恋は桃色
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私の上に降る雪は
真綿のやうでありました

私の上に降る雪は
霙のやうでありました

私の上に降る雪は
霰のやうに散りました
(中原中也「生ひ立ちの歌」)







   「みそかごと b」






 祠堂の冬は寒い。
 こんなに寒いと知っていたなら、ここへの進学はもう少し慎重に考えたのに。
 そんなふうにぼやきたくなるほど、とにかく寒い。
 おまけに、さっきからまた、雪がちらつき始めた。
 だから早く部屋に戻りたいのだけれど、ぼくは上級生につかまってしまっていた。
 相手は少し前から時々話しかけてくる三年生だった。売店に寄ろうとしたところをつかまって、来週には卒業してしまうので、ふたりきりで話をさせてくれなんて言われて、あげくこの寒い中立ち往生だ。
 どうでもいいのだけれど、寒い。
「な? ……返事くらい、しろよ」
 返事? 何の話だったっけ。
「……は、あ」
 寒くて、歯の根もあわない。うまく声が出せない。
「それじゃ、わかんないよ」
「……は、」
 寒い。
「なあ、せめて……」
「先輩、そいつが何か?」
 はっと顔を上げると、ぼくたちから少し離れたところに、ギイが居た。
 どうしてこんなところに、ギイが?
「な……別に、何でもねえよ……お前……一年の崎だよな? お前には関係ない話だよ」
「こんな寒い中で立ち話だなんて、ただごとじゃなさそうだけど」
「だったら……何だってんだよ」
 ぼくよりももっと驚いていたのだろうその三年生は、落ち着き払ったギイの様子に狼狽を隠しきれず、視線が落ち着きなくさまよった。
「あんたが下級生に無理矢理『言い聞かせる』ようなことをしているんなら、こっちにも考えがあるってことさ」
 三年生は悔しそうな顔をしてぼくをちらりと見ると、逃げるようにギイの脇を通り抜け、振り返り振り返り立ち去って行った。
 結局、何だったんだろう。
 中途半端な幕切れに唖然としているぼくに振り返り、ギイは聞いた。
「つい入っちまったけど、追い返してよかったのか?」
 みっともないことに、ぼくもまた狼狽から立ち直れてはいなかったので、彼の質問に頷きを返すことすらままならなかった。うまく声が、出せない。
 だって。
 どうして君がいるんだ、ギイ。
 放っておいてほしいのに、
 偶然通りがかっただけなのなら、見なかったフリをしていてほしいのに。
 どうしてなのだろう? この人は、……声が、

「      




 表の道からこちらに向かってくる話し声が聴こえた、ギイがそちらへ視線をやった、その瞬間。ぼくは後も見ずにその場を逃げ出していた。



* * * * *



 どうやって戻ってきたのかもよくわからない。
 気がつくと、ぼくは部屋で自分のベッドの上に寝転んでいた。
 辺りはすっかり暗くなっている。今、何時だろう。ぼくは起き上がって、とりあえず枕元のサイドスタンドに手を伸ばしかけたところで扉が開く音がした。
「……わっ」
 頭上の明かりがつくと同時に利久の驚いた声が聴こえ、ぼくは振り返った。
「なんだよ託生、びっくりするじゃん……電気もつけないで」
「あ、ごめん」
 利久はちょっと首を傾げると、すたすたと近寄って、いまだベッドの上でぼんやりしているぼくの顔を覗き込んだ。
「どした? 何かあった?」
「何もないよ。ちょっとうたたねしてただけ」
「そっかー。いいけど、もう七時半過ぎだぞ。夕飯まだだろ? 行く?」
「行く」
 ぼくはベッドを降りて、床に脱ぎっぱなしになっていたコートをとり、利久について廊下へ出た。
 ……ああ、なんだか頭がぼんやりする。
 食堂に入りしなに、利久が話しかけてきた。
「そういえば、三年の高本さんさ、」
「……だれ?」
「えーっ!? 覚えてないのか、託生? ……そっかー、ほら、ここんとこ託生にしょっちゅう話しかけてきてた先輩、いたじゃん」
 ――ギイだ。
「知らない」
 遠くのほうでクラスメートと卓に向かっているその影に、自然と目がとまってしまう。
 ギイはちらりとこちらを見て、目があったような気がした。でも、きっと気のせいだ。
 こんなに離れているのに、ぼくに気づくわけがない。
 でも、ギイはこちらを見た――見た?
「まあ、託生らしいけど……」
「お、片倉。丁度いいとこに」
「あ、先輩、こんばんはー」
 わからないけど。わかりたくないけれど。
 有体に言って、ぼくはギイが怖いのだった。
 だって、ギイの親切は利久のそれとは訳が違う。
 ギイは、誰にでも親切なたちだから。だからぼくなんかにも、親切にしてくれる、それだけだ。勘違いしちゃ、だめだ。
 そう、わかっているのに。
 ギイはただ誰にでも親切なだけなのに、あの日たった一言もらった言葉がぼくに勘違いをさせる。
 『もしかして』なんて、ばかな言葉だと思うのに。
 目線が合った、かもしれない、それだけなのに、それだけで。
 気づかないフリをしていた気持ちに、気づいてしまう。
 うまく消せるはずだった感情を、思い知らされる、……本当は。
 本当は、ギイが怖いのは、ギイの親切が公平だからじゃない。
 催眠術にかかったみたいに、唇がうごきだす。
 (ぼくはギイを





「待たせてごめん、託生。託生ー?」
 認めてはいけない言葉は、あたたかなその声でふっと掻き消えた。
「どしたー?」
 ぼくは振り返り、やさしいルームメイトに感謝の念をこめて軽く微笑んだ。
「なんでもない、利久。並ぼうか」







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 タクミバージョンです。あんまり思いつめた感じにならないように気をつけてみました。
 冒頭の引用は「a」と同じく青空文庫 Aozora Bunkoさんより。
 ピロウズ「Back seat dog」から少し言葉を借りてます。「‘もしかして’なんて罪な夢は心をかきまぜる、脇役の恋」とか「今になって思い知ったんだ」とか「催眠術の仕業みたいに唇は動く、キミニアイタイ」とか。かわいい曲で大好き。

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