恋は桃色
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 冬休みに見た映画のこと、家であったこと、今月あるスキー研修のこと。他愛もない話を肴に飲んでいるうちに、750mlのボトルの中身は既に半分近くなくなっていた。
 ほろ酔いの段階は既に通り越していると思うし、多分今立ち上がったらかなり危ない状態だろうとは思うのだけれど、座ったままこうしてのんびりしているとよくわからない。葉山の方はだいぶ酔いがまわっているようだ。
「大丈夫か? そっちに寝っころがってもいいぞ」
「うん、ありがと……そうさせてもらう」
 グラスを受け取ってやるとベッドに座ったまま背を倒して寝転んで、葉山はふうと息をついた。
「……へんなの、ね」
「またそれか」
 また蒸し返すのか、と眉をしかめて構えた僕に、葉山は屈託なく笑っていった。
「ふふ、違う、それはもういいんだ。じゃなくて、赤池くんとふたりでこんなに話したこと、あったっけ」
 今までそんな無防備な顔を僕に見せたことがなかったからだろ、酔っ払い。
「しかも、こんな」
「どうでもいいこと、ばっかり?」
「そう。でも、面白かった」
「相手のバックグラウンドを知るには、雑談も有益だろ」
「うん、赤池くんがたこが苦手だなんて、意外だったな」
「そうか?」
「うん、超意外。だって、いっつも赤池くんには好き嫌いを怒られてるのに」
 しまった、そうだった。
 どうも今日は口が滑っていけない。僕もいい加減酩酊が進んでいるようだ。
「ねえ、今度から、にんじん残してもいい?」
「だめに決まってるだろ。野菜は体にいいんだぞ」
「ずるいよ、赤池くん。野菜じゃなければいいのかい?」
「忘れろ、葉山」
「ずるいったら」
 本気で言っているのではないようで、くすくす笑い続けている葉山の顔に枕をなげてやった。
「もう、ひどいよ」
 口ではそう言いながらも、葉山は枕の下でまだくすくす笑っている。
「意外と言えば、葉山がバイオリンをやってたってのも意外だよ。ああでも、音楽をやってたってのは意外でもないか。弾けるのはピアノだけじゃなかったんだな」
 葉山は枕をとりあげてきゅっと抱えると、僕の無茶な方向転換に素直に付き合ってくれた。
「うん、そう。ピアノはおまけに習っていたようなものだから」
「メインはバイオリンなんだ」
「そう」
 七月の島岡氏の来訪が、ギイの持ち物であるバイオリンを運ぶためだったというのはいつだかに聴いていたけれど、それを葉山に渡したということは今まで知らなかった。
 それにしても、その七月には葉山は、ギイがFグループの後継者だってことも知らなかったんだよな。その時には既にギイの恋人だったってのに。
 それを思えば、僕との雑談に無邪気に応じている今のこの葉山も、随分成長したものだと言えるのかもしれない。
 ひそかに感慨を覚えながら、世辞ではなしに言ってみた。
「僕も一度くらい聴いてみたいな、葉山のバイオリン」
「そんな、大した腕じゃないんだよ」
「学校には持って来ないのか?」
「うーん、学校じゃ、しょっちゅう弾けるわけじゃないし。なのに持って来るってのは、ちょっと怖い、かな」
「……もしかして、高級品?」
「かなりのね」
 葉山はうんざりとした顔で軽く頷いた。
「どこの? 僕でも知ってるかな」
「聴かない方がいいよ、気が遠くなると思うから」
 高級で有名なバイオリンというと、ストラディバリとか? あれは、個人所有ってされてたか? や、いずれにしても、まさか……でも、
「……ギイの場合、それもジョークにならないからなあ」
 確かに、推測するだに気が遠くなるな……。
 葉山の心労も、察せられると言うものだ。
 ひそかに今晩二度目の同情を覚えていると、葉山は寝がえりをうちながら暢気な声で話を変えてきた。
「そいえば、ねえ」
 壁向きに腹ばいになって枕の上にほおづえをつく恰好になり、葉山は僕を見あげた。





「赤池くん家ではやっぱり、赤池くんがおせちつくったの?」
「なんだよ、急に」
「うん、夏にギイの家に行ったとき、すごく料理上手だったから。どうなのかなと思って」
「ま、いいけど……おせちか。ああ、作った年もあるけど、二人分ちょっぴり作るってのは、かえって面倒でなあ。今年は出来合いのセットを買ったよ」
「そっか、でも、作ったことあるんだ、すごいね。あれ、大変じゃない?」
「大変というか、ちょっと馬鹿馬鹿しいというか、さ。僕も親父も田作りとか伊達巻とかってそんなに好きじゃないんだけど、でも縁起物だと思うと、そういうのも作らないといけない気がするだろ? そういうのが億劫だな」
「でも作るんだろ? 赤池くんらしいや」
 この話がどこへ帰着するのか想像もつかず、僕は沈黙を守って続きを促した。
「うちも、母さんが毎年、すごくいろいろ作るんだ。今年は、ぼくもちょっぴり手伝ったんだけど」
 葉山は両親とあまり上手くいっていなかったらしい、というのは去年の葉山を見ていても想像がつくし、さっきからの他愛もない話の中で、葉山自身がさらりと言っていたことでもあった。けど、最近少しは家族らしくなってきたというのは、ギイの影響なんだろうな。葉山はそうは言わなかったし、僕もわざわざ聴かないけれど。
 手の中のグラスをもてあそびながら「けど」の続きを待っていると、葉山はぽつりと言った。
「栗きんとんは、作らなかったんだ」
「……ああ、あれはまた作るのが面倒だからなあ。食べたかったんだ、葉山?」
「ううん、ぼくは好きじゃないし、よかったんだけど」
 奇妙な声音にふと顔をあげて見ると、葉山はほおづえをついてじっと壁を見つめたまま、
「兄さんが、好きだったから」
 と、ひとりごとのようにそう言う葉山は、妙に弛緩したような、けれどどこか均整のとれた、だらしなくはない表情で。無我ってこういう状態を言うのかななんてぼんやり思いつつ、僕ははじめに感じたことをそのまま口にしていた。
「葉山、兄弟居たんだ」





 葉山は枕の上でゆっくりこちらを振り向いた。
 喜怒哀楽のなにもかもが抜け落ちたような、葉山のそんな表情は、初めて見る。
 葉山はじっと僕の目を射抜くように見つめ、やがてゆっくりと口をひらいた。
「うん、もう亡くなったけど」
 全然知らなかった。
 まあ、そう簡単に人に話すようなことでもないか。
「赤池くん」
 葉山はほおづえをやめて、枕をいだく形でベッドに身を横たえると、再び僕の目をまっすぐに見た。
「何」
 なんでだか、声が、…上手く出ない。
「内緒ね、今の」
 葉山はいつにない大人びた穏やかな表情でそう言うと目を細め、やっと笑った。
 おそらく葉山にとって、きっとたやすく口に出すような事柄ではないのだろう。
 兄の存在も、その不在も。
 直感でそう思った。
 他人が触れてはならない場所だったのだろうとも思った。
 アルコールのせいだけではなく、心臓が鼓動をはやめている。
「赤池くん」
 目を細めたままの葉山の表情ものんびりとしたその声も、どこか非現実的で、自分の心臓の鼓動だけが確かに感じられる。動揺を知られたくなくて黙っていると、葉山はじっと僕を見つめていたその目を閉じた。僕は思わず手を







「…………………………………………寝る」




 寝た子をしっかり布団でくるんでやって、そっと347号室を抜け出した。
 しんと静まり返った寮内を歩きながら、アルコールで思考回路のにぶった頭で、葉山の声を何度も思い返していた。
「赤池くん」「内緒ね」
 アルコールとギイの不在がまねいた、たぶんこれは、イレギュラーな事態。
 ギイは知っているのだろうか、葉山の兄のこと。
 多分、知っているのだろうと思った。人に触れられたくない場所だからこそ、ギイには許しているんだろうと、なんとなくそう思う。
 どこをどう歩いたのか、しばらくして結局僕は305号のドアを叩いていた。そしてギイのベッドで――これは葉山のベッドは使わせて貰えなかったという意味であって、決してギイのベッドをふたりで使ったということではない――一晩を過ごし、酒がたたったのか夜中の散歩がたたったのか、翌朝はしっかり風邪をひいていた。





「大丈夫? 赤池くん」
「……ただの風邪だよ」
 申し訳なさそうに覗き込む葉山に、僕は布団の中から答えてやった。
「章三の風邪は冬場は月イチだからなあ」
 ギイは暢気な声で言いつつも、多少は責任を感じているのかそれ以上は何も言わなかった。
「ごめんね、ぼくのせいで……よく覚えてないんだけど、迷惑かけたんだろう?」
「葉山のせいじゃないよ。うつすともっと厄介だから、二人とも部屋に戻れよ」
「だって、太田くん居ないんだろ? ぼくが替わりに看病するよ。何か、欲しいものとか、して欲しいこととか、ない?」
「……いいよ。もう、寝るからさ」
 僕は殊更あわれっぽくそう言うと、目を閉じた。
「そ、そうだね、睡眠が一番の薬だよね……」
 葉山はおろおろとそう言うと、ポカリここに置いとくからねとかなんとかごちゃごちゃ言い置いて、ギイに連れられて帰って行った。
 やっと一人になったわが347号室の中で、僕は苦労して寝返りをうちながらため息をついた。やっぱり朝より熱が上がっているような気がする。この体調では、八度くらいありそうだ。
 薬が効きだしたのか、うつらうつらとしはじめた頭で考える。
 葉山はどうやら昨夜のことを忘れてしまったらしい。
 それでもいいと思った。葉山が僕にくれた「内緒」のひとことで充分だ。春にはギイに感じた独占欲を、いつの間にか葉山に対しても感じるようになっていたのだろうか、……相変わらず子どもっぽいな、僕は。いずれにしても、昨夜のことがギイに知れたら、それこそ嫉妬の暴風雨だろう。葉山も覚えていないようだし、僕の胸の中にこっそりしまっておくに限る。
 熱の中で僕は、新年早々ベッドで過ごすハメになってしまった休日を思い、ため息をついた。
 やはり痴話喧嘩に首をつっこむと、碌な事がないのだ。それはよく判ってる。だけれど、仕方がない。結局僕は、あのしょうもない相棒とぼんやりした友人とが、どうやらかなり気に入っているみたいなんだ。
 今年もきっと、あの二人のゴタゴタには何度も巻き込まれてしまうんだろうな。
 ああ頭が痛い。



















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 随分長くなってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。
 「天使も踏むを恐れるところ(Where Angels Fear ToTread)」はフォースターの処女作のタイトルだそうですが、さらに引用元があって、もともとはポープの「批評論」にある言葉だそうです。どちらも未読ですが、この言葉自体すごく素敵だなと思います。
 というわけで、これもタイトル先行でお話を考えました。このタイトルならやはり章三のお話だろうな、とは思いつつ、触れてはいけない場所=ギイタクの痴話喧嘩、ではあまりにそのまま過ぎるかな、と思ってひとひねりしていたら…こんなに長くなってしまった上に、ちょっと章タクっぽくなった気がします。
 章三が託生にちょっかいを出すとギイがむっとする、というのは、「隠された庭」で「天然て、褒め言葉だから」「うーん」「信じろ、葉山」というやりとりのあと急に話を変えたギイとか、そんなあたりからの推測です。そんなバカなギイに託生は気づいていないので、託生一人称のタクミくん原作ではそういうことが書かれていないだけなのだ、と読解(笑、曲解?。
 なぜわざわざ正月なのかは、言い訳にて。

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せりふ Like
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