恋は桃色
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 「うわ、すごい人だな」
 「何これ? 何の騒ぎ?」
 「わかんね、オレも今来たばっか」
 「なんかなぁ、揉めてる奴らがいるみたいよ」
 「なんだ、ケンカ?」
 「誰ー? 誰が居んの?」
 「全然見えねーよぉ」
 「あ、見えた……あれ、葉山じゃん」
 「誰それ?」
 「うちのクラスのやつ」
 「一年? 何やったんだ? 相手、上級生じゃん」
 「さぁ……」
 「――あ。あれは」
 「あれは流石に知ってる。お前んとこの級長だろ?」
 「うん、ギイだ」







   「音楽の捧げもの」   






 正直を言えば勿論、チャンスだと思ったんだ。
「何があったんですか?」
 向かい合っている彼等の間に体を割り込ませたオレを託生は驚いたような顔で見ていたし、二人連れの上級生と思しき相手も訝しそうに問いかけてきた。
「何だ、お前?」
「葉山のクラスの級長で、崎です。何かあったんですか?」
 再度質問を繰返したオレに、二人はちらりと目を見交わし言葉を濁した。
「別に、……な」
「あ、あぁ。……オレらはそいつの下の部屋なんだけど、いっつも上の部屋の足音が煩くってな。困ってるって話をしてただけだ」
「そ、そう、そう。困るんだよな~、勉強にも集中できねぇしさぁ」
 足音?
 三階の部屋を訪ねたことは何度もあったが、上階の物音が気になったことなんて、終ぞないぞ。
「もっとさ、こう、共同生活なんだから。お互い気を使って生活しないとな」
「寮ではやって行けないよな~」
 そういうことか。にやにやと意地の悪い笑みを見せるふたりに不快感を覚えたが、早く託生を開放してやりたくて、オレは柔らかく笑って返した。
「じゃ、これから気をつければいいってことですよね?」
「あ……あぁ、まぁな」
「わかりました。ご指導ありがとうございます」
 軽く頭を下げて対話を打ち切ると、二人はしぶしぶといった様子で立ち去った。その姿も見えなくなると、取り巻いていたギャラリーがおずおずと近づいてきた。
「……すっげ~! やっぱギイはさすがだよなぁ、上級生相手によく間に入れるよな~!!」
「そうか?」
 口火を切った級友を無碍にはできず、オレは苦笑を返した。
「そうだって! しかも相手は二人っ! 超恰好良かったぜ~!」
「野川野川、お前はしゃぎすぎ」
「なっ……何だよ! 僕はただ……」
 じゃれあいはじめた二人のおかげで和らいだ雰囲気に、周囲からざわざわと品評の声が洩れ聞こえはじめた。
「でもほんと、上級生相手によく入っていけるよな~、オレだったら喧嘩になってるぜ」
「しっかしいくら級長だからって、なぁ……ほんっと面倒見いいよな、ギイは」
 意想外に注目を集めてしまったな。舌打ちしたい気持ちになっていると、ひときわ耳に立つ声がきこえた。
「そうだぞ、崎。こういう時のために居るんだから、もっと階段長をこきつかってやれ」
「相楽先輩!」
 その声に、周囲のムードが一変した。少しの緊張と敬意とを持って自然と中心に迎え入れられた相楽先輩は、目が合ったオレに軽く笑いかけた。
「ま、崎はなまじな階段長よか役に立ってくれるかもしれないけどな」
 そんな軽口を叩きながら更に一歩こちらに近づくと、相楽先輩は託生の方に向き直った。
「葉山もな、困ったことがあったらすぐに上級生を頼りなさい」
「……はい」
 言葉少なに返した託生に相楽先輩はうんうん、と頷いて周囲を見渡した。
「さて、と。こんなところで集まってると通行の邪魔だから、そろそろ解散な……あれ、オレも邪魔の原因か」
 軽い笑い声を上げる周囲をよそに、託生は人波を避けて既に立ち去りかけていた。引き止める間もなかったし、この状況で引き止めて何と言葉を掛けるって言うんだ。人垣をぬけた託生とちらりと目があった、感情を表わさないその瞳が
(余計なお世話だよ)
 まるでそう言っていたように思えて、オレは判っていると思っていたはずのことを改めて再認識し、そうしてようやく理解した。





 敵も味方も、関係ない。
 あれはつまり――人間全部が疎ましいんだ。





「そうだギイ、こないだ話した本戻ってきたけど、読むかい?」
「あぁ、サンキュ。暇だからこれから寄らせてもらうよ」
 ばらばらと歩き出した人の波につれて、声をかけてきた野川と連れ立ってオレも歩きだす。その背後から、何も知らない級友達がぼやいているのが聴こえてくる。
「しかし葉山ってほんっと、愛想がない奴だよな~」
「な! ギイに礼のひとつも言っていけばいいのにさ」
 何も知らない彼らであれば、そんな印象を持つのも仕方のないことだろう。託生が心を閉ざしている原因は、おそらくあの『事件』だ。人のいいクラスメート達がもしあの事実を知れば、それこそ腫れ物に触れるように――託生の望むように――距離をとってくれるかもしれない。だが、おそらくそれは欺瞞だ。オレにとって、そしておそらく託生にとっても。

 廊下の角を曲がりしなに、少し離れた場所で一部始終を見ていたらしい矢倉柾木と目があった。



* * * * *



 要するにあれは、感情を表さない乃至は感情自体を排除しようというコントロールの結果なのだろうと思う。他者との関わりを――少なくとも表向き――絶つためには、確かにそれも有効な手段かもしれない。だから、その労苦を、即ち感情を閉ざすという手段を欺瞞だと感じてしまう一方で、何らの代替となる保護も与えずにその手段を奪おうとすることは傲慢であり無責任な我侭なのだろうと思う。過去の託生をなまじ知ってしまっているせいか、今の状況が託生にとって最善のものなのだとはどうしても思えない。しかし、オレに何が出来るというのだろう? 体裁をとりつくろうだけの対処療法では彼の問題を根本から解決することにはならないだろうし、一方(そんなことは無理だけれど)赤の他人であるオレが彼の内部の問題に真っ向から対峙しそれを改善しようとしても、それはむしろ彼の傷口を広げることにもなりかねない。
 ただ、託生が変わる可能性はゼロではない。
 周囲の苛立つ反応にも嘲る言葉にも、そして気遣うまなざしに対してすら、ひとしなみに反応を返さない葉山託生。それでも同室の片倉とは必要最低限の会話はかわしているし、最近では随分――他の人間に比べれば、随分――互いに打ち解けたようだ。一方その他の人間には極力関わらないようにしているのだが勿論例外はあるので、片倉は別格としても、図書当番などは然程もめることもなくやっているようだし、しばしば声を掛けてくる相楽会長などにはそっけなく言葉少なながらも流石にきちんと返事をしている。
 生徒会長。面倒見のいい上級生。そう、例えば彼ならば、いや彼がもしも委細構わず託生を守ろうと思ったならば、あるいはオレなんかよりもずっと真っ当なガーディアンになれることだろう。時間も手間も根気も総動員して、父親のように兄弟のように、彼の性格と能力とを考慮すれば、やろうと思えばそれは可能なはずだ。
 オレとは違う。オレは、託生の保護者には――なれない。

 託生を守るためなら何でもするって、思ったのにな。
 託生を守る――守って、好意を感じてもらって、それから、……

 浅ましい。我ながらそう思う。けど、仕方がない。託生と初めて会ってからもう長い間この執着の内実を問い続けてきたけれど、彼を一目見たい、彼に会いたい、話をしたい、友人になりたい、出来れば特別な友人に――と、それは行き着く先を知らないようだ。触れて、望んで、望まれたい。
 だから、これは恋着なのだ。
 初めてそうと気づいた時オレは、自分は同性愛者なのだろうかという疑問だとかその事実が周囲の人間を傷つけるかもしれないという可能性についてだとか、そんなことを考える前に、むしろ手に負えないこの感情にようやく名付けが出来たことに心が軽くなったのだった。そしてその執着が、これまでの数度の個人的な挫折からオレを立ち直らせてくれもした。
 だからオレは託生を守ると決めた。託生のために、自分のために。けど、それもやはり欺瞞なのだろうか。この恋着が託生を守ろうとする自分をどこかで抑制しているのは確かだ。だから、オレは相楽先輩にはなれない。どうしたって及ばない。
 結局不純な動機では、託生のためだけに在ることはできないのか?
 恋着に苛まれるオレは、託生にはうとましいだけなのか?
 わからない。





 文化ホールの入り口に入ったところで制服の内ポケットに入れている携帯電話がふるえ出した。今日は偶然にも音楽鑑賞会に充てられている日だが、本来ならば授業中であるはずの時間帯だぞ。無遠慮な着信にオレは少しむっとしたが、こんな時間に掛けてくるのだ、余程の緊急事態なのだろう。
「章三、オレちょっと急用で出てくる」
 オレが携帯電話を常に所持していることを知っている章三はすぐに状況を把握したようで、片眉を上げて短く返事をした。
「大変だな」
「オレを待ってなくていいからな、章三」
「待っててやるよ。席順はフリーなんだから、遅く行けば後ろに座れる」
 笑って薄情な返事を寄越す章三を尻目にホールの中へ入場する生徒の列を抜け、オレは人気のない場所へと移動した。

 電話が十分弱で済んだことにほっとしてホールの入り口に戻ると章三は本当にあのまま待っていたようで、そして珍しいことに片倉利久と連れ立って話をしていた。片倉は困ったような顔で、章三に相談でもしているような様子だった。オレは二人に軽く手を挙げて合図し、近寄りながら声をかけた。
「片倉、どうした? 遅れたオレが言うのもなんだけどさ、もう鑑賞会始まるんじゃないか?」
「うー、オレもそう思うんだけどさ、」
「お前ら、まだこんなところでもたもたしてるのか」
 片倉の言葉を遮るように、巡回に来たらしい教員がオレの後ろから声をかけてきた。
「もう始まってるぞ、早く中に入れ」
 ホールに入ると確かにどうやら開演時間を過ぎていたようで、まだざわざわと落ち着きはないながらも既に席は埋まっていた。オレは会話が途中だったことが気になって、前を歩く二人に声をかけた。
「片倉、さっきの……」
「喋ってないで、早く席につけ。ほら、前に詰めて」
 仕方なく、促されるままにクラスに割り当てられた席をめざす。各クラス二列の割り当てだったので、クラスの最後尾はホールの入り口からすぐにたどり着ける場所だった。席につくと、オレのななめ前、章三の隣の席で片倉が困ったような顔をしてこちらを伺っている。結局途中に終わってしまった先程の会話のことだろうか。オレは声を掛けようかと思ったが、そのとき司会が壇上に現れた。片倉もしぶしぶという感じで前を向いたので、仕方なくオレも背を後ろにもたれさせて、軽くため息をついた。
 そういえば、オレの隣は空席のままになっている。オレよりも遅い人間なんて一体誰なんだ?
 そう思った時、遅刻者の足音が聴こえた。オレはその人影を見上げ、そして――息が止まった。
 通路に立っていたのは託生だった。託生はオレを見るとちらと片倉と目を合わせ、軽く彼に頷きかけてから、オレの隣に腰をおろした。あまりにすんなりと、あまりにオレの近くまでやってきた託生に、覚えず胸が高鳴りを増した。それと並行して、なぜ片倉が開演時間ぎりぎりまで入場していなかったのか、やっとオレは理解した。託生の隣に座ってやろうとしてたんだ。列最後尾、しかも運良くわがクラスの割り当ては通路側なので、あまり他人に近づかずに済む位置なのだ。オレは片倉の――というか、託生の計画をジャマしてしまったことに気づき、小さく息をついた。

 音楽鑑賞会とは曰くつまらないことの代名詞、だそうで、軽快なショパンやモーツァルトの数曲はなんとか聴いていられたものの、よく知らない曲がつづくと流石に飽きがきた。前方には気持ちよく昼寝をしてるとおぼしき奴も何人も見受けられる。国内外の数々のコンクールでの入賞者という肩書きのピアニスト、などと言われても高校生にとっては馬の耳に念仏で、そのありがたみはちっともわからない。普段だったら勿論オレも例外ではないのだけれど、しかし今日は流石に眠くはならない。
 託生のとなりで巧い(らしい)ピアノの演奏を聴くだなんて、なんという僥倖だろう。
 オレは座りなおすフリをしながらもう一度こっそり隣を伺った。託生は先程来と変わらぬ姿勢でステージを見つめている。その表情からは、ピアノの演奏を楽しんでいるのか、それとも退屈しているのか、何を感じているのやら全く分からない。まっすぐに前をみつめ動かない――凛とした託生も美しい。ついつい眺めてしまっていると曲が途切れ、ぱらぱらと拍手が起こった。オレも我に返って手をたたきながら、託生もまた周囲と同じようにおざなりな拍手を送っているのを横目で見ていた。

 正直に言うと、オレは少し失望していた。他人を含む外部の全てに反応を返さない今の託生であっても、音楽には――音楽にだけは、昔のような心からの笑顔を見せてくれるのではないだろうかと、オレは心のどこかで期待してたんだ。バイオリンをやめてしまったとはいえ、今でも彼にとって音楽は特別な存在であるはずだ。これだけは今でもそうなのだと確信できる。あの特別な笑顔を引き出す魔法、それが音楽 ――だから幼いオレにはむしろ無粋なものにも思えてしまったのだし、今でもちっとも理解できないけれど。その音楽にすら反応を見せないということはつまり ――




 託生のためなら何でもする、その気持ちもやっぱり嘘じゃないんだ。だって、オレに好意を抱いてなどくれなくてもいいから、だからせめて笑っていて欲しい、本当にそう思うんだ。
 なあ託生、オレはお前のために、何をしたらいい?

 再開した演奏にまぎらせて、オレはこっそりため息を吐いた。






平中へ続く












---
 周囲になじめない葉山託生に辛抱強く声をかけてくれる相楽会長萌え(でも彼はこの時期ギイが好きなんだったわねそういえば(ひそひそ。
 ということで、これから一年時の原作が書かれるそうなので、非常に書きづらくなってしまいました。でも二次創作ってもともとパラレルなものだよね、と割り切って、書き終えていた分に更にギイのもんもんを大分加筆しました。そうするとどうしても重くなっちゃうし、よりいっそうひとりよがりになってしまってますが、とりあえず妄想のままにこのまま進めるつもりです。お付き合いいただければ幸いに思います。
 サブタイトルは勿論大バッハから。

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