恋は桃色
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 さて。
 ギイには点呼すれすれに言伝を頼んで――後が怖いが、この部屋に乗り込まれても困るので仕方がない――こちらの点呼もなんとかごまかすと、葉山を椅子に座らせておいて、僕は部屋をざっと片付けた。と言っても毎日二回の掃除の成果で、別段部屋が散らかっているということもなく、片付けと言っても出しっぱなしだった雑誌を棚に戻したりと言った程度のことではあったけど。ただ、これからの計画をまとめる為に、僕が時間稼ぎしたかっただけのことだ。
 僕は背後に葉山の存在を感じながら、少し緊張しているなと思った。葉山がではなく、僕がだ。消灯後に葉山と二人きりなんて、妙な感じだ。まあ、なるべくならなんとかなだめて、日付が変わる前には305号へお帰り願いたいものだが……朝まで二人きり、では明日ギイに会うのが恐ろしいし、ギイにも一応そのように伝言してある。それに、今日中に葉山を説得して自分から帰るように仕向けてやれば、逆に恩を売ってやれるってものだ。
 ただ、僕からあれこれ詮索したり説得したりするよりも、まずは葉山が一人で考えたほうがいいだろうし、僕からはその件には触れずにおこうと思っていた。とりあえず間を持たせなければと思いながら、机の下に隠しておいたそれを取り出した。
「葉山、何か飲む? といっても、これしかないんだけど」
 瓶を葉山に手渡すとグラスも取り出して、ベッドに座った。グラスをサイドボードに置いて、返す手で手招きすると、葉山は酒瓶のラベルを眺めながら僕の隣りにやってきた。
「なに、これ。洋酒?」
「テキーラだって。飲めるか?」
「どうだろう、飲んだことないから。赤池くんは?」
「僕も初めて飲むんだ。もらいものだから、これ」
 正確には父の持たせた土産なのだが、わが家の恥部――高校生の息子が寮に戻るのに、酒瓶を持たせる親だなんてな……――を晒す事もないだろう。立ったままの葉山を横に座らせて、瓶を受け取った。
「でも、いいんですか? 風紀委員長。消灯後に、こんなことしてて」
「風紀委員長はまだ正月休み中だ。そもそも、僕も葉山も既に点呼破りだろ」
「あ、そっか」
「ま、とにかく……いいんだよ」
 僕はちょっと言葉を切って、ふっと笑った。
「正月だからな」
「お正月なのに、洋酒?」
「まあ、そう言うな。とはいえ、氷も水もないんだが、大丈夫か?」
 葉山と酒を飲んだ経験は何度かあるが、僕らが持ち寄るのはビールやカクテル、もしくはせいぜいワインや日本酒くらいのものだったから、葉山の限界はよくわからない。けれど、度数の高いスピリッツは、そのままではやはり大抵の未成年にはきついはずだ。勿論僕も飲みなれているわけではないし、そのうち氷などを準備してから皆で飲もうと思っていたわけなのだけれど、このように突発的な酒盛りでは仕方がない。
「わからないけど……氷が欲しいなんて贅沢は、言えないよね。あ、でもほら、雪が降ってるよ」
「……だから何だって言うんだ、葉山……窓でも開けて、グラスに雪を受けながら飲んでみるか?」
「……寒いですかね?」
 そういう問題か?
「まあ、風流だとは思うけどな、雪見酒」
 葉山はなぜか僕の言葉に若干顔をこわばらせ、話を逸らせるかのように僕の手の中の瓶を覗き込んだ。
「それで、なんて読むの、これ。何語?」
「エラドゥーラ。メキシコの酒だから、スペイン語かな」
 僕は気づかなかったふりで瓶を開けて、二つのグラスに三分の一くらいずつ琥珀色の液体を注いだ。
 一つをどうぞ、と葉山に持たせてやる。
「うん、いただきます。……わ」
 葉山は一舐めすると、顔をしかめた。
「ストレートじゃきついよ、やっぱり」
 僕も一口口に含んで、焼けるようなきついアルコールについ眉を動かした。
「……確かに、氷くらいは欲しいところだな」
「でも、いい香りだね」
「ああ、独特の香りだな」
 葉山はテキーラが気に入ったようで、おそるおそるという感じではあるが試し始めたので、僕も腰を据えて酒を味わうことにした。





「ヘンだよ。絶対、ヘン」
 何が糸口になったのやら、気づくと僕は葉山に絡まれていた。
「何が? 変だって?」
 仕方なく聞き返すけれど、返事は期待できそうもない。
「だって、ヘンだよ! ぜったい、おかしい」
 おい……目が据わっているぞ。
「赤池くんも、おかしいと思わない?」
「もうちょっと具体的に話せよ、酔っ払い。おかしいって何が? 葉山のことか? 確かに変だけど、今に限ったことじゃないから安心しろよ」
「違う! ――ぼくじゃなくって」
 まあ、そうだろうよ。あーあ、仕方ない。
「なくって、ギイ?」
「そう!」
 葉山はぶんと音のしそうなくらいおもいっきり首を振ると、また思いっきりのむくれ顔になった。
「ぼくにも我慢できることとできないことがあるんだよ、赤池くん」
「それは、そうだろう」
「それを……あのアメリカ人は!」
「は?」
 なんだなんだ、その換喩は。
 葉山はふう、とため息をついてつぶやいた。
「……文化の違いなんだ」
「そりゃ違うだろうさ」
 合いの手がお気に召さなかったのか、葉山はアルコールで少しうるんだ目をうらめしそうにこちらに向けた。
「それは、わかってる、けど、さ」
 ぷいと前を向くと、葉山は握りしめたグラスを睨みながら、言葉を継いだ。
「でも、いくらお正月だからって、さ……」
「正月だからって?」
「あんな……あんな恥ずかしいことを、平気で……」
「あんなって、どんな……」
「……あ」
 振り向いた葉山とかちりと目があい、葉山の頬がみるみる酒のせいではなく薔薇色に染まり出す。
 ……おや? と思ったところで、305号室での葉山の捨てゼリフがプレイバックする。
『知らないっ! 一人で勝手にすれば!』
 ……おや?
『一人で勝手にすれば!』
 ………………

 ……「一人ですれば?」

 ……………………あー、
 あーあーあー聴こえない聴こえない気づかなかったそう僕は何も気づかなかった、僕は気づかなかったぞ!!!!!
 馬鹿馬鹿しい、結局痴話喧嘩なんじゃないか!
 どうせ恥を知らないあのギイが、何かくだらない提案でもしたんだろう。
 確かにあいつには『恥』という日本の伝統的な文化概念が欠落しているようだな、その点では僕は葉山に全面的に賛成だ!
 しかしまったく、何が悲しくて新年早々こんな想像をさせられなきゃならないんだ……いくら僕がギイの相棒で葉山の友人であってもだ、踏み込むべきじゃない場所ってのがあるんだ。というか、僕としては踏み込みたくもないんだが、なぜこうして度々巻き込まれてしまうんだろうか……まったく……僕はついてない。
 験の悪いみくじをひいてしまったような気分でグラスの残りを呷り、僕は盛大なため息で脱力感を吹き飛ばした。
 よし、決めた。もうギイのところへ葉山を返してやるのはやめだ。計画変更だ、験直しだ。今夜は葉山と飲み明かしてやる。
 そう心を決めたところで葉山を振り返ると、酔いと羞恥とに頬を染めつつ、やはり残りの酒をくいっと呷っている。おいおい、大丈夫か? ……既にかなり酔っているようだけど。
 ま、いいさ、年の初めのなんとやら、だ。幸い明日は日曜だし。
 グラスを空けた葉山に、僕はボトルを上げて声をかけた。
「飲むか?」
 さっきのことは気にするなとは言わない替わりに、まだ大丈夫かなんて野暮なことも聞かない。
 葉山もためらわず、赤に染めた頬をふわりとゆるませそれに答えた。
「う、うん、ありがと。お願いします」
 葉山のグラスにテキーラを追加してやり、返す手で自分のグラスも満たすと、僕らはふたつのグラスをかちりと合わせて再度「乾杯」と言い合った。











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