどうしてもそうは思えない。
 僕が、未来のあのギイの代わりになんか、なれるわけがない。もう、どうしたら良いのか判らない。
 でも、それでも。
「……章三?」
 覗き込む葉山の顔を見上げ、僕は首を振った。
「ごめん、正直今は考えられない。やっぱり葉山は……僕にとっては、あの未来の世界の葉山は、ギイの恋人なんだ」
 ひくりと身体を震わせた葉山の不安をなだめるように、僕はその手をとるとそのまま腕を引いて、葉山をきつく抱きしめた。
「でも、もう。何でもいいよ……もう僕は、葉山を諦めないって決めたんだ。このリプレイが始まった時から、そう思ってた……折角こんな機会が与えられたんだから、どんな手を使っても葉山が欲しいって」
「……え?」
 葉山は自分を抱きしめる僕の腕に手を掛けて、ゆっくりと問う。
「………………章三、……いつから?」
 僕はもう何も隠すつもりはなかった、葉山をそっと離して、ゆっくりと答えを返す。
「リプレイがはじまる…………時間が戻る前から、葉山が好きだったよ」
「……ごめん………………ぼく、ずっと知らなくて」
「謝る必要はないだろ、知らなくて当たり前なんだから。言っただろう。葉山はギイのものだって判ってて、それでも好きだったんだ」
「でも、もし回帰してなかったら……」
「『もしも』だなんて、考えなくていい。意味がないんだ」
「でも」
 反論を唇で塞いだ。
 初めてではないキスに、この葉山はかつてギイの恋人だったのだと思うとやはり少し心が乱れた。
 でも、ダメだ。未来の記憶にまどわされては。
 二度目でも、一度きりの人生なんだ。いつか三洲が言った言葉を思いだす。
 そして、葉山は今は僕の恋人なのだ。
 顔を離してゆっくりとその眸を見つめ、万感の思いを込めて、呼びかける。
「葉山」
「うん」
「好きだ」
「…………うん……ぼくも。好きだよ、章三」
 少し泣きそうに微笑んだその頬を親指の腹で撫で、僕も微笑んだ。
 そして先程よりも長いキスをした。




「ところで、葉山はなにがきっかけで戻ってきたんだ?」
 葉山を腕の中に抱いたまま、僕はその耳元で話しかける。
「きっかけ? って?」
 葉山は目をぱちぱちと瞬かせた。
「僕は大学三年の時にバイクで事故って、多分それがきっかけで過去に戻ったんだと思うんだが、葉山は」
「ああ、えっと、ぼくがそこに居合わせたの覚えてる?」
「覚えてるよ、バイトに行くところだったんだろう?」
「うん、そう。歩いてたらバイクに乗った章三を見かけて、事故が起こって、章三を助けなきゃって思って」
「うん」
「ガードレールと突っ込んできた車の間でバイクがたいへんなことになってて、章三が倒れているのを見て」
「それで?」
 葉山は言いにくそうに、上目遣いで僕を見た。
「気を……失ったんだと、思うんだ。それ以降の、記憶がない」
「…………」
 情けない顔をした葉山を放っておいて、僕は考え込んだ。
 それでは、なぜ葉山にリプレイが起こったのだろう。
 僕はあの事故で命を落としたものと思っていたし、三洲も発作で助からなかったものだと思っていたのだが。葉山は気を失っただけで、リプレイがはじまったのか?
 というか、気を失っただけだというのなら、葉山の未来は、あの時点からもつながっているのだろうか?
 では、ここにいる葉山は、未来の葉山が分岐した存在?――
 そうならいいと思った。葉山が未来にも生きていてくれれば、どんなにいいだろう……こんな空想、虫がよすぎるだろうか。だけど、未来に残されたギイが葉山を失うことを考えると、どうしようもなく胸が痛むのだ。そうでなければいい。ただの自己満足だって、判ってはいるけど。
「まあいいとして、事故や失神がきっかけだとしても、一体どういう現象なんだろうな」
「うん、非科学的だよね」
 今までも何度も三洲と考えて判らなかったこのリプレイの原因は、葉山の体験を聴いたことで更に不可思議なものになってしまった。何より、
「またあの瞬間が来たら、過去に戻っちゃうのかな」
 そうなのだ。
「可能性はゼロじゃないな。そもそも四年以上未来のことは、結局僕たちには判らないわけだし、四年後のあの時間にどうなるのかも、わからない」
「うん……」
 僕は考え込んだ葉山の手をとって、力づけるようにきゅっと握った。
「だから僕は、葉山とこうして居られるようになった、この時間を大事にしたいと思ってる」
「……章三」
 葉山は少し微笑んで、僕の手にもう一方の手を重ね、きゅっと力を込めた。
 しかし、未来のことと言えば。
「そう言えば、進路どうするんだ?」
「え?」
「音大、諦めるのか?」
「わからないよ、まだ……ゆっくり、考えるつもり、なんだけど」
 葉山はそう言いながら、僕の顔を伺うように見上げた……つい責めるような口調にでもなってしまっていたのだろうか。僕は苦笑した。
「僕は葉山が自分の可能性を知らないんじゃないかって、不安だっただけだよ。知った上で葉山が下した判断なら、僕はそれでいいと思う」
 葉山は少しほっとした表情で、微笑んだ。
「夏に、アルバイトをしたんだ」
「知ってる……もしかして」
 バイオリンを買うためになのか?
「したんだけどね、現実の厳しさを知ったよ」
「そうか……バイオリンって、いくらぐらいするんだ?」
「ピンキリだけどね、なにしろ前に使っていたのがストラドだし、音コンとかに出られたのも絶対バイオリンのおかげもあるから……音大をめざすんなら、安物は買えないし」
 それは……そうなんだろうな、僕にはよくは判らないけれど。
「勿論、だからって簡単に諦めるつもりはないけど。でも、まだどうしたらいいのか、判らないんだ。だけど……」
 葉山は少し言葉を切って、僕の目を覗き込んだ。
「どんな道を選んでも、その、一緒に……居てくれるかい?」
「当たり前だ。僕が何年片思いしてたと思ってるんだ」
 僕は軽口を叩きながら、葉山を抱く腕に力を込めた。
「これから何があっても、僕は葉山を好きだよ。もし……また過去に戻っても、もしもギイが葉山に惚れても、僕はもう葉山を離さない」
 葉山はきゅっと口元を引き結ぶとふと顔を上げ、僕の背中に腕をまわして微笑んだ。
 そのあたたかさに、心がじんわりとゆるんでいく。
 葉山がリプレイヤーだろうが何だろうが、関係のないことだった。 
 知ってしまった以上、手放せるわけもなかったのだ。
 だって、僕はもうずっと葉山が好きだった。
 その葉山が、今僕の腕の中にいる。
「章三」
 やさしい呼びかけにその黒い眸を覗き込むと、葉山はまっすぐに僕の目を見返して、言った。
「この時間に戻って、君に会えて、良かったんだ、ぼくは」
 僕は何も言わずに微笑んで、葉山からのやさしいキスを受け止めた。











   「リプレイ」了











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