恋は桃色
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「託生ー」
「あ、ギイ、また明日ね」
 教室を出ようとしていたぼくがそちらに顔を向けて手をふると、ギイは変な顔をしてぼくに近づいてきた。
「おい……託生、一体ひとりでどこ行くつもりなんだ?」
「どこって……帰るんだよ?」
 ぼくがくびをかしげると、ギイはやれやれ、というように、腕をくんでため息をついた。
「今日は一緒に図書室で課題やろうって約束してたじゃんか」
「え、う……うん、えっと、」
 ……そうだったっけ? ぼく、また忘れてる?
「ごめん……忘れてた」
 たぶん。
 こうして約束していたという話を聞いても、そのことをまったく思い出せないから、忘れているのかどうかも、ほんとうはわからないのだけれど。
 ぼくはギイの顔が見られなくて、自分のつま先を見つめたまま、繰り返した。
「ごめんね、ギイ」
「ま、いいけどさ。行こうぜ」
「あ、あの、ごめんギイ、」
「んー?」
「……今日は研究所で実験がはいっちゃったから、帰らなきゃ」
 これは、ウソではない。でも、覚えていた予定でも、ない。忘れないようにと、昨夜のうちにバッグの中に付箋でメモをいれておいたのだ……たぶん。
 ギイは仕方なさそうに、ぼくを見送ってくれた。


 あれから――博士にぼくの記憶障害がばれてしまってからというもの、何度も何度も検査や実験が繰り返されていた。身体にもつらく、気分的にもめいるようなものも多かったけれど、それでもさほど苦にはならなかった。ぼくの身体が調べられている間は、ぼくの身体であってぼくのものではないし、つまり覚えておくべきはずの記憶、というものも特に生まれないから、だろう、たぶん。
 むしろ、なんでもないような日常のほうが――博士と麻生さんと顔をつきあわせての毎日の食事や、そしてなにより学校のほうが、今はつらかった。だって、それは覚えているはずの、記憶になるはずの経験だから。
 だから、今となっては、ギイとの会話が、一番の苦痛になってしまった。
 なにより、忘れたくないものなのに。どんなささいな会話だって、彼の表情ひとつだって、忘れたくないのに。でも、忘れてしまう。
 今日のように、ギイとした約束やかわした会話を忘れてしまっていることに気付かされるのは、なにより恐いことだった。


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 ぼくの記憶は、つるつると皮をはぐみたいにして加速度的にうしなわれつつあった。ぼくのあるいたあとには、記憶の薄皮が目印のように落ちているんじゃないかとおもうくらいだ。
 はじめはささいな物忘れだったのに、最近ではぽろぽろと色々なことを忘れてしまう。それに、まえは麻生さんやまわりの人に教えてもらえって、かけた部分をうめて、記憶をつなぎあわせることができたのに、最近ではそれすらも難しくなってきてしまった。ぬけていく部分がおおすぎるのだ。だから、学校もずいぶん休んでしまっている。
 ふるい記憶も、最近の記憶も、『葉山託生』の記憶も、ぼくがぼくになってからの記憶も、区別なく消えていく。へたをすると、ぼくが『葉山託生』ではないこと、バイオロイドであることさえもわすれてしまいそうになる時もあった。
 だから最近では、ギイとの思い出も、どんどんすくなくなってしまっている。
 ギイ――ギイというひとのことは、覚えてる。栗色の髪、美しい同級生。具体的な会話を忘れても、ぼくにわらいかけてくれる笑顔はなんとか覚えている。そして、彼をわすれたくない、ということもおぼえている。


 でも、それはなぜなんだろう?
 どうしてぼくは、ギイをわすれたくないんだっけ?





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 目のまえには、しろくそっけない天井があった。
 視線をずらすと、白衣を来た男のひとが、ぼくが横たわっているベッドの横に立ち、にがにがしい表情で手元のなにかをみている。
「……原因が、わからない」
 そういって、ついとうしろをむくと、白衣のひとはパソコンのまえにすわり、キーボードをたたきだした。あれはだれだっけ……そう、
「――はかせ」
 ……はかせ、だ……博士……、のなまえ、……なんだっけ?
 でも、わかる。わからなくても、わかる。
 この人は、ぼくをつくったひとだ。
 ……そうだ……ぼくは……人間じゃないんだった。人間じゃなくて、博士のつくった機械で。
 それすらもわすれかけてしまうほどに、ぼくはいま、こわれてしまっているんだった。
 そう、ぼくがうまくうごかないから、博士はこまっているのだけれど――
「こんなこと、あるはずがないんだ。私の設計にミスがあるはずはないし、部品の運動にも問題はない。なのに……なぜ、データが消える? なぜ忘れてしまうんだ、お前は」
 ぼくは申し訳ないきもちで、博士の横顔をみあげていた。
 ぼくにも、なにが悪いのかわからない。
 もしかしたら、ぼくはなにか原因を知っていたのかもしれない。
 けれど、もしそうだとしても、きっとわすれてしまったんだろう。
 やがて博士はふかぶかとため息をつくと、ぼくのかおをみようとしないまま、はきすてるみたいにしてこういった。


「結局、欠陥品だったということなんだろうな」













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